バカとか言ってごめんなさいなんですが、こういう人っていますよね。


日本では英語とか外国語に対する耐性がなさすぎて、というかコンプレックスがある人が多くて、

英語が話せる=頭がいい or 仕事ができる

認定されていることがあると思う。

もしくは仕事ができなくても英語さえできれば許される、的な。


ただの一つの能力に過ぎないのに。


たとえばExcel得意だよ、とか

電話対応得意だよ、とか

お皿を一度にたくさん持てますよ、とか

とレベルによっては同じ話じゃない?と私は思うんです。


今の世の中、完璧ではないもののGoogle翻訳だってあるし、web上にも辞書もたくさん転がってるので

仕事ができるというか、わからないことでも自分で方法を調べて邁進していける人はメールの返信に関してなら「私英語苦手です」とか言っててもなんとかやっていける。

電話で込み入った話は無理かもしれないけど、面と向かっても身振り手振りや指差しできるものをとっさに用意したりとか、なんとか対応してるんです。


もちろんその人がコミュニケーションツールとして英語なりその他外国語を身に着けたらもっと効率的に仕事を進められるかもしれないけど、いま自分が持っているツールで仕事を進めるという努力についてはもっと評価されてもいいのに、と個人的に思うんです。

おそらく最初はTOEICのスコアを見て採用されたであろう私のような人間にとっては、英語だけで評価されるってのはありがたいことではあるんでしょうけど、なんか個人的な正義感?というかそういう感情では見ててモヤモヤします。


そこで最初の話に戻りますが…

英語だけできるバカ。


たぶん英語力がなかったらこの仕事のできなさではもっと肩身が狭い思いをしたであろうという人。

あまりにも何度も同じことを言われるのに改善しない、というか言われたこと忘れちゃうのでメモ取ったらいいと思うんですけどそういう人に限ってメモ取らないんですよね。

注意すると神妙な面持ちではいるんですけどね。

それでもメモ取らずに短いスパンで同じこと繰り返すってのは反省してるふりさえすればこの場をやり過ごせると思ってるからなんだろうな…とぶっちゃけ嫌悪感すら覚える。


私の同僚は神妙な面持ちつくったりして、周りからかわいそうと思われることには長けてるので、普段の仕事ぶりを知らない人や長い物には巻かれろ系の人は深く彼女の仕事ぶりにツッコまないんですけど…。

まじでストレスたまるなぁと思ってたところ、全然彼女と仕事で絡んでないおじさんが「彼女は典型的な英語だけできるバカ。何度も同じこと言われて反省してるふりしてるけど、その後何も対策してないってことはやっぱり本当の反省じゃなく反省してるふり、で俯いときゃやり過ごせるって思ってるんだろうね。」と私の気持ちを代弁してくれまして。

あー…なぜ本当にこうやって観察力のある人が私の上司ではないのだ…。

なぜ彼のように周りを見られる人を役職定年してその他大勢のただ座って何もしないおじさんと同列にするのだ…。


なんだか余計世の不条理を感じたのでした。



あ、でも本当にまだきっとしばらくは日本にある日系企業で働くならとりあえず英語力があるよってアピールさえできれば他にできることアピールできなくても仕事はみつかるんじゃないかって強く思いました。