斉藤侊琳先生を偲んで | 小林順一 木彫刻師への道

小林順一 木彫刻師への道

木彫刻師を目指して、日々の修行とそれをとおして感じたことを書いていきます。

「絶対にあきらめたらあかんよ。あきらめなければ、なんとかなる」

 

 

 

去る九月十八日、自分の師匠、関先生のさらに師匠である、斉藤侊琳先生が急逝されました。

知らせを受けたとき、あまりに突然のことで、一瞬言葉の意味を理解できなかったのを覚えています。

 

 

 

本日は斉藤先生を偲んで、記事を書かせていただきます。

 

 

斉藤先生は十五歳の時に日展作家、武豊先生の元に弟子入りし、井波彫刻を学び、ご自身も日展作家としてご活躍なさいます。

 

四十歳を前にして、仏像彫刻の世界へ入るご決断をされ、京都の松久朋琳先生、宗琳先生の元へ数年間通いながら修行を積まれ、仏像彫刻と仏画の技術を習得されました。

 

昭和五十九年には、中曽根康弘元総理大臣へ聖観音像を納入され、平成十九年には紺綬褒章を受賞されております。

  

 

斉藤先生の経歴、功績のごく一部ではありますが、こうして文字にして書かせていただきますと、斉藤先生がどれほどすごい方だったのか、ということを改めて実感いたします。

 

しかし実際にお会いする斉藤先生は、偉ぶったところなど全くなく、孫弟子の自分にも、「おお、小林君」と、気軽にお声をかけてくださり、工房へ伺わせていただいた際には、お茶を振る舞ってくださり、仕事や調子のことなどを気遣ってくださる先生でした。

 

初めて斉藤先生とお会いしたときのことです。

自分が、二十九歳という、遅い年齢で木彫刻の修行へ入ったとお伝えすると、斉藤先生は、まっすぐに僕を見て「絶対あきらめたらあかん。あきらめなければなんとかなる」とおっしゃってくださいました。

それまでお話をされていた穏やかな調子とは一変して、激高されたような口調と雰囲気でした。

そのときは驚きと緊張とで頭が真っ白になりましたが、後から、初対面の自分に、本気の思いをぶつけてくださったのだときづきました。

 

また、大変ありがたいことに、作品をお見せいただく機会も頂きました。

 

 

 

柴田勝家のパネルです。

置物と見間違うほどの立体感です。

 

パネルの立体感を出すのは、面と面の組み合わせだと、日々ご指導を頂いております。

ですので自分も彫刻品を見るときは、全体を見、面の構成を見、面がどういう効果を生んでいるのかを、できるだけ見るように心がけています。

しかしこの柴田勝家のパネルは、面の構成が細かく複雑で、自分ではどの面にどの効果があるのかがわからず、全体を眺めては、その地板の厚さからは考えられないような立体感にただただ圧倒されてしまいます。

また、甲冑の細かな細工、顔・手の生命感、髭の流れ・線の勢い、衣や鞘紐の軟らかな表現など、見とれてしまうところが多すぎて、そしてその裏に、斉藤先生の木彫刻師として、そして仏師としての卓越した技術を、改めて感じる作品です。

 

 

 

 

菅原道真公(天神様)の像です。

富山県では男の子が生まれると天神様の像を贈る風習があるため、井波の彫刻家の多くは天神様を彫られます。

彫られる方によって、それぞれ個性が如実に表れます。

 

こちらは斉藤先生の個展でとらせていただいた画像ですが、初めて拝見させていただいたのは、斉藤先生の工房でした。

 

着物のたれ先が、台座から垂れ下がっているのがわかりますでしょうか。

とても珍しい表現なので、まじまじと見させていただいていた自分に、「かっこよかろ?」とうれしそうに問われた斉藤先生のお顔、今でもはっきり覚えております。

 

 

とても悲しいことですが、斉藤先生と再びお目にかかることは、かないません。

しかし、斉藤先生の制作された作品は、目にした人に感動を与え続けることでしょう。

また、斉藤先生のお人柄や生き方、作品に取り組む姿勢、そして卓越した技術は、それを知る人にとって、目標、指針として、その人の中に生き続けることと思います。

 

自分もまた、斉藤先生に頂いたお言葉を胸に、自分自身の道をあきらめず、木彫刻師としても、そして一人の人間としても、斉藤先生に恥じることなく、胸を張れるように、努力いたします。

 

斉藤先生、本当にありがとうございました。

 

ご冥福を心よりお祈り申し上げます。

 

合掌