「ひかる」が教えてくれた、たいせつなこと | 生きづらさから生きる喜びへ~セラピールームきらり~

生きづらさから生きる喜びへ~セラピールームきらり~

胎話士・臨床心理士であるゆみこが自分の経験を元に、「生きづらさ」から「生きる喜び」へと導くヒントをお届けします。

こんばんは。


今日は、この世には誕生できなかったけど、私たち家族にとって、

かけがえのない、大切な大切な子「ひかる」について書かせていただこうと思います。


新しいいのちを授かったとわかったのは、たいちゃんが7か月の時。


周りからは「また、妊娠しちゃったの!?え?年子!!大変だよぉ~~~」など、いろいろと言われたけど、

当の私は、赤ちゃんがおなかに宿ってくれたことが嬉しくて、嬉しくて音譜


たいちゃんと赤ちゃん。

大変ながらも、ふたりの子を楽しんで育てているところを想像しながら、毎日を過ごし、

いつも、妊婦健診でおなかの赤ちゃんの成長を楽しみにしていました。


何の問題もなく、順調に育っていたのに。

生まれるのが、当たり前と思っていたのに。。。


2009年7月9日。

妊娠5カ月 17週。

安定期に入って、赤ちゃんの誕生を待ちわび、年子を育てる「肝っ玉母ちゃん」になるイメージも固まってきたころでした。


夕食後、後片付けをしていると、突然、子宮がはじける音がして、

下半身が濡れるような感覚。

水風船が割れたようなかんじがしました。


最初は、何が起こったか理解できませんでしたが、

すぐにたいちゃん出産時の記憶がよみがえり、それが「破水」であるとわかりました。


泣いているたいちゃん(9か月のとき)をダイニングチェアに座らせたまま、

混乱した頭で、自分の周りに漏れた「お水」をふき、ナプキンをあて、病院に連絡。

「入院する準備をして、すぐに来て下さい」とのこと。


タクシー会社と連絡を取り、たいちゃんを抱っこし、入院の準備をもって、

待ち合わせ場所へ。


だんなは会議中でしたが、奇跡的に電話がつながり、

「破水したみたいだから、今すぐ、病院へ向かう」と伝えました。


だんなは、もちろん、そんな状況を予想もしていなかったようで、絶句状態。

だんなも、病院へ駆けつけてくれることになりました。


タクシーの中では、車体が揺れるたび、子宮から「お水」が出ていく感覚。

「どうして、こんなことに!?」

「これは夢!???」

状況がまったくリアルに感じない。

でも、「おなかの赤ちゃんは絶対無事なはず!!」と自分に言い聞かせ、やっとのことで病院へ。


病院でも、救急外来で診察を待つ時間がなんと長く感じることか。


産婦人科の看護士さんが迎えに来てくれた時、たいちゃんを抱っこしている私の姿をみて、びっくり。

「大変だったわね。」と、たいちゃんを代わりに抱っこしてくれ、私を車いすで診察室に連れて行ってくれました。


混乱した頭で、これはただごとではない状況なんだと察知しました。


産婦人科のお医者さんからは、診察する前に、「もし、ほんとうに破水している場合、あと1カ月遅かったらいのちは助かったかもしれないけど、5か月では、生まれて来たとしても、生きるのは難しい。」と言われ、覚悟するようにと言われました。


診察開始。

○やっぱり破水していること

○おなかの赤ちゃんの心臓は、もう動いていないこと

お医者さんから、静かに伝えられ、

「原因は、どこにあるか、まったくわからないから、自分のことを責めないでね」となぐなめの言葉をいただきました。


そして、入院して、赤ちゃんが外に出てくるのを待つことになりました。


私は、頭、まっしろ。

涙も出ず。


だんなが診察を終えるころ、病院に駆けつけてくれました。

「おなかの赤ちゃんのことはしかたない。でも、ゆみこが無事でよかった!!」

だんなもショックなはずなのに、私をいたわる言葉をかけてくれました。


その後、だんなとたいちゃんは、家に帰り、私ひとり病院に残りました。


さっきまでは、いつもと変わらない日常で、赤ちゃんがこの世からいなくなってしなうことなど

全く想像もしなかった。


でも、今、このおなかの中で赤ちゃんのいのちは消えてしまった。。。


ほんとうに突然のことで、リアルに感じられない。


信じられない、事実。


混乱を抱えたまま、尿意を感じ、トイレにいくと、赤ちゃんが出てくる感覚。

すぐに看護士さんを呼び、分娩室へ。


赤ちゃんを外へ出し、処置している時、

やっと自分のもとから赤ちゃんが天国へ旅立ってしまったことを実感し、

今度は涙が止まらなくなる。


「どうしてこんなことに」

「動き過ぎたのか?」

「どうして、おなかの異変に気づかなかったのか」


悲しみと後悔、自分への怒りが湧いてくる。


お医者さんから、外へ出た赤ちゃんを見て、

・死後、1週間くらい経っていること

・赤ちゃんは、母体が傷つかないような状態で外へと出てきてくれたこと

を教えてもらいました。


赤ちゃんとすぐに面会することもできたけど、私は翌日、だんなと一緒に会うことに決めました。

赤ちゃんがそうしてほしいと望んでいると感じたから。


処置後、ベッドの中で、また激しい感情に襲われ、ちっとも寝付けない。

そんな中、突然、不思議なことが起こりました。

私の体があたたかい何かで包まれ、言葉が響いてきたのです。


「私を生んでくれてありがとう。

 ママとパパのこどもになれて、すごく幸せだったよ。

 ママは自分のことを責めないで。

 生まれてこれなくて、ごめんね。

 だいすき!!!」



そう。それは、おなかの赤ちゃんからのメッセージだったんだと思います。


今までは、悲しみの涙だけど、その瞬間あふれてくる涙は温かい感動の涙。

なんて、なんて、なんて、愛に溢れたあったかい言葉なんでしょう。


この言葉で、後悔の念、自責の念がすべて癒され、どれだけ救われたか!


そのとき、「あぁ。この子は私たちに大切なことを教えてくれるために、すぐにお空に戻らなきゃいけないのに、わざわざこの世に降り立つことを決め、私たちのところに来てくれたんだな」と悟りました。


だんなにも電話して、今体験したことを伝え、おなかの赤ちゃんに名前をつけてくれるように頼みました。



翌日。

だんなは、赤ちゃんにとってもすてきな名前をつけてくれました。

「ひかる」ちゃん。


そして、「ひかる」との面会のとき。


幸せそうに目を閉じて、ほほえみをうかべる「ひかる」

だんなと二人、あまりにもかわいくて、愛しくて、声をあげて泣きました。


昨夜のメッセージが頭の中に響きます。

「この子は、この世で生きることはできなかったけど、ここまで私のおなかの中で一生懸命育ってくれていたんだなぁ」

「幸せでいてくれたんだぁ」と改めて、実感できました。


つわりもまったく感じさせず、外に出る時にも何の痛みもなく、傷つかないようにと母体のことまで気遣って生まれてきてきれた、親孝行な「ひかる」。


あの子は、どこまでも、愛に溢れた、まさに天使だったんだと思います。


「ひかる」に教わった、たいせつなこと

○いのちが生まれるってそれだけで奇跡。すばらしいこと

○自分がこんなにも周りに愛されているってこと

○どんないのちも愛を伝える天使だってこと

○いただいたいのちを大切にして生きるということ


「ひかる」を亡くしたことは、とっても悲しいことだけど、

それはきっと私たちにとって、必要なことだった。


「ひかる」がいのちを犠牲にして教えてくれたことを大切にして、

「ひかる」のように愛を実践しながら生きていきたい。



ここまで、長い文章を読んで下さり、ありがとうございました。



追伸。

ひかるがくれた、もうひとつの奇跡。

あーちゃんを妊娠して、17週が近付くにつれ、「また、流産するんじゃないか!!」と

不安を強めていた私に、

あーちゃんの出産予定日(7月10日)が、ひかるの誕生日(7月9日)と一日違いだっていうことに

気づかせてくれ、

「この子は、私が守っているから、大丈夫。安心して」とメッセージをくれました。


メッセージ通り、あーちゃんは無事に元気に出産。


妊娠。出産。育児を通して、教えてもらったこと。

両手でもちきれないほど、たくさん。

こどもって、どれだけ親思いなんでしょうね。



写真は、「ひかる」がこの世で生きた、たいせつな記録

ママさん臨床心理士・夢実のきらり☆ぽかぽか陽だまり日記☆Ξ