根室と釧路で起きたあまりに不可思議でドタバタで、それでも結果的になんとかなった話のまとめ | KEN筆.txt

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鈴木健.txtブログ――プロレス、音楽、演劇、映画等の表現ジャンルについて伝えたいこと

BGM:松田聖子『夏の扉』

 

9月11日、北海道・ベルクラシック根室にて催された「一周忌追悼イベント~foreverサムソン宮本~」への旅の行程を、普段ライターとして心がけている文法上のルールや構成といったものを度外視し、とにかく勢いで吐き出し記録として残しておきたいとの思いに任せて書きます。

 

 

そもそもの発端はイベント当日の朝7時半頃。週明けにおこなわれる日本プロレス殿堂会主催興行のパンフレット製作作業を抱えつつの旅でありながら、現地で追い込みをかければなんとかなると踏んでの出発だった。JR品川駅から京浜急行に乗り換え、羽田空港第1・第2ターミナルまでいくという、いつもの行程。

 

京急に乗り換えてドアが閉まるまでの数分、何気なく飛行機の出発時間を確認するべくスマホでお知らせメールを見る。そこには「JAL541羽田08:05-釧路09:40」と記されていた。

 

「ふむふむ8時5分の出発ね。ということはあと……!? あと30分後!!?? それじゃ間に合わないじゃん!!」

 

ご存じのように電車と違い、飛行機は出発20分前までに搭乗手続きを済ませ、15分前には入場ゲートへいかなければならない。今、自分が乗っている電車のダイヤを調べると、空港駅到着は8時6分…その時、一瞬にして頭の中をさまざまな情景が駆け巡った。

 

今回は一周忌という日に、宮本さんと再会することが何よりもの目的だったがもうひとつ、このイベントをビデオ収録し9月19日の報告会で上映することを告知していた。

 

 

「自分が根室にいけなかったら、まずはその内容を変えなければならない。それ以前に、新根室の皆さんにご迷惑をおかけしてしまう!」

 

宮本さんの実弟であり、新根室本部長を務めるオッサンタイガーさんから、イベント内でトークショーのコーナーを設けるので、その司会をやってくださいと依頼されていた。さらに、釧路組メンバーである佐々木ダンス系さん&越中スシローさんに車で迎えにきていただき、到着予定の9時40分から待機してもらうことにもなっていた。 

 

司会の代わりはいくらでもいるとはいえ、予定外のことでお手数をかけてしまう。完全にパニックとなり、とにかく電車を降りてタクシーで空港まで向かおうと思った。よくよく考えると羽田空港へ着く時間はさほど変わらず、ましてや早く着いたところで搭乗受付時間にはどんなに急いでも間に合わないのだが、その時は正常な判断ができる状態ではなかった。

 

品川駅の改札を飛び出し、タクシーに乗り込む。「高速使う?」「早く着くなら使ってください!」と、無意味に急ごうとする自分。走行中、まず調べたのは次の便があるかどうか。また、あったとしてもイベントへ間に合う時間に着くか。見ると次便は12:45発で釧路着が14:20。ダンス系さんとスシローさんはそこまで待つわけにいかないだろうから先に向かっていただき、まず空港から釧路市内までバスで出て、そこからさらに根室行きの長距離バスへ乗ればイベント開始10分前に着く(それでもギリギリだから迷惑はかけてしまうのだが)。

 

ただし…今回の行程はいわゆる“パック”。つまり便の変更は効かず、改めて片道分のチケットを通常料金で購入しなければならない。その額4万円以上。これは痛すぎるが、それでもいけるならば背に腹は代えられない。

 

結局、タクシーは元に乗っていた電車の到着時間と同じ8時6分にターミナルへ。ここでまったく意味のない5000円を出費する。カウンターへいき「8時5分発の便に乗り遅れまして…次の便に乗りたいのですが」と告げると、よほどこちらが落ち込んでいるように見えたのか「間に合わなかったのはショックが大きいですよね。でも次の便は取れましたので」と、スタッフさんから慰めるように言われた。さらに…。

 

「あのう、便の変更は効かないんですよね?」

「いえ、通常ならば効かないんですが、ただいまの期間、振り替えが可能となっております」

「ええっ! じゃあ、改めてチケットを買わなくていいんですか!?」

 

確かにあとで調べてみると、緊急事態宣言並びにまん延防止重点措置にともない無料で変更できるとあった。この差は大きい。とりあえず次便を押さえパニックが収まったところでオッサンタイガーさんにLINEで現状を伝える。とにかく釧路空港で待っていただくダンス系さんとスシローさんに伝えていただかなければならない。

 

「おはようございます。すいません! いろいろありまして、便の変更となり釧路空港到着が14:20となりました。大丈夫でしょうか?」

 

“いろいろありまして”って、単に乗り遅れただけやろと言われそうだが、じっさいこの時点ですでにいろいろあったような感覚へと陥っていた。それほど慌てていた。

 

なかなか既読にならないので、朝早く迷惑であるのを承知で電話をかける。すぐに出たオッサンさんは「今、LINE見ました。とりあえず、こちらで釧路組と連絡を取りますのでしばらくお待ちください」

 

全然怒っていない声だった。いやいや、フツーは「寝坊でもしたんですか?」ぐらいのことは言うだろう。それがよけいに申し訳なかった。

 

しばらくすると、オッサンさんからLINEが。「下着三四郎が14:20に釧路空港に迎えにいきます」…ダンス系さんとスシローさんが先に根室へ向かうのは当然として、同じ釧路組の下着さんが代わりに乗せてくれるというのだ。

 

そのために空港まで来ていただくなんて…本当に申し訳ない思いだったが、ギリギリに会場へ着いて、より迷惑をかけることを思えば甘えさせていただく以外になかった。この時の心境は、聖帝サウザーに敗れ囚われの身となったケンシロウが少年時代の命の恩人・仁星のシュウの息子・シバに救出されたさい、ダイナマイトで自爆し追っ手を止めたシバの死に対し「俺はシュウだけでなくその息子にまで命を!」と涙を流した時とまったく同じだった。

 

それでも息を整え、卵かけご飯で朝食を済ませてから手荷物検査を通過。出発まで1時間半ほどある。何もすることなく流れていく時間。普段なら退屈に感じただろうが、この時ばかりはその“余裕”が貴重なものに感じられた。

 

というのも、この数日はあまりにも時間に追われており、まったくもって気持ち的に余裕が持てずにいた。殿堂会パンフ作業が佳境に入った中、最後の難関として待ち受けていたのが「日本プロレス70年史年表」だった。

 

本来ならばこうした手間のかかる作業は早めにやっておけばいいのだが、手間がかかるものほどあと回しにしてしまうのが悪い癖で、それによって自分で自分の首を絞めるのが常だった。70年分の出来事から主なものを抽出する作業は想像以上に大変であり、また最終的にどれほどの文字数になるかまるで読めない。

 

やり方としてはとにかく70年分を書き出して、そこからページ数に合った行数へ削るしかなかった。この作業を、根室へ出発する前夜まで続けた。結果的に2万8637文字分を書き出しながら、1万443文字まで減らす作業を施した。

 

とにかく出発前に全ページの原稿はデザイナーさんに送った。あとは出てきた文字を現地で校正するしかない。ただしパソコン作業のため電源があり、なおかつW-iFiを拾える場所でなければ不可能。そこはいってみなければわからなかった。

 

さらに、根室前日の10日は北沢タウンホールで昼夜「まっする5」追加公演の場内解説があり、一日中その場にいる必要があった。パンフ作業を優先したため書ききれなかった「白と黒とハッピー~純烈物語」の執筆も会場へ着いてから再開し、なんとか開演前まで間に合わせた。

 

そしてこの日は夜に後楽園ホールでザ・グレート・サスケ31周年記念大会があった。試合前の生前葬とドキュメンタリー映画上映は間に合わずとも、せめてみちのくの歴史を築いたレジェンド6人が一堂に会すメインイベントだけでも見たいと、まっする夜の部終了直後にタウンホールを飛び出し水道橋へ向かったのだが、到着した時には試合後バラモン兄弟によってサスケがぶち込まれたという棺桶だけが無言でそこにあった。

 

せっかく向かったのに間に合わなかったのも、精神的に応えた。こうした状況を思うに、そもそもなぜ飛行機の出発時間を勘違いしたかの理由が浮上してくる。ダイヤを見て、そこから逆算して起床時間を設定し、その時間に起きたのだから感覚的には「寝過ごした!」というのがまるでない。

 

言うなれば、キツネにつままれたような思いだった。でも、余裕がない時こそ落とし穴が生じる。おそらく無意識のうちに、普段であれば1時間は余裕を見る飛行機の出発時間を、新幹線と同じように受け取ってしまっていたのだろう。

 

これが「寝坊しました」だったら理由は明白でありただただ各位に謝るのみなのだが、それ以前に「何かハメられているのでは?」という思いの方が、先に頭をもたげてきてしまうのが正直なところだった。こうした事例は、もっと時間に追われていた頃の週刊プロレス在籍時代でさえ一度もなく、本当に「何がなんだか」なのだ。

 

そんな日々が続いたからこそ、サムソン宮本さんが「健さん、少しは落ち着いて。出発までゆっくりしなさいよ」とこの時間をくれたのか…そう解釈した。根室に着けば、パンフ作業でまたバタつくだろう。それを思うと、何もやらなくていい待ち時間によってスマホだけでなく、気持ちの充電もできた。

 

ところが――出発を待つうちに不穏なアナウンスが聞こえてくる。「現在、釧路空港周辺は濃霧による視界不良のため着陸できない可能性がございます。その場合は、羽田空港へ引き返すことをご了承ください」

 

えーっ!? せっかく次便で向かうことができるというのに着陸できない? すぐに、本来乗るはずだった前便がどうなったかを釧路空港のHPで確認する。どうやら1時間遅れとなったものの無事到着したらしい。ただ、自分が乗る便に関しては、なぜか「減便」と表示されている。

 

減便? つまりは欠航するということなのか。でも、入場ゲートではそのようなアナウンスはされていない。

 

「大丈夫です。サムソンがなんとかしてくれるはずです!」

 

オッサンさんに告げると、そう励ましてくれた。現地ではすでにイベントの準備で忙しいはずなのに…出発時間を間違えたのも、意味もなくタクシーに乗り出費したのも、濃霧で釧路に着かない可能性があるのも、すべて宮本さんが1年ぶりに仲間たちと会えるのが嬉しくてはしゃぎ、いたずらを仕掛けまくっている。それがオッサンさんとの共通認識だった。

 

ならば、ギリギリのところで最悪な結果にはならないはず。飛行機は定刻に羽田を発ち釧路へと向かった。そして…むしろ定刻よりも10分早く、何事もなく着陸したのだった。

 

「やっぱり宮本さんの悪いジョークだったのか」

 

そう思いながら乗客出口を抜けると、下着三四郎さんが満面の笑みで待っていた。「申し訳ございません! こちらが遅れたのに来ていただくなんて、本当にご迷惑をおかけしました!!」と頭を下げると「いえいえ、ちゃんと間に合うように着いたんだから、引き返したり欠航になるよりはいいじゃないですか! それに朝、本部長から『健さんが乗り遅れたらしいから迎えにいってくれ』と電話があった時はキタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!って大笑いしましたよ。これは朝から祭りだなって」

 

……なんでそんなにもポジティブに受け取ってもらえるのか。ダンス系さんとスシローさんは準備することがあり急がなければならなかった。そこで下着さんに連絡がいったわけだが、不測の事態を楽しめるのが新根室プロレスなのか。

 

車内では、ここ数日のことを下着さんに話した。それを聞くと「絶対に会長(サムソン宮本)の仕業ですよ。いたずらが過ぎるのも、健さんに余裕を持たせたのも、それ以外に考えられない」と笑った。現地に着くまでのパニックや不安を思えば、釧路から根室までの2時間半はまったく長く感じなかった。

 

かくして17時過ぎ、会場のベルクラシックに到着。久々に会った新根室の皆さんは誰も怒っていない。誰も「よけいな手間をかけさせやがって」と言いたげな目をしていない。むしろ、艱難辛苦を乗り越えてやってきたことを心から喜んでいた。私のドタバタっぷりさえも、祭りとして楽しんでいるのだ――。

 

イベントは、この上ない形で無事終了した。宮本さんが遺したパソコンの遺言フォルダにあった「一周忌イベントをやってほしい」というメッセージ。ただ、その中身に関しては何も素材はなかった。

 

つまり、残った仲間たちに託されたのだ。宮本さんが築いた新根室プロレスらしさを。

 

「だからこそ、この一周忌イベントをやるにあたってすごいプレッシャーを感じていました。サムソンに喜んでもらえるものにできるのか。新根室らしさを出せるのか。何よりも、全国からお集まりいただいたサムソンを愛したファンの皆さんの期待に応えることができるのか」(オッサンさん)

 

新根室勢にとって、これはサムソン宮本への挑戦だった。宮本さんを喜ばせるには、宮本さんの想像を上回る何かを見せなければならない。

 

あのサムソン宮本が唯一できなかった発想…それが、自分自身をアンドレザ・ジャイアントパンダのように巨大化させることだった。

 

「パンダを巨大化させることは考えついても、自分が大きくなるということは生前に言ったことはなかったので、おそらくその発想はなかったはずです。本人がいるわけですから、巨大化させる必要もない。でも、今ならその意味があると思ったんです」

 

御命日からちょうど1年後に、サムソン宮本が巨大化し蘇る。それによってその場にいたみんなが宮本さんの存在を感じられたし、誰よりも宮本さん本人がそれを見て驚き、喜び、そして仲間たちの新根室らしさに嬉しくなっただろう。

 

いつもアンドレザを下から見上げていた宮本さんが、同じ視線の高さで並んでいる。理屈を超えた光景だった。

 

▲巨大化し1年ぶりに蘇ったサムソン宮本さん

 

「○○○さん(オッサンさんの本名)、サムソン宮本を超えたじゃないですか! それを一番喜んでいるのは、宮本さんですよ」

 

イベント終了後、そう言わずにはいられなかった。飛行機の振り替えが効かなかったら、濃霧で着陸できなかったら、下着さんがいなかったら、その光景を心に焼きつけることができていない。やはり日本列島の最東端・根室には、常識を超えた磁場があった。

 

 

その余韻を味わいつつ、ホテルにチェックインするやパンフの校正作業を朝まで続ける。当初は夜が明けたらすぐに出発し、10:25釧路発の便に乗る予定だった。

 

というのも、12日は16時より闘道館で開催されるイベントにMC出演することとなっており、間に合わせるためには午前便に乗る必要があった。ところが1週間前、新型コロナウイルスの影響で減便となり、自動的に15:15発の次便へと振り替えられていた。

 

これではどうあがいても間に合わない。飛行機か電車で新千歳空港まで出て…というルートも調べたが、ダメだった。イベントをキャンセルせざるを得なかったのは大変申し訳なかったが、これに関しては事前に通達できたので告知もされた。

 

朝10時にホテルを出て、新根室の拠点・ブルートに顔を出し挨拶してから復路はダンス系さん&スシローさんに乗せていただいた。前日におかけしたご迷惑を、このお二人も楽しんでいたようだった。

 

途中、厚岸の道の駅に寄り、その場で買った海鮮や肉類を炭火で焼ける室内バーベキューで食事。けっこうたらふく食べたのに、ダンス系さんが「じゃあ、このあとデザートにかざぐるまいきましょう!」と、当たり前のように言い出す。

 

▲生のまま購入し、炭火網焼きする室内バーベキュー。たまらんかった

 

かざぐるまとは、PIA LIVE STREAMで配信された「人生プロレス」の取材で昨年11月に根室を訪れたさい、男色ディーノ&今成夢人も寄ってあまりのうまさに感激し、DVD化されると裏ジャケに使ったほどの回転寿司を超えた回転寿司。うまいのはわかるし、食べたいのも山々だが、さすがにハシゴは…。

 

「ここから車で5分だし、空港への通り道だから」という理由で、結局は寄ることに。それでもうまさゆえ一人6貫を腹に入れた。越中スシローさんが、スシロー以外の寿司を食べる貴重な場面にも遭遇できた。

 


▲海鮮類や肉をしこたま食った十数分後にもかかわらず嬉しそうにかざぐるまの寿司を頬張る佐々木ダンス系さん


さあ、あとは1時間半前ぐらいに釧路空港へ着いて、待ち時間に校正作業を進めて飛行機に乗ればいい。空港前でお二人とさよならし、搭乗手続きへと進むと、不吉な場内アナウンスが。

 

「現在、羽田空港より皆様が搭乗します飛行機が向かっておりますが、濃霧により着陸できない可能性がございます。その場合、飛行機は羽田に引き返し、皆様の登場予定便は欠航となりますことをご了承ください」

 

昨日に続いてまたしても濃霧! 確かに、着いた時はそれほど気にならなかったが窓の外はみるみるうちに視界が悪くなってきていることに気づく。

 

▲石原裕次郎さんが「今夜もありがとう」と言いながら出てくるのではと思えるほどの霧

 

そして出発予定の15分前に、羽田へ引き返したことが告げられる。これにて欠航が確定し、すぐに次便へ変更するもこちらも乗る飛行機が着陸しなければアウト。それがハッキリする出発予定時刻まで空港で待たなければならない。すぐにオッサンさんへ報告する。

 

「最後の最後でカマされました。羽田行き欠航です! 20:10まで待って飛ばない場合は釧路市内に出て泊まります」

「無事搭乗できることを祈ります。最後にサムソンやりすぎですね^^;」

 

この時点で確定したことがある。それは、帰京後20時半より出演予定だったニコニコプロレスチャンネルと水道橋博士さんの「ザテレテレビジョン」とのコラボ番組に間に合わないという現実だった。すぐに連絡し、なんとかしてもらうよう頼む。闘道館イベントに次いで、こちらも出られなくなるとは。水道橋さんとプロレスの話ができることを楽しみにしていたのだが…。

 

逆に、欠航によって助かったこともあった。当初は出発するまでの時間で校正し、空を飛んでいる最中は殿堂会さんに作業を託すつもりだった。それが5時間も待ち時間ができたため最後まで作業へ携わることができた。

 

結果論だが校正に再校を重ね、デザイナーさんが完全データを作成し印刷所へ入稿するまでの行程を確認できてよかった。そのつどの指示を出せるのは編集担当の自分しかいなかったので、最後まで見る必要があった。

 

もちろんそこに校正協力の皆さんがいなければ、大会当日には間に合わなかった。新根室同様、こちらの作業でも私は多くの方々に助けられた。9月14&15日にパンフレットを購入していただいた皆様、それは釧路空港のパソコンブースで作られたものです(空港内で作られたプロレスのパンフはたぶん史上初)。

パンフ作業も終了し、あとは無事最終便が飛ぶのを祈るばかりだったが、霧はさらに濃くなっている様子。それでも18時台には他社便がしれっと着陸し、折り返し羽田へ向かい飛んでいった。だからといって20時台もそうなる保証はない。ああ、あの便に乗れば…などと思いつつ、すでに釧路へ1泊することを覚悟していた。

 

その場合、明日の午前便は減便でこの日と同じく15:15発の便となり17:00の羽田着。18時50分より文章講座があるのだが、一度自宅へ戻り課題の赤入れをしたら間に合わない。この日のうちに戻れないことを想定し、メールで休講を伝える。

 

とはいえ、明日も濃霧で飛ばなかったらもう1泊しなければならなくなる。本当に、何日か釧路から出られぬことも想定した。

 

仮に20時過ぎまで待って飛ばなかった場合、今度は釧路市内に出る足がなくなる可能性もある。念のため、オッサンさんに「もしも釧路市内へ向かうことになったさい、バスも終わりタクシーも停まっていない場合は釧路組の皆さんに助けを求めてもよろしいですか? 甘えてしまってすいません。ほかに交通手段がない最悪のケースに限りです」と連絡する。

 

さんざんお世話になっていながら、頼らざるを得ないことの罪悪感。にもかかわらず「今、下着に連絡したら欠航になったら対応しますとのことです。欠航とわかり次第連絡いただければすぐ下着に連絡します」との返信。また下着さん本人からも「タイガーさんから話は伺いました。必要とあらばいくらでも力になりますのでお気軽にご連絡ください」とのDMが。下着さんも今日は根室から2時間半かけて釧路へ戻ってきたばかりだというのに…。

 

そして、20時前になると「ダンス系さんと空港に向かっています」との連絡。もしも飛べたら釧路空港まで来たのは無駄骨となるにもかかわらずすでに動いているというのだ。DMの文言からは、いてもたってもいられない様子が行間から伝わってくる。その頃、羽田から飛んできた飛行機は1度着陸を試みてもダメで、上空で旋回し15分後に再トライするという。

 

「マジすか!!(笑)。私の経験上(昨日)少なくとも3回はトライするはずです」

「今…車の前を黒猫が横切りました…嫌な予感しかしません」

 

下着さんの予感通り、2度目も着陸できず。さぞや待ち合い室はピリピリ…しているかと思いきや、これがまったくの逆で「着陸できませんでした。次のアナウンスをお待ちください」と聞いて文句を漏らすような人が一人もいないどころか「しょうがねえなあ、ガハハハハッ」「こりゃあ、今日は泊まりだな」と和んでいるのだ。

 

そして20時半に3度目のトライをおこなうとアナウンスされると、下着さんから「健さん、テレビの前に座っていますね」とDM。防音ガラス一枚をはさんで、向こう側に下着さんとダンス系さんが今にも爆笑しそうな顔で立っていた。

 

▲どう見ても必要以上としか表現できないほど嬉しそうな下着三四郎と佐々木ダンス系のお二方

 

声が届かないので、とにかく来ていただいたことに頭を下げた。そして「おそらく着陸できないでしょうね」という顔を見せたのだが、その時だった。「来た!」という誰かの声に振り返ると、闇の中へ機体の頭が滑り込んできた。次の瞬間、拍手とともに「おーっ!」という声が響いた(マスク着用)。謎の一体感w…いや、謎でもなんでもない。これは一体となるだろう。

定刻より1時間遅れながらも、羽田空港に向けて飛ぶことが確定。見ると、ガラスの向こうで下着さんとダンス系さんも自分のことのように喜んでいる。もう一度書くが飛行機が到着し、東京へ向かうのだから空港へ来たのは無駄骨・無駄足・無駄手間となったのだ。

 

にもかかわらず、お二人ともムッチャクチャ楽しそう。そこからはスマホの電光掲示板アプリを使い文字情報で伝達する。

 

 

「飛行機が出発するまで時間がかかるので、とっとと帰ってください」

爆笑するお二人。

「ただし、仮に飛ばなくなった場合は空港に引き返せ」

爆笑する二人。

「お騒がせしました」←これが本音

爆笑する二人。

 

 

まさかさよならして6時間後、もう一度顔を合わせることになるとはダンス系さんも思わなかっただろう。そんなトラブルさえも「面白いなー」と思える。なぜならば、それが新根室プロレスだからとしか言いようがない。

 

「搭乗始まりました。どうやら飛びそうです。ご足労おかけしすいませんでした。本当に最初から最後まですごい2日間でした」
「最高に楽しく刺激的な2日間をありがとうございました! またお会いできる日を楽しみにしています…ファイヤー∩( `Д´)∩」

 

そうか、自分にとってこの2日間は不可思議で、あり得ないほどのハプニング続きでドタバタだったけれど、下着さんたちにとっては刺激的な2日間となったのか。出演に穴を空けてしまうなど各所に影響を及ぼしてしまったものの、着地点としては確かに大きな傷とはなっておらずなんとかなった。改めて双方をまとめてみる。

 

・飛行機に間に合わず→次便への変更が無料でできる

・次便まで時間が空いてしまう→それによって日々余裕がなかった中、余裕が持てた

・濃霧で着陸できない可能性が→着陸できたばかりか、ダンス系さん&スシローさんの代わりに下着さんが空港へ

・バスを乗り継いでギリギリの会場入りに→下着さんのおかげで開始前に会場へ到着。イベントに影響は出ず

・コロナの影響で次便に振り替えられ、闘道館イベントに出演できず→早朝出発予定が、チェックアウトまでパンフ作業ができる

・帰り便が欠航、ニコプロ×水道橋博士番組に出演できず→待ち時間ができ、パンフ作業に最後まで携わることができる

・再び空港まで迎えにきてもらい迷惑をかけてしまう。釧路で1泊する→最後の最後で着陸成功。その日のうちに帰れる

 

何もかもが、ギリギリのところで大ごとにはならなかった。これはもう、サムソン宮本さんによる仕業としか思えないのだ。

 

その日のうちに帰京できたため、翌日の文章講座も当初の予定通りにおこなえた。ただ、無事家に着いてからもいたずらは続いた。19日の報告会用映像を確認すると、雑観やオープニング映像、入場式、そして第1試合とエンディングの締めのあとはあるのに、メインのアンドレザ・ジャイアントパンダvsキラー飯と、巨大化したサムソン宮本…ジャイアントサムソンの登場シーンがスッポリと収録されていなかったのだ。

これが見られなけれな報告会も成り立たないため、恥ずかしながら新根室の方で撮っていた映像をお借りすることに。オッサンさんは「何やらいたずらが続いておりますが」とLINE上で笑った。ここでも最悪のケースは免れた。

 

長く生きてきて、こんな2日間は経験したことがない。以上を踏まえて、9月19日の闘道館における報告会も宮本さんが喜びのあまりはしゃげる新根室らしい内容にするつもりでいる……と、必要以上の長文を最後まで読んで皆様が思ったことを、私自身が代弁する。

 

「宮本さんのいたずらとか都合よく言っているが、要はあんたが体たらくでズンドコなだけじゃねえか!」

 

というわけで、お次は「無理しない、ケガしない、19日は報告会!」で宮本さんとお会いしましょう。

 

 

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