「二人の主人に仕えてはいけない」という言葉について。 | 浅利幸彦の預言解読講座

浅利幸彦の預言解読講座

預言書(主に聖書とノストラダムス)を解読して未来を明らかにしていきます。
未来において艱難が起きますが、その前に天使軍団(天使的未来人)による義人救出=携挙、が行われる、と預言されています。

8月も今日で終わり、明日から9月である。
私は最新では「10月艱難開始、9携挙説」を唱えているから明日からいよいよその9月に入る。
それで、今日の記事は「どうしようか?」と迷ったのだが、やはり気になったので急遽書いておく。


まず、このブログの訪問者数だが、ここのところ少しずつ増えてきている。
昨日、8月30日の訪問者数は426人だった。
これが多いとも少ないとも考えられるが、少し前までは、更新しないでいたので、8月20日には211人にまで減っていた。
その時は「まあ、200人しかいないのでは・・・」
とも感じたのだが。
いよいよ9月になってきたから増えてきたのだろうか?


相変わらずバシャール関係、
バシャールが「2016年の秋に全てが変わる」と発表した。
の検索で来る人が多いのだが、そういう人は最新のページに来たのだろうか?


さて、訪問者の内訳を推測してみると、勿論、全ての人がこのブログの趣旨に好意的という訳ではない。
私の説を全然信じてなくて、敵対的だが監視するために見ている、という人もいるだろう。
また、オカルト、預言、陰謀論、宇宙人などに関心があり、これに関係したいくつものサイトを循環していて、その中の一つとしてここを登録していて更新があれば見ている、つまり、敵対も賛同もしないが「ふ~ん」という客観的な単なる興味だけで見ている、という人もいるだろう。
それで、好意的、どちらかというと好意的な人は全体の半分、せいぜい200人くらいだと思われる。
しかし、そういう「どちらかというと好意的な人が(携挙があったら)全部携挙される」
という訳ではない。


携挙するのは天使(天使的未来人)なのだから、彼らから見て「携挙してもよい、引き取ってもよい」という合格者でないと携挙されないのである。


その合格者というのは、50人から100人くらいだと思う。
「携挙された者は153人だった」と解釈したが、やはりそれくらいだと思う。
その中には義人が連れてきた幼児もいるだろうから、大人だと50人から100人くらいだと推測される。


それと「理解しています。信じています」と言っている人全部が合格する訳ではない。
非常に甘く考えている、あるいは、勘違いしているのではないか?
と思われる人が多いようなので、今日は感じたことを書いておく。

私がこの頃思い浮かんでいる言葉に、


 6:24だれも、ふたりの主人に兼ね仕えることはできない。一方を憎んで他方を愛し、あるいは、一方に親しんで他方をうとんじるからである。あなたがたは、神と富とに兼ね仕えることはできない。 (マタイ)


というイエスの言葉がある。
これは、以前にも説明したが、
「人は、神=天使、と富=悪魔、の両方に仕えることはできない。どちらを自分の主人にするのかを(期限までに)選択しなければならない」
という意味だ、と解釈してきた。


これは間違ってはいないが、
この「二人の主人」というのは「天使と悪魔」に限らないのではないか?
という気がするのだ。
「二人の主人」といっても「両方とも天使側(のように見せかけている)」場合がある、と思える。
これは、「反キリスト、偽キリスト」という程強い意味ではないが、例えばの話である。


このサイトを好意的に感じて来ている方の中にもキリスト教徒、クリスチャンの方もいるかもしれない。
つまり、どこかの教会、キリスト教の宗派に属してその信者である方だ。
その教会に属している、ということは、その宗派の信者であり、その宗派を主人として仕えている訳だ。
ところが、私の説はどのキリスト教会とも根本的に違っている。


だから、クリスチャンでありながら私の説も信じる、というのは「二人の主人に仕えている」ということになる。
これは矛盾している。
イエスの「ふたりの主人に兼ね仕えることはできない」という忠告、規約に抵触している、と考えられる。


これは、もっと広い意味にも解釈できる。
教会や宗派ではなくて、特定の研究家の場合もそうだ。
私の説を「信じています」と言っていても、自分のブログで「私は○○さんを信じています」とあるオカルト研究家やUFO研究家の信者である、と告白している人がいる。
私と全く同じ説を主張している人は他にいないのだから、これも同様に先の規約に抵触している、となる。


つまり、そういう人はいろいろな研究家の色々な説を集めて、「いいとこ取りをしよう」と考えているのだろうが、これは、甘いと言える。


また、仄めかすしかできないが、そういう「他の人を崇拝している信者」を高く評価して褒める、というのもあまり、感心できない、というか危険な兆候だと思う。
勿論、いろいろな研究家やサイトで参考になる説が発表されているから、その説を参考にするのはよい。
私も、そういう参考になる説はこのサイトでも取り上げてきた。
しかし、それは、その説(に限って)紹介しただけであって、「その特定の研究家その人を無条件に信じる、崇拝する」ということはしていない。


その宗派なり、研究家その人、あるいはその人が言っていることを全て信じる、というのは、その宗派や研究家の信者になり、仕える、という意味になる。

ずっと私の本とこのブログを読んでいて「私を信じています」というのならば、それを通していただきたい。


このブログでも仄めかしていたが、
イエスがその権能を授けたのは二人(二人の証人)であり、そのうちの一人はノストラダムスだ、と説明した。
では、その後はどうなっているのか?
どういう構造、システムで最終的に預言の真意が明かされるのか?
ということも説明したはずだ。


ちょっと素直過ぎる、というか、(私以外の人の)影響を受けやすい、と思われる人がいるので、思い当たる人は注意して引き締めていただきたい。
真理は理解すれば単純なので、ここまできたら、他のことに振り回されない方がいい。
それがどうしても気になったので。

「何を偉そうに」と思われるかもしれないし、今までにも何回も書いてきたことなので「今更書かなくても・・・」
とも思ったが、明日から9月である。
そんなことで、その方が躓いたら気の毒である。


勿論「携挙は絶対に今年の9月だ」とは言えないし、外れるかもしれない。
だが、「預言解釈から、そして、世界情勢からこの9月の可能性が高い」
と思われるので、私を信じてついてきた人にはその情報を提供しなければならない、と思う。