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右山喜丸が紡ぐアドリブトーク

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十月二十三日(木)雨

涼すぅい~なぁ~。
ぅれっすぅい~なぁ~。

写真は生産者さんが直送してくれた野菜をやんやしてるの図。


ちょっと前回のヤツは飛ばし過ぎたかなぁ。

ほんでも「所有」っつーコトバに対する……何?……イメージ?ての?
コレ、各々でね、見つめ直すと面白いと思うのよ。
僕が言う道筋じゃなくて当然いいしさ。

ホント…こぉ…な?
「所有」の概念が働き出すとさ、
コレマタ「権利」っつー概念が出てくるやない?
この「権利」でちょい書いてもいーんスけど、今日はどーかな?
書くんやろか?



ま、とりあえず書き進めてみましょう。



「所有」のコト、ちゃんと書いたんかな?
んー…書けたかどーかわからんけど、
やっぱり「所有」はフィクションが過ぎる。
どーもリアルじゃないもの。

うん…とぉ、
例えば前回、
所有に照らし合わせて恋愛で書いたじゃない?

ノスケ氏が「アレわかりやすい」って言うてくれてさ。
なわけで今回も恋愛を使って書いてみるけど、






告白して、恋愛して、別れんじゃん。

でもこう書くと面白くない?

所有したいと思って、所有したと思って、失ったと思うワケやんか。

コレさ、こう書くと
何にも起きて無いよーな気がせん?

実際、所有も出来て無いしさ、失った、っつっても…ねぇ。

人でもモノでもさ、
「所有」的な概念で関係持ったら、なんか、お互い「芯を食った付き合い」にはならんごたるわな。

んーと、
随分前にも書いたけど、
恋愛……に限らずさ、結婚でもそーやろーし、まぁバンドとかでもそーなんかも知らんけど、

「最初に契約した形での関係続行が、これ以上無理になったから」別れるワケやん。イヤ色々とございましょうが大体よだーいたぁ~い。

でもさ、

んんんん~……「別れる」のって、
可能?
世界つながっとるからねぇ。
もーコレ「信念」の話やなぁ。

愛が無くなるってワケやないと思うのよ。
「別れる」って、そばにおらんよーになるてコトやろ?早い話。



そんなの、なんてコトぁ無いやん。



「んなコトぁ無いわ!別れて清々した!二度とあんな奴、顔も見たくないわぃ!」

なんて言う方もいらっしゃるかも知れませんが、

よぉーく省みればソレも愛なんだと思うよ。

一緒におるのが辛い体験に変わってしまって、んだから「関係を降りた」だけでさ、
針が反対側に振れただけで値は同じやん。
「気にかかっとる」んよ。離れて無いし、別れてないんよ。

愛は「持続」するモンなんよ。
本人が認めよーが認めまいがさ。

「所有感覚」が終わっただけなのな。

うん。照れたりとかせんでね、
「ぶっちゃけ愛ってなんのコトやろかぁ」
みたいのを考えたり意識したりせんと、
変な話、

自分自身「愛のある」行動をしとっても、
自分でわからんのよ。
僕そんな人、よぉ見るわ。
なんか「怒ったつもり」「憎んだつもり」でいらっしゃるみたいやけど、
なんか…なんかかわいーぞお前。

だから、
だから?
僕よくこう考えたりする。

たくさんのカップルや夫婦が別れたコトになっとるけど、

本当は「関係の形」が変わっただけでね、
続いとるんよ。
全ての別れたカップル達、夫婦達の「愛」っての?
つながっとると思うなぁ。
持続しとるんやと思う。

何度も言うよーやけど、
終わったのは「所有感覚」だけでね。


だからハナっから「所有感覚」とかじゃなく関係が始まるなら、なんかめちゃくちゃ有意義な気がするな。
お互いの「機能してる命」を認め合えて、さ。

その為にも?「自分は無条件で周りから愛されてる認識」って有効やし、

「自分を無条件で愛する」ってすごい偉大な作業のよーな気がするんスわ。

だからこそ?
んー……だから「自立した存在」同士として認め合えた関係を続けられたらね、

こりゃ1足す1が10にも100にもなりますわな。
ラリルレロってソレやったなぁ。

ほんでも、
やっぱり…僕も経験上言うけどさ、
「所有感覚」って出てくるよ、なんか。

相手を自分のカバンに収まり易い形に変えようとする場面て、あるよな。コントロールやんかソレ。
僕だって今だにあるもの。

…本当ダサい。

きゅーーーーくつぃ!
窮屈かぁーっ!

そんなの一人で1だった頃より断然に小さくなるもの。
まったく創造しとらん!怠慢や!

ほんでね?

ほんでよ!

それ誤魔化すため…っちゅうかなんちゅうか、
緩和?する為とかに「楽しいコト」を探して「楽しいコト」をしたりしてさ。

…それも必要なんやろーけどさ、なんかさぁ、
ぶっちゃけ僕もぉそんなん全っ然楽しない。

全っ然おもんない。

もう面白がってもやらんもん。
むしろ悲しくなるわぃ。

「楽しさ」みたいのをバカにしとるよ、そんなの。
ストレス発散やんか。

笑えば楽しいっちゅーモンでも無いやん。
ソコも…「笑う」てコトもなんか誤解されたまんま社会は回ってしまっとる気がするなぁもお。

ねじれてねじれてしとるんよ。


ホン~に解きほぐして考えて行けばさ、

自分の機能を見落としがちよね、人って。
「当たり前」になっとるんよ当たり前やけど。
普段の自分を賛美していーのよ。
反省もまたよかろーさ。
「自分の可能性はこんなモンやない」って気構えが無いと反省なんて発生せんからね。

でもソレも行き過ぎたら罪悪感になったりする。ほんでそんな人の多いコトよ。


罪悪感とかなんの役にも立たん。


大体が楽なんよ罪悪感って。手抜きよ。

創造せんでいーんやもん。孤独が足りんわ。

そんなん考えよったら、
なんか、あんま気心の知れてない人と接するのって可能性ある気がしてきたりするよ。
他人行儀の仲ってのも涼しくていーモンや。

そんなんして新しい関係が、新しい自分の栄光が広がってくんやろーしね。

そーな。

ここ、もうちょっと書こう。


例えば
友達がタンスの角に足の小指ぃガーン!ぶつけたとするやん?
悶絶しとるのを目の当たりにするコトとかあるやん?

痛そうやんけ。

自分もやったコトあるからわかるやん、あの痛さ。


例えば
友達が酒飲み過ぎて、たち悪くなって、クダまくわ暴れるわして、
翌日会ったら何にも覚えてなくて、
昨夜ソイツが言ったコトしたコトを本人に教えてあげたら、顔色なくして平謝りしたりするやん。

あれキツイやんけ。

自分もなったコトあるからわかるやんあのキツさ。


自分の中の素晴らしさを自覚してなくて、
他人の素晴らしさなんて、わからんやんか。

花を「美しい」と思う気持ちを持ってなかったら、花が咲いてても目に入らんやんか。

基準になる「自分の素晴らしさに対する知」は、
広くければ広いほど、
深ければ深いほど、

他人を賛美する時にものすごく機能するに決まっとるやんか。

世界の素晴らしさに共鳴する回数も度合いも上がるやんか。

自分を下げて、他人を上げるぅーなんて、「媚び」やんか。そんなんバレるよな?

僕、「右ヤン人を褒めるの上手いねー」てよく言われますよ。

何をか言わんや、でしょ?

僕、
本当ぉぉぉぉおおおおおおおおおっにっ!

自分って素晴らしいな!僕ほどの天才を僕知らんわ!
愛に溢れ、機知に富み、ユーモアがあって、馴れ馴れしくなく、欠点をたくさん経験してるから他人の痛みもわかり、不完全を自覚してるからこそ他人と共に成長しよーとし、それが新たな完全に向かう循環となり、
その道中をまた愛、喜び、ユーモアで共に歩ける能力も備えてて、

もう僕はスゴイんですよ!素晴らしいんですよ!愛の権化、神の子供、地球の映し鏡、全宇宙のダイジェスト生命体なんだなぁ~、って

毎秒思ってますよ。

思えん日もあるけどね、それだってそーゆー日があるから、また思い出せた時の恍惚さが快感なんやんか。

こんなん、自分褒めるのに、世界を賛美するのに、「道徳」とかいる?

違うんよ違うんや。

自分も含めた「世界の美しさ」を感じる心、共鳴する魂の働きを
「道徳心」
って言うんよきっと。
「感動」の別名やん。

自分の心の動きを正直に受け止めて、
自分の中から湧き上がる「何か」の生音を、劣化させずに気持ちのスピーカーから増幅させる。
それが「感情」なんやん。

ソレが「悪」と呼ばれたって、それが何ほどのモンや!

こーゆー時にはこー思うべき、
こんな時はこんな表情をするモンとかは「教えられた反応」でしかない。
道徳のガイドラインとかルールブックとか、
そんなモノは感情と全く関係ない。


そんなモンが創作の真ん中に座ったら面白くないに決まっとる!

コブクロはもっとはみ出ろ!

でもソレがやりにくいんや今の「社会」は。

「無条件の愛」を感じにゃ。与えにゃ。

仮に宇宙にもし「義務」があるとしたらソレよ。

支えて支えられながら、
自立した存在が「機能」しとるのを想像してみぃさ。
もー僕ぁ想像しただけでワクワクするわぃ。

ほんでそれが自分を無条件で愛しながら、無条件で愛されながら、
環境の変化に「順応」していくのを想像してみぃさ。
「正義」の名の元とかや無いで?

より完成基準を上げた愛を発露したいからやんか。

これが「創造」じゃなかったら何が創造や!言う話やん。

んでさらに!それが「持続」してってみーさギャハハハハハーだ。バッカでぇ。

もぉ…な?

所有とか…もぉ…こぉの…チンコロこまーい概念でケンカしたり領土がどーとか、資源がなんやらとか…、制空権とかネーミングなんとかならんのかいホント。
空想で空に線引いてアンタ、はみ出たのはみ出てないの……
スクランブルて…で殺し合いとかムチャクチャやん…。

シケとぉー。ホンんんんんんにっ!

シケてんなぁ。
シケー。シケとんしゃあ…もぉ。



なんかもっとあるやろ!人間!!



あーーーっ!!面白腹立つっ!!

そっちの筋に行ったら煮詰まるのわかっとるやんか。
何回楽曲壊しとるんよ、もぉ…。


イカンイカン長くなったわっ。




冬はいいにゃ~。
お出かけしたくなるんだわっ。







皆さん御役目ごくろーさま

































十月十九日(日)晴れ

写真はウチの店、
「ムサシノ野菜食堂miluna-na」のランチメニュー。

野菜がたくさん食べられて、野菜の下には雑穀ご飯が敷いてあって、
ま、野菜ドンブリですな。

真ん中の温泉卵をトロリと割りぃの、
自家製のマイルドなドレッシングかけぇ~の、
辛さを少し抑えた自家製のラー油をかけぇ~のでバクッといくんですよ。

コレ、んまいのよ。
んまんまよ、んまんま。

野菜、に限らずやけど、
食べなかったら野菜は野菜のままなんだろーけど、
食べたら「僕になる」ってのがスゴイよな。

そんで栄養素は吸収されんじゃん?
残りはウンコになるの?

吸収された栄養素も、身体を作った後はやっぱりウンコとか垢とかの老廃物とかになって体外に出るでしょ?

でコレ土とかになるの?海に行けばプランクトンとかのエサになるのか。

で、これまた植物の栄養素になったり、海の動物が食事したりして、

コレ、
いつ「無くなる」んやろか?

イヤ野菜であるコトは無くなるし、
その後ウンコになってもウンコであるコトも終わる。

でも形を変えとるだけで、さ。

「無くなる」コトってあるのかね?

「死」が「無くなるコト」ってんなら、
厳密に言えば物質的に「死ぬ」って難しくない?
難しい……てか……死ぬの、可能?

今の僕の身体も、
ちょっと前までは植物とか動物とかの誰かの身体やったんでしょ?

僕のはずなのになぁ。

このように?
僕の身体は持続できているが、所有はできてない。僕でさえも。

コレって、
「僕って所有してるなぁ~」
と思ってる「僕」って
僕のナニが思ってんすかね?

脳?気持ち?心?

うん。

僕を「僕」と思う力点。
「他の誰か」ではなく「自分」だと思う力点。

この「点」がね、
んーと、
わかりやすく言えば多重構造になっとるんかな?
ゴルフボールの断面みたいなモンよ。地球の断面でもいーか。

普段よく言われてるのは「自我」よね。

僕を「僕足らしめるナニカ」。
コレ「自我」って習ったな。

でもコレ、ゴルフボールの表層のよーな気がする。
その「表層のトコロ」で、所有を感じとる気がする。

でもその奥は………。







ちょっと……またまた遠回りになるけど、コレも最後だ。書いてしまおう。

星の成り立ち、の話。

爆発した星のカケラやら、それこそチリみたいなモンやらが漂っとるワケやん宇宙空間て。

それがワラワラ集まる吹き溜まりみたいな場所があって、
そこに吹き溜まっとるチリやらカケラやら自体がそれぞれ磁力みたいなモンを持っとるでしょ?

なもんでそいつらが集まった所に「磁場」みたいなモンができ始める。

なんかあっちに小さい集合が出来たり、そっちに大きな集合が出来たり、
なんか複雑な「流れ」みたいなんが、吹き溜まりの場所でゆーらゆら出来始める。


そーこーしとる間に一つの力点が生まれる。


一箇所に強い地場の力が生まれて、そこにチリやらカケラやらが集まり出して強い強い磁場の点が出来る。

そーなるとそれは重力の点になって、周囲のチリ、カケラを身にまとい始める。

それはだんだんと大きくなり
やがて一つの星を形成する。





その星の「表面」、地表が、
僕がイメージする「自我」なんや。

目に見えるわかりやすい精神……っつったら言い方が変か?

自分のコトを自分と思っとる第一段階。
ここが「自我」だと思うんよ。

でもホントは「重力」なんよ「自分」て。
「真我」って言い方もあるみたいやけど、
僕が思う「魂」って、魂の点?って、上記の例で言うたら、
吹き溜まりン中に出来る最初の「重力の点」のポジションなんよ。


魂がわたしだ。

わたしは有る。



ソコが無いと心も無いのよ身体はもちろん。

ほんで、チリやらカケラやらに置き換わるのが、
「霊」なんや。幽霊と違うよ?

…なんて言えばいい?

「愛」でもいーのよ。僕が思う「愛」てなんかそんなよーなコトなんよ。
「愛情」ってのは、その「愛の粒子」みたいなモンの振動を、生き物が自分の暮らしに役立つよう翻訳したよーなカンジよ。わかる?わかれっ!



その「魂の点」、
言わば「最初の重力」に向かって集まってくる
チリ、カケラ、つまり「霊」ね?「愛の粒子」ね?
が引き寄せられてる。毎瞬毎瞬。

集まって、重くなって、速度が落ちた部分が顕在化するーーーー
ーーーー相対性理論の原理よ。
光速を超えた物質の質量はマイナスになる。
つまり「消える」のよ。
逆に言えば光速より速度が落ちたエネルギーは物質化するのよ。

すなわち「身体」よ。

で、身体の周りにはまだ速度が落ちていない、顕在化していない身体がある。

それがよく言われる「オーラ」とか「パーソナルスペース」とか言うモンで、

だからぶっちゃけ言えば
そこいらへんまでが、身体も込みでそこいらへんまでが
「魂」
なんよ。

身体は魂の入れ物やないのよ。

逆よ。

言うてみたら「魂」の方が身体の入れ物なんや。魂の中で身体は機能しとるんや。

つまり、なんもかんもサカサマなんよ今言われとるよーなコトってのは!ウケるし腹立つ!


……わーぁー………。
もう持続とか超えて来ちゃったけど…まあ書き進めてみよう!うん!


だからさ、
このコトを「水分」とかの例で前によく書いてたけどさ、

魂の中心点に愛の粒子がワー集まって来て、
身体も込みの「わたしっつー存在」になるやんか。
オーラ的な、パーソナルスペース的なモンがフワ~と身体のまわりにあるわな?

で、

それに「切れ目」て無いやろ?

んとー、
「匂い」みたいなモンやんか。

カレー屋があってカレーの匂いがしよる。

でもカレーの匂いが「ココで切れる!」みたいのって無いやん。

薄くなるよ?薄くはなるけど、
無くなりはせんやろ?
薄くなったあたりから、また別の匂いのイントロが小さく小さく始まって、
歩いてったらソースの匂いか?みたいになって来て、角を曲がったらお好み焼き屋があった、みたいになるワケやん言うてみたら。

コレぇ……

僕と景色は続いてるってコトやん。

「濃いトコロ」が僕だったり木だったりブランコだったりしとるけど、
濃いからそれぞれソレに見えるだけで、

つながっとるやろ?

「世界はひとつ」てスローガンとかや無いのよ。
ONE LOVE ONE HEART って、気の利いた歌詞とかやないのよ。

見たまんまそのまんま
「世界ってひとつ」
なんや、ウケん?

ココであえて僕はこのコトバを使う。

これが「リアル」な実相なんよ。知らんけど。

そーとしか考えられん。今んとこ。




あー、
だいぶ話がそれたっぽい。
でもそれてないもんね。

僕、ウクレレ持ってるけど、
「僕のウクレレ」ってそりゃ言うよ?
僕はウクレレを所有してるって言うよ。

でも…なんての?

そんなコトバも浮世の義理よ。
この世に棲む為の税金みたいなコトバよ。
そーゆー風に言わにゃ、……普段話とか出来んやん。

でも僕もウクレレも地続きなんだもの。

ヒジがツメを所有しとらんもの。
海水が波を所有してるとか言わんやろ?

そーなんよ、そーなんやけどぉぉぉ!

もうそんなん言いよったら生活出来んやんか。



「持続」て言ったら「時間の経過と共にある存在として、変化しながら在り続ける」みたいなイメージあるけど、

上記の例で言うたら「空間の広がりとも、共に存在が変化しながらつながり続ける」コトでもあるやんか。

時間の上でも持続しとるし、
距離的な空間的なコトでも持続しとるんよ。

もう「何」が持続しとるん?て話よ。
世界はひとつなんやもん。

「風」と地球の大気の流れ、みたいなモンよ。

ココからココって明確に区切れんワケやんか、ひと繋ぎの世界を。
それを何かひとつ取り出して
「コレ持続してます」
ってホントはおかしな話でね。

言わんや「コレ、所有してます」って……。

「世界はひとつ」って言うけどさ、
「空間もひとつ」で
「時間もひとつ」なんやんか。
……もーわからんでいい。わかるヤツだけ、わかるトコロだけ取っといて。

つまり、

時間も空間も
全ての時間、全ての場所に、全ての世界があるんやんか。
全て全てがひと繋ぎ、全ての時間がひと繋ぎなんや。

全てだけ、しかないんよ。

「瞬間」

なんやろーね。

バーン!!ほらここに全部出来た!
最初から最後まで、起こりうる全ての宇宙のパターンが

「瞬間」の中に全てあるんよ。
それの別名が「永遠」なんや、きっと。

で、ソレ「神様」やんか。

僕ら「神様」で出来とるのよ。


多分「時間の謎」が一番解きやすいんだと思う。
時間ってひとつしか無いんよ。
んで、
前っから言う話なんやけど、
それしか無いんやったら、それは「無い」と同じコトなんや。

でもそれじゃこっちの世界じゃ生きていけんのよ。「今んとこ」。

僕が思うマヤ暦の終わりって、時間の概念の終わりのコトと思っとる。

まだね?
まだ便宜上、
僕とあなたは別々の存在ってコトにしとかんと。

なんの為の「便宜上」?

コレが多分今回のブログのキモなんでしょう。


…と、なんやかやぶっ飛ばして書きましたが、
そう思ってますのよアタシャ。

ほんでアタシャ右ヤンなんですよ。
「そー思ったらそー生きちゃう」トコロ、あんのよ。

…したら、


平和で、
仲良く、
創造的な世界。


そうなるようにしか世界は出来て無いのに、

ある意味「人間の創造力」てスゴイわ…。

なんの為に「ケンカ」が存在するのか。
なんの為に「意見の相違」があるのか。
なんの為に「暴力の行使」があるのか。
なんの為に「自由意志」があるのか。



「したいコト」



って、なんやねん。


とね。

人間の「動機」に視点があってきた。

ひと繋ぎの世界をコマ切りして、それを手に入れるコトを「所有」と言うなら、

「したいコト」ってのも、
ひと繋ぎの世界から分離した身分での「行動の所有」みたいな側面も大きくあるもの。



「動機」がどっから来てるのか。


自分に向き合わにゃイカン。

深く、深く。




ららー。
またまた散らかりっぱなしで長くなっちゃったわっ。





皆さん御役目ごくろーさま


































十月十七日(金)晴れ

写真は今年の夏に自宅テラスで飲んだ一枚。
文句タレの僕もこの場所で飲むのは嫌いでは無い。
喜びテラスでございます。



僕もこの歳になるまで割と結構な回数の引越しをしておりまして、前は
「どーせ家賃払うんなら分割でマンション買ったがいーのかな?」
なんて思わないでもなかったんですが、
今となっては借家住まいの気軽なコトよ。



僕は昔、モノが好きでねぇ。
今もあるのかな?monoマガジンとか好きだったなぁ。
自分の部屋をカッコ良くしたいなーと考えたり、
サングラスとか指輪とか、ブレスレットとかネックレスとかも好きでね、
帽子やらなんやら、
欲しい欲しいぃー欲しい欲しいぃー言うてました。

それがいつからかプッツリそんなんが無くなった。

それは多分、引越しが多かったからなんですかねぇ。
引越しのたんびに荷物を処分してって、
よくよく考えれば、いらんモンばっかで、

「あらゆる状況を味わえる感性」
「味わったモノゴトを表現する動き」

だけあれば、あと何かいる?みたいになったごたる。

僕が僕であるだけでいーやないか、と思うようになった。

で、多分
今ソコに磨きをかけとる最中の、こんなブログなんでございましょう。



そーなぁ。



「持続」…、「所有」…。


うん。


僕が「欲しい星人」だった頃、
…そーなぁ…

革ジャンでも、あ!ドラムセットでもそーやったけど、

「コレ手に入れたら一生ずっと楽しいわぁ。ずーーーっとコイツと一緒におるんだわぁ」とか思ってたモンですよ。わははははは。かわいいけどアホですな。

なんでアレ「自分のモン」にしたいんですかねぇ。

コレ若い恋愛にも似てますわな。

「手に入れたい!」みたいな。
「一生一緒におるんだわぁ」みたいなさ。

で、まぁ上手く?行くカップルもおりますけど、
だいたいが別れますわな。
最初の恋愛でそのまま結婚して、ケンカもせんとずーーーっと仲良しーなんてナカナカ無いやないですか。

僕でも何人かとカップルになっちゃー別れなっちゃー別れしてますからね、
今までどれだけの数のカップル、夫婦が別れたんでしょーなー。

別れんまでも、
シラーっとしたまま続けてるカップル、夫婦もおりますよ。

そんで「私の彼」とか「ウチの奥さん」なんて言いよる。

……なんか不思議なんですよね僕的に。

んっと……、

ラブラブでね?チュッチュチュッチュしててさ、イチャイチャしてさ、ベタベタぁ~なさ、
アレ、最初楽しいやないですか。恋愛初期。

ほんでも、そぉーそぉーはそおしとられませんわな。
飽きるやん。

さてその「飽き」を
「イチャイチャ」に飽きたのか、
「相手」に飽きたのかーみたいのが、まぁ意識の分かれ目みたいなモンやと思うんスけど、

まー「相手」に飽きたんならね?そりゃもう早くも末期なんでしょうが、
「イチャイチャ」に飽きたのなら、その頃から、
なんかこぉー、ホントのスタートラインての?

無条件で気持ちいい「盲目」から目が覚めて、
相手の輪郭みたいなモンがシャープにクッキリしてきて、ね?
僕ぁしたコトないからわからんけどお見合い結婚した人達が
「結婚してから恋愛した」
みたいなコト言うやない?

あのラインに立つんやないか?と思うんやけど。

だからね、
恋愛は冷めてからですよ。
冷めても美味しい料理にせにゃね。



かしこ









イヤイヤそんなんが言いたいワケやなくて、

んとぉー、

そーか。

最初は「無条件で愛せる」と思うんやろな、きっと。
なんか…「頑張る」んやろう。頑張ったんやろうきっと。

永遠の愛的なコトを思ったりしたんやろーなぁ。

それがいつやら変化して、
条件付きの関係になってくる。

前はあんなにイチャイチャだったのに。無条件にチュッチュチュッチュしとったのに。

「俺はこうしてるんだからお前もこうしろよ!」なんてコトバが出てきたりする。
「私がなんであーしたかわかる?アンタがそうしてくれないから仕方なしにしたんじゃん!」なんて。

交換条件が顔を出してくる。

こんなんが場合によっちゃあ「冷めてきた」的な自覚のキッカケになったりするんでしょうなぁ。

これもねぇ、
「ありのままを愛する」ってイベントに、子供の頃から慣れ親しんで無いからやって僕なんかは思ったりする。

善意だろーが教育だろーが、
子供の頃に付き合ってきた親、先生とかの、
「教えてくれる大人」達って、
やっぱりこっちに交換条件で接してきてたもん。

「人付き合いってそーゆーモンだ」って、思ってしまうよな。子供なんだもの。

もちろん僕だって普段からそーゆーコト?交換条件とか言って、場合によっちゃあ自分のそーゆートコロを苦々しく思い返してたりする。よくする。


でも僕はイヤだったんスよ。イヤなのよ。



自分も含めて、
人が「こーゆー時はこーゆー風にする」とか決めてるのがイヤなんや。

「そーゆー時は普通こう感じるモンだろう」ってのが、

ほんっとにマジで、げにまっこと好かん!
そんなんギャグやん!…だからギャグやったらいーのよ僕。
笑い話としては意識的にそんなコトも僕言うたりするけど、

ガキの頃の大人達、あれマジで言うてたからな。
今も、僕や僕の周りでも無意識に言うてる人達、少なく無いからな。

今さら怒ったりはせんけど、
僕ソレ違うと思う。

そんなの「常識」とか名付けるの、なんかやっぱ違うよ。

……話を元に戻すけど、

恋愛の始まる前、
当の二人はそれぞれ「機能」してた。
本人として機能してた。

ソレを認め合ってくっついたハズやったのになぁ。

そんで恋愛始まる。
「俺の彼女」「アタシの彼」
みたいな関係になって
「順応」が始まってく。ソレが「持続」してく。

ハズなんやけどねぇ。


最初の段階の「本人として機能してる」ってトコロからして怪しい。
機能に関しては道徳と対にしてすでに書いた。

交換条件で育てられたイチ個人が、
「ありのままの自分」とか「相手を思いやる気持ち」のようなモノを、
道徳っつーガイドラインと見比べながら自己査定しとる側面がデカ過ぎとるんやなかろーか?

その時に湧き出た「感情」と向かい合って、
誰かがこしらえた道徳ガイドラインとか関係無しに
「自分を権威として」
話したり行動したり、すなわち
「機能する存在」
としての在り方で生きとるんやろか?

そもそも「感情」って、見つけるの難しいでぇ~。
だいたいが自分で「感情」って思ってるのって、よくよく見れば「反応」であることがほっとんどバイ?

感情はその奥にある。

自分でもわかっとらんのよ。コレ「コツ」みたいのがあるんよ。

それは、
少なくとも僕の場合は「悪」になるのも承知で自分に向き合わないかん。


僕は周囲を見渡して、
つまり「社会」を見る限り、そんなんしとるよーにはじぇんじぇん見えん。
怪しいと言わざるを得ん。

心の声を封印とか虚飾とかして
「ステキな発現」
を心がけとる人がストレス満タンになりながら、
今さらステキ以外の振る舞いも出来んごとなって、元の輝きが変色しよる人とか、
僕が見る限り少なく無いね。

特に「表現者」に多いね。

こないだ自殺したETキングとかいうグループの子とかそーじゃないのかなぁとか思ったりする。

それどころか、
いわゆる「アーティスト」に限らず、さまざまな職種の人達が「表現者」の自覚を持って毎日を生きてる社会にすごくなってる。

このコト自体は僕はものすご嬉しいコトなのだが、もうすでに
「ステキのガイドライン」
が固定され始めとるのが、もぉ今から気に食わん。

ステキな振る舞いってのが、人をギューギュー締め上げる段階がもうソコまで来とる。

こんなん「持続」の正反対のモンやけんね。

そんなのの最たるモンが、
コレ恋愛の始めの頃なんやなかろーか?

モテたいやーん。

好かれたいやーん。

難しいコトバで言わんかったら早い話、
「いーカッコ」するやんお互い。

その「いーカッコ」同士が、
「ありのままのお互いを認め合う」
とか、ムリやん。

………コレ、恋愛を例えに話しよるけど、社会全般においてその要素多い気がするなぁ。


「俺の奥さん」とか言うやん?
「私の彼」とかさ。
「俺の子供」「私の家」「俺のギター」「僕らの国」「私たちの地球」

………うん。

いや便宜上こういう言い方にはなりますよ。こーゆー風に言わにゃ話しは始まらんわな。

でもね?
自覚はしとかにゃイカンよ。
コトバに呑まれとったらイカン。

上記の例を一つ挙げたら
「地球」っていう存在は「地球自身」に属してるのに、
僕らは「自分に属した、自分達が所有しとる惑星」みたいにいうやん。

彼氏彼女もそーよ。

彼という存在、命は「彼自身」に属してるんであって、彼女の所有物では無いのよ。当たり前やけど。

当たり前、なんよ。

ありのままで愛し損ねてる僕ら人間は、
「命の根本機能」である持続性を表そうとして
「所有」
を打ち出してしまう。

大切な存在を
自分の手元で「持続」させようとして
「所有」を掲げてしまう。

……窮屈やぁ。

キューーーーークツっやっ!!!





ちよっと「死」まで行かんな。

長くなってきたんで切ります。






皆さん御役目ごくろーさま