十月二十三日(木)雨
涼すぅい~なぁ~。
ぅれっすぅい~なぁ~。
写真は生産者さんが直送してくれた野菜をやんやしてるの図。
ちょっと前回のヤツは飛ばし過ぎたかなぁ。
ほんでも「所有」っつーコトバに対する……何?……イメージ?ての?
コレ、各々でね、見つめ直すと面白いと思うのよ。
僕が言う道筋じゃなくて当然いいしさ。
ホント…こぉ…な?
「所有」の概念が働き出すとさ、
コレマタ「権利」っつー概念が出てくるやない?
この「権利」でちょい書いてもいーんスけど、今日はどーかな?
書くんやろか?
ま、とりあえず書き進めてみましょう。
「所有」のコト、ちゃんと書いたんかな?
んー…書けたかどーかわからんけど、
やっぱり「所有」はフィクションが過ぎる。
どーもリアルじゃないもの。
うん…とぉ、
例えば前回、
所有に照らし合わせて恋愛で書いたじゃない?
ノスケ氏が「アレわかりやすい」って言うてくれてさ。
なわけで今回も恋愛を使って書いてみるけど、
告白して、恋愛して、別れんじゃん。
でもこう書くと面白くない?
所有したいと思って、所有したと思って、失ったと思うワケやんか。
コレさ、こう書くと
何にも起きて無いよーな気がせん?
実際、所有も出来て無いしさ、失った、っつっても…ねぇ。
人でもモノでもさ、
「所有」的な概念で関係持ったら、なんか、お互い「芯を食った付き合い」にはならんごたるわな。
んーと、
随分前にも書いたけど、
恋愛……に限らずさ、結婚でもそーやろーし、まぁバンドとかでもそーなんかも知らんけど、
「最初に契約した形での関係続行が、これ以上無理になったから」別れるワケやん。イヤ色々とございましょうが大体よだーいたぁ~い。
でもさ、
んんんん~……「別れる」のって、
可能?
世界つながっとるからねぇ。
もーコレ「信念」の話やなぁ。
愛が無くなるってワケやないと思うのよ。
「別れる」って、そばにおらんよーになるてコトやろ?早い話。
そんなの、なんてコトぁ無いやん。
「んなコトぁ無いわ!別れて清々した!二度とあんな奴、顔も見たくないわぃ!」
なんて言う方もいらっしゃるかも知れませんが、
よぉーく省みればソレも愛なんだと思うよ。
一緒におるのが辛い体験に変わってしまって、んだから「関係を降りた」だけでさ、
針が反対側に振れただけで値は同じやん。
「気にかかっとる」んよ。離れて無いし、別れてないんよ。
愛は「持続」するモンなんよ。
本人が認めよーが認めまいがさ。
「所有感覚」が終わっただけなのな。
うん。照れたりとかせんでね、
「ぶっちゃけ愛ってなんのコトやろかぁ」
みたいのを考えたり意識したりせんと、
変な話、
自分自身「愛のある」行動をしとっても、
自分でわからんのよ。
僕そんな人、よぉ見るわ。
なんか「怒ったつもり」「憎んだつもり」でいらっしゃるみたいやけど、
なんか…なんかかわいーぞお前。
だから、
だから?
僕よくこう考えたりする。
たくさんのカップルや夫婦が別れたコトになっとるけど、
本当は「関係の形」が変わっただけでね、
続いとるんよ。
全ての別れたカップル達、夫婦達の「愛」っての?
つながっとると思うなぁ。
持続しとるんやと思う。
何度も言うよーやけど、
終わったのは「所有感覚」だけでね。
だからハナっから「所有感覚」とかじゃなく関係が始まるなら、なんかめちゃくちゃ有意義な気がするな。
お互いの「機能してる命」を認め合えて、さ。
その為にも?「自分は無条件で周りから愛されてる認識」って有効やし、
「自分を無条件で愛する」ってすごい偉大な作業のよーな気がするんスわ。
だからこそ?
んー……だから「自立した存在」同士として認め合えた関係を続けられたらね、
こりゃ1足す1が10にも100にもなりますわな。
ラリルレロってソレやったなぁ。
ほんでも、
やっぱり…僕も経験上言うけどさ、
「所有感覚」って出てくるよ、なんか。
相手を自分のカバンに収まり易い形に変えようとする場面て、あるよな。コントロールやんかソレ。
僕だって今だにあるもの。
…本当ダサい。
きゅーーーーくつぃ!
窮屈かぁーっ!
そんなの一人で1だった頃より断然に小さくなるもの。
まったく創造しとらん!怠慢や!
ほんでね?
ほんでよ!
それ誤魔化すため…っちゅうかなんちゅうか、
緩和?する為とかに「楽しいコト」を探して「楽しいコト」をしたりしてさ。
…それも必要なんやろーけどさ、なんかさぁ、
ぶっちゃけ僕もぉそんなん全っ然楽しない。
全っ然おもんない。
もう面白がってもやらんもん。
むしろ悲しくなるわぃ。
「楽しさ」みたいのをバカにしとるよ、そんなの。
ストレス発散やんか。
笑えば楽しいっちゅーモンでも無いやん。
ソコも…「笑う」てコトもなんか誤解されたまんま社会は回ってしまっとる気がするなぁもお。
ねじれてねじれてしとるんよ。
ホン~に解きほぐして考えて行けばさ、
自分の機能を見落としがちよね、人って。
「当たり前」になっとるんよ当たり前やけど。
普段の自分を賛美していーのよ。
反省もまたよかろーさ。
「自分の可能性はこんなモンやない」って気構えが無いと反省なんて発生せんからね。
でもソレも行き過ぎたら罪悪感になったりする。ほんでそんな人の多いコトよ。
罪悪感とかなんの役にも立たん。
大体が楽なんよ罪悪感って。手抜きよ。
創造せんでいーんやもん。孤独が足りんわ。
そんなん考えよったら、
なんか、あんま気心の知れてない人と接するのって可能性ある気がしてきたりするよ。
他人行儀の仲ってのも涼しくていーモンや。
そんなんして新しい関係が、新しい自分の栄光が広がってくんやろーしね。
そーな。
ここ、もうちょっと書こう。
例えば
友達がタンスの角に足の小指ぃガーン!ぶつけたとするやん?
悶絶しとるのを目の当たりにするコトとかあるやん?
痛そうやんけ。
自分もやったコトあるからわかるやん、あの痛さ。
例えば
友達が酒飲み過ぎて、たち悪くなって、クダまくわ暴れるわして、
翌日会ったら何にも覚えてなくて、
昨夜ソイツが言ったコトしたコトを本人に教えてあげたら、顔色なくして平謝りしたりするやん。
あれキツイやんけ。
自分もなったコトあるからわかるやんあのキツさ。
自分の中の素晴らしさを自覚してなくて、
他人の素晴らしさなんて、わからんやんか。
花を「美しい」と思う気持ちを持ってなかったら、花が咲いてても目に入らんやんか。
基準になる「自分の素晴らしさに対する知」は、
広くければ広いほど、
深ければ深いほど、
他人を賛美する時にものすごく機能するに決まっとるやんか。
世界の素晴らしさに共鳴する回数も度合いも上がるやんか。
自分を下げて、他人を上げるぅーなんて、「媚び」やんか。そんなんバレるよな?
僕、「右ヤン人を褒めるの上手いねー」てよく言われますよ。
何をか言わんや、でしょ?
僕、
本当ぉぉぉぉおおおおおおおおおっにっ!
自分って素晴らしいな!僕ほどの天才を僕知らんわ!
愛に溢れ、機知に富み、ユーモアがあって、馴れ馴れしくなく、欠点をたくさん経験してるから他人の痛みもわかり、不完全を自覚してるからこそ他人と共に成長しよーとし、それが新たな完全に向かう循環となり、
その道中をまた愛、喜び、ユーモアで共に歩ける能力も備えてて、
もう僕はスゴイんですよ!素晴らしいんですよ!愛の権化、神の子供、地球の映し鏡、全宇宙のダイジェスト生命体なんだなぁ~、って
毎秒思ってますよ。
思えん日もあるけどね、それだってそーゆー日があるから、また思い出せた時の恍惚さが快感なんやんか。
こんなん、自分褒めるのに、世界を賛美するのに、「道徳」とかいる?
違うんよ違うんや。
自分も含めた「世界の美しさ」を感じる心、共鳴する魂の働きを
「道徳心」
って言うんよきっと。
「感動」の別名やん。
自分の心の動きを正直に受け止めて、
自分の中から湧き上がる「何か」の生音を、劣化させずに気持ちのスピーカーから増幅させる。
それが「感情」なんやん。
ソレが「悪」と呼ばれたって、それが何ほどのモンや!
こーゆー時にはこー思うべき、
こんな時はこんな表情をするモンとかは「教えられた反応」でしかない。
道徳のガイドラインとかルールブックとか、
そんなモノは感情と全く関係ない。
そんなモンが創作の真ん中に座ったら面白くないに決まっとる!
コブクロはもっとはみ出ろ!
でもソレがやりにくいんや今の「社会」は。
「無条件の愛」を感じにゃ。与えにゃ。
仮に宇宙にもし「義務」があるとしたらソレよ。
支えて支えられながら、
自立した存在が「機能」しとるのを想像してみぃさ。
もー僕ぁ想像しただけでワクワクするわぃ。
ほんでそれが自分を無条件で愛しながら、無条件で愛されながら、
環境の変化に「順応」していくのを想像してみぃさ。
「正義」の名の元とかや無いで?
より完成基準を上げた愛を発露したいからやんか。
これが「創造」じゃなかったら何が創造や!言う話やん。
んでさらに!それが「持続」してってみーさギャハハハハハーだ。バッカでぇ。
もぉ…な?
所有とか…もぉ…こぉの…チンコロこまーい概念でケンカしたり領土がどーとか、資源がなんやらとか…、制空権とかネーミングなんとかならんのかいホント。
空想で空に線引いてアンタ、はみ出たのはみ出てないの……
スクランブルて…で殺し合いとかムチャクチャやん…。
シケとぉー。ホンんんんんんにっ!
シケてんなぁ。
シケー。シケとんしゃあ…もぉ。
なんかもっとあるやろ!人間!!
あーーーっ!!面白腹立つっ!!
そっちの筋に行ったら煮詰まるのわかっとるやんか。
何回楽曲壊しとるんよ、もぉ…。
イカンイカン長くなったわっ。
冬はいいにゃ~。
お出かけしたくなるんだわっ。
皆さん御役目ごくろーさま