聖書に書かれてある「この宇宙の初めと終わり」、 A to Z | 浅利幸彦の預言解読講座

浅利幸彦の預言解読講座

預言書(主に聖書とノストラダムス)を解読して未来を明らかにしていきます。
未来において艱難が起きますが、その前に天使軍団(天使的未来人)による義人救出=携挙、が行われる、と預言されています。

聖書は「神の計画書」と言われているが、
この宇宙の始まりから終わりまでの全てのこと=人類進化の道程、歴史の変遷、を記した預言書、歴史書でもある。


アルファからオメガまで、A to Zである。
聖書の真の作者である天使的未来人は、タイムマシンの開発に成功して、この宇宙の初めから終わりまでに実際に行って、自分の目で確かめて、神の計画を完全に理解して聖書にそれを記したのである。


22:12「見よ、わたしはすぐに来る。報いを携えてきて、それぞれのしわざに応じて報いよう。
22:13わたしはアルパであり、オメガである。最初の者であり、最後の者である。初めであり、終りである。

(ヨハネの黙示録)


ただし、天使は聖書を喩え、暗喩を多用した象徴言語で書いたので、その真意を理解する為には「解読」という作業が必要になる。


では、アルファ=この宇宙の初め、始まりはどこに書かれてあるのだろうか?
というと、聖書の一番初め、創世記の冒頭に書かれてある。


1:1はじめに神は天と地とを創造された。
1:2地は形なく、むなしく、やみが淵のおもてにあり、神の霊が水のおもてをおおっていた。
1:3神は「光あれ」と言われた。すると光があった。
1:4神はその光を見て、良しとされた。神はその光とやみとを分けられた。

(創世記)


ここには、神の霊(宇宙意識)がただひとつ(ひとり)しか存在していない。


>1:1はじめに神は天と地とを創造された。

これはこの章、あるいは創世記のタイトルである、と考えてよい。


>1:2地は形なく、むなしく、やみが淵のおもてにあり、神の霊が水のおもてをおおっていた。

この「地」を地球と考えると、これは「地球が創られる前の話=この宇宙が創生される前の話である」という意味だ。
ここには、神の霊がただひとつ(一人)しかいない。
なお、「水」とあるがこれは地上の水、物質としての水を指しているのではない。
これは、この宇宙が創生される前の状況なのだから、物質はまだ存在していない。


やみが淵のおもてにあり」とあるが、これは「闇=淵と解釈していきなさい
という指示である。
淵(底知れぬところ、底知れぬ穴」とはサタン、蛇、年老いた竜、闇の子の住処である。


昨日説明したように、
闇の子、サタン、蛇」とは、「人間の肉体を食って生きている悪霊、人類を滅亡へと導いて、この宇宙を消滅させて、もとの闇に戻そうとする者達、勢力」である。


>1:3神は「光あれ」と言われた。すると光があった。


ビッグバンによってこの宇宙の時間と空間が発生して、物凄い勢いで広がっていった。
「神の一撃」である。
さあ、ゲーム開始だ。


では、何故、神はこの宇宙を創生したのだろうか?
これは神学上でも哲学上でも、あるいは科学上でもよく議論されているが、結論は出ていない。
「神のみぞ知る」のかもしれない。
と思ったら、実は、聖書に書かれてあった。


神がこの宇宙を創った目的、というのは、「この宇宙の終わり、最終時点の描写」として書かれてある。
この最終時点に到達する為に、神はこの宇宙を創ってゲームを始めたのだ。


この世の終わり=オメガ、この宇宙の終わり、というのは聖書の最後、ヨハネの黙示録の終わり近くに書かれてある。


といっても、これは、
「この宇宙がブラックホールに呑まれて消滅してしまった」
というゲームセット、ゲームオーバーの結末ではなくて、ハッピーエンドの結末である。


21:1わたしはまた、新しい天と新しい地とを見た。先の天と地とは消え去り、海もなくなってしまった。
21:2また、聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために着飾った花嫁のように用意をととのえて、神のもとを出て、天から下って来るのを見た。
21:3また、御座から大きな声が叫ぶのを聞いた、「見よ、神の幕屋が人と共にあり、神が人と共に住み、人は神の民となり、神自ら人と共にいまして、
21:4人の目から涙を全くぬぐいとって下さる。もはや、死もなく、悲しみも、叫びも、痛みもない。先のものが、すでに過ぎ去ったからである」。

(ヨハネの黙示録)


>21:1わたしはまた、新しい天と新しい地とを見た。先の天と地とは消え去り、海もなくなってしまった。

これは「歴史の更新」を表現している。

これは、ビデオテープを考ると解り易い。


時空=ビデオテープに新しい番組を再録画すると、ヘッドが通過したところで、前に録画されていた番組は消去されて、そこに新しい番組が録画されていく。
新しい番組に置き換えられる、上書きされていく。
これと同じである。


前の番組=先の天と地、は消え去ってしまって「もはや存在しない」。
しかし、かつてあったことは事実である。
「かつてあったが今は無い」


パラレルワールド、平行宇宙(並行宇宙)などの「時空が分岐していく」という概念を提唱する人が多いが、

聖書のこの記述はこれを否定し、

「歴史の刷新、歴史の更新を支持している」、と解釈できる。


時空=ビデオテープはあくまでも一本であり、それが何回も再録画を繰り返されていって今に至り、またこれからも再録画されていく。
今はまだその途中に過ぎない。


何回でも無制限に再録画されていって「歴史は編集されていく」のである。
ビデオテープは途中で分岐、枝分かれしていかない。
そんなことをしていたら収拾がつかない。


パラレルワールド、平行宇宙(並行宇宙)というのは幻想、ただの言葉遊びにしか過ぎない。

そんなものはSF小説かSF映画にしか存在していない。
いい加減にこれに気がついた方がいい。


>21:2また、聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために着飾った花嫁のように用意をととのえて、神のもとを出て、天から下って来るのを見た。

「聖なる都、新しいエルサレム」というのは、「御国、神の国、地上天国、至福千年、千年王国、イエスが支配する義の王国」などとも表現されるが、
つまり、天使的未来人が地球と地球人を支配管理していく天使王国のことである。


花嫁」とは、天使王国、あるいは、「目覚めた地球人」の喩え、象徴である。
花婿」はキリスト、天使軍団を指していて、


結婚」とは、キリスト(天使軍団)と地球、地球人が結合すること=天使軍団の地球復帰を意味する。


「結婚が成立する為」には、

「地球人の覚醒、地球人の悔い改め=今までの悪習、悪魔崇拝を止めて、進路変更すること=自分達の主人を悪魔軍団から天使軍団へと乗り換えること」が必要である。

(今回も失敗してしまったが)


>21:3また、御座から大きな声が叫ぶのを聞いた、「見よ、神の幕屋が人と共にあり、神が人と共に住み、人は神の民となり、神自ら人と共にいまして、

さあ、ここが問題の記述だ。
神が人と共に住み、人は神の民となり、神自ら人と共にいまして
これこそ、神がこの宇宙を創った目的である。


ただ、この表現だと「(ひとりの)神が人と共にいて生活する」
と思い易い。
つまり、「神と人とは最初から最後まで別々に存在している」
と考えがちだ。
しかし、これが大きな誤解である。


神はアダムに息を吹き込んだ時に、実は、アダム(人間)の中に入り込んでしまったのである。


2:7主なる神は土のちりで人を造り、命の息をその鼻に吹きいれられた。そこで人は生きた者となった。
(創世記)


とあるように、人は神の息(霊、レイハ)によって生きているのである。
つまり、「神=人間(アダム)であり、神が人類になった」、というのが本当である。
そのアダム=人類は様々な苦労をし、経験を積んでついに目覚めたのである。
光が闇に勝利したのだ。


>21:4人の目から涙を全くぬぐいとって下さる。もはや、死もなく、悲しみも、叫びも、痛みもない。先のものが、すでに過ぎ去ったからである」。


この最終地点、天使王国では 「もはや、死もなく、悲しみも、叫びも、痛みもない。」


あれ程人類を苦しめてきた様々な艱難辛苦、病気も老化も死もない。
貧困も争いも憎しみも戦争も無い。
全ての人が満たされて、悲しみも苦しみも無い世界で永遠の命を得て、永遠の至福の時を過ごすのである。
何故ならば「先のものが、すでに過ぎ去ったからである。」


元史、前史という苦しみと悲しみ、憎悪に満ちた歴史は消去されて、地上天国の歴史が永遠に上書きされていく。
それまでの歴史がどんなに悲惨なものであっても、過ぎ去って消去されてしまえばそれはもう存在しない。
せいぜい、記憶と記録の中にしか存在しない。
苦しみも悲しみも笑い話に時が変えてくれるよ~心配いらないと笑った~
という通りだ。

過ぎ去った悲惨で苦難の歴史は「ただの通過点だった」と判る。


「そんなこと言ったって、そんな全人類が目覚めて平和に共存していくなんて無理だろ」
と思うかもしれないが、


これは、単に、神=人類の目的、最終目標が達成された時の状況を予想して描写しただけであって、
「これがいつか必ず実現化する」と断言しているのではない。
天使が単に、自分達の目的、目標を告知しただけだ。


この地上天国、天使王国がこの歴史の延長上に未来に存在している訳ではない。
いや、今の時点では存在していない。

聖書に書かれてあることは全て必ず(この歴史の延長上の未来において)成就する
という思考そのものが間違っている。


「歴史の更新、歴史の変遷」を理解できないから、こういう単純で低次元な思考に縛られているのである。
この思考に縛られている限りは、聖書も神の計画も未来も絶対に理解できない。


聖書は神の計画=人類の歴史の変遷を記した書であるが、この歴史の変遷の順に書かれてはいない。
途中は非常に入り組んで錯綜して書かれてあるが、最初と最後、アルファとオメガだけは、ほぼ聖書の最初と最後にビシッと書いてある。


そういえば、アルファとオメガは英語ではAtoZだが、私のHNはAZである。
偶然だろうか(笑)


さて、今はまだゲームの最中であるが、
今回も、この宇宙では達成できないで、途中で挫折して、闇の子が勝って人類が消滅して、この宇宙もブラックホールに呑まれて消滅してしまうかもしれない。
どっちになるか、それは判らない。


でも、消滅したらしたで、また「光あれ」で次の宇宙を創ってまた次のゲームを始めればよい。
再トライすればいいだけの話だ。
神=人類は無限に再トライして再ゲームを楽しむことができる。


(私は、いい加減にハッピーエンドでゲームを終えて欲しい、とは思うが、皆様はまだまだゲームを続けたいようだ)