永遠に生きなければならない神=人類が最も恐れることは「退屈」である。 | 浅利幸彦の預言解読講座

浅利幸彦の預言解読講座

預言書(主に聖書とノストラダムス)を解読して未来を明らかにしていきます。
未来において艱難が起きますが、その前に天使軍団(天使的未来人)による義人救出=携挙、が行われる、と預言されています。

神(宇宙意識)がこの宇宙を創り、地球を創り、自ら人類となったのは、最初に想像した夢、理想を現実化する為、つまり、この地球に地上天国を実現する為である。

神は人類となり輪廻転生を繰り返して、現実界の中で物質生活に適応できるように自ら訓練を重ねてきた。
肉体には寿命があるが、魂は永遠に生き続ける。

いや、魂は死ねない、消滅できないから永遠に生き続けなければならないのである。
それが神=人の魂の宿命である。
それから逃れることはできない。


では、「永遠に生きなければならない神=人の魂」が最も恐れる事は、何だか解るだろうか?
死でも病気でも老化でも貧困でも争いでもない。
それらが全て克服された後の話である。
地上天国、天使王国が確立できた後の話だと考えていただきたい。


21:1わたしはまた、新しい天と新しい地とを見た。先の天と地とは消え去り、海もなくなってしまった。
21:2また、聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために着飾った花嫁のように用意をととのえて、神のもとを出て、天から下って来るのを見た。
21:3また、御座から大きな声が叫ぶのを聞いた、「見よ、神の幕屋が人と共にあり、神が人と共に住み、人は神の民となり、神自ら人と共にいまして、
21:4人の目から涙を全くぬぐいとって下さる。もはや、死もなく、悲しみも、叫びも、痛みもない。先のものが、すでに過ぎ去ったからである」。

(ヨハネの黙示録)


これは、人類の究極の目標である地上天国、御国、天使王国が確立できた、
と想定した場合の描写であるが、あくまでも来史の予想である。


もはや、死もなく、悲しみも、叫びも、痛みもない。

とあるが、
現実にそうなるか?なれるか?どうかは判らない。

だが、仮にこういう世界が実現できたとしても、実は、神=人類が恐れることがたったひとつ存在する。
それは「退屈すること、飽きること」だ。


平和で豊かな社会であっても

「全てに飽きてしまい、退屈してしまって何もしたいことがない」

という状態になって、それでも生き続けなければならないとしたら、そこは地獄だ。
肉体を殺す、自殺する、という手段もあるかもしれないが、それは根本的な解決方法ではない。


あるいは、鬱、うつ病になるかもしれないではないか?
という人もいるかもしれない。
「何もやる気が起きない。楽しくない。気持ちが沈んで死にたくなる」
という鬱状態になってしまうものだ。
しかし、これは「うつ病」という病気ならば、治療によって治せるだろう。
また、うつ病になった原因が病気や老化、貧困、人間関係、他人からの虐め、というものならば、それらが無くなれば、うつ病にならない、ということも考えられる。


さて、では、「永遠に退屈しない為」にはどうしたらよいのだろうか?
その解決策は何か?
というと、それは沢山の選択肢を用意しておくことだ。

色々な国、地方、景色、文化があり、色々様々な人がいて、色々多様な趣味があれば、あれこれやっているうちに飽きる事はないだろう、というのだ。

もし、選択肢が少なくて、数種類しかなければ、
「全部やりつくしてしまった。もう新しくやるものが無いからつまらない、飽きてしまった」
となり、「退屈する恐怖」に襲われてしまうだろう。


人はそれぞれ様々な趣味、嗜好を持っている。
音楽を聴くのが好きだ、絵画を見るのが好きだ、映画鑑賞が好きだ、建築に興味がある、旅行が好きで世界のあちこちに行って見たい、グルメでいろいろ美味しい料理を食べたい、ゲームが好きだ、車が好きであちこちドライブしてみたい、スポーツ、登山やダイビングが好きだ、
と趣味はいろいろある。

更には鑑賞するだけではなく、楽器を演奏する、ダンスをする、絵を描く、料理を作る、服やアクセサリーをデザインして作ってみたい、演劇をしてみたい、と実践、創作する、という人もいる。


また、学問にしても、文学や芸術、歴史を勉強したい、物理、科学、天文学などに興味があるからその分野を極めたい、
などこの世には様々な学問、分野、趣味がある。
挙げたらきりがない。


ただ、現実には、お金が無くて高価なものには手が出せない、欲しいけども諦めている、仕事が忙しくて時間がない、親の介護があるからしたくてもできない、あるいは、年取って体がついていかない、肉体に障害を負ってしまったからやりたくてもできない、などの理由で、
「もっとやりたいんだけど、やれないから諦めている。
お金と時間があり、若くて体力、気力があればもっとやりたい」
と我慢している人が多い。

だが、もし、永遠の命を得て、若くて健康な肉体に復活できて、体力、気力もあって、お金も時間もあって、趣味に専念できたら、様々な理由で断念していてたことができるようになるだろう。
「飽きる、退屈する」なんて暇は無いのではないだろうか?
どんな分野でも充分に広く深い。
追求、探求していったらキリが無い。
更に同じ趣味を持っている人達、オタク、マニアという人達と交流していったら楽しいのではないか?
時間がいくらあっても足りないだろう。


よく、「私は無趣味で・・・」
という人がいるが、趣味は自分で見つけるもので、どんな人にもその人に合った趣味はあるはずだ。


何か自分が没頭できるもの、趣味を見つけて、それを追求して楽しめば、

「退屈する、飽きてしまう、時間を持て余す」なんてことはないはずだ。
いくら時間があっても足りない。
そうすれば、永遠に楽しく生きていけるのではないだろうか?


では、その為にはどうしたらいいだろうか?
それは、(神だった段階で、この宇宙、地球を創る前に)色々な世界、色々な趣味を用意しておくことだ。
つまり、「この世界をバラエティに富ませること」だ。


例えば、旅行が好きだ、という人だったら、
世界中に、いろいろな国、地域、都市、山や海などの自然があれば、世界中を旅行して飽きることがない。
旅行といっても、雄大な自然を見たい、リゾートでのんびりしたい、古代の遺跡を巡りたい、中世の町を見たい、先端の都市で遊びたい、美術館、博物館で芸術品を鑑賞した、美味しい料理を食べたい、ショッピングを楽しみたい、現地の人と交流したい、
など、その目的は多様である。

この地球がバラエティに富んでいたならば、
「もうこの地球は全部行きつくしました。
もう新鮮味があるところはありません」
ということはないだろう。
「まだまだ、行ってないところ、行きたいところは沢山ある。次はどこに行こうかな?」
とプランを練るのも楽しい。

更に他人との交流が好きな人ならば、世界中に何億人もいろいろな人がいるのだから、色々な人と交流していけば飽きることはないだろう。


だから、この世界はこうなっていて、神=人類は地球をこのように創っておいたのだ。
色々な国、町、自然、文化、趣味を用意しておいたのである。

よく、素晴らしい自然や景色、絶景を見て、
「わあ、こんな景色があるなんて想像もできなかったわ」
という人がいるが、そんなことはない。
この宇宙、この地球を創ったのは神である。
神が想像したもの、イメージしたものを現実化、物質化したのである。
だから、神が想像できなかったものなどこの世に存在していない。
神が想像したから実在するのである。


ただ、この世は、働く人がいるから成り立っている。
金持ちが贅沢な暮らしをする為にはその何倍もの人が働いて支えなければならない。
「全ての人が仕事もしないで遊んで暮らす、なんてできる訳ないじゃん。
誰が働くんだよ。

皆、金を得る為に仕方なく働いているんだよ」
という問題はあるが。


また、「戦争や残虐なこと、グロいこと、他人を虐めるのが好きな真性ドSもいるじゃん。
そういう人の嗜好を満たす、となると誰かが犠牲にならないとならないんだよ。
根っからの犯罪者や変態もいるんだよ。
バーチャルで我慢してもらうの?
まあ、ドMもいるから、プレイとして合意の上でお互いにやるのはいいけど」
となる。

確かに様々な問題があるが、それは、試行錯誤して解決していくしかない。

「全ての人が退屈しないで永遠に共存共栄できる地上天国」、それが果たして本当に実現できるのか?、いつになったら実現できるのか?、
は神=人類にも判らない。

もしかしたらいくらやってもできないかもしれない。
「絵に描いた餅」で終わるかもしれない。

でも、「いくらやっても駄目だ、無理だ、できない。
こんな世界つまらない、飽きた。もうやだ、駄目だ」
全ての人間が絶望するか飽きてしまったならば、この宇宙を潰して、元の闇に戻して、そこから次の宇宙を創ればいい。


神=人類が満足するまで、このゲームは永遠に続く。