ほんの20年ほど前まで、業界では西日本にストーン・サークルは存在しない、と言われていました。
が、’90年代半ば過ぎ、専門家チーム
更に広島県の葦嶽山のような、本殿山と拝殿山がセットになった「日本ピラミッド」も確認され、リモコン気球で調査したところ、頂上から高度30m下まで、段状に加工されている形跡も発見されたのです。
ストーン・サークルについては、残念ながら戦後の開発や 、無知な県による公園化で破壊され、原型を留めていません。
但し、その跡地周辺に点在する、何メートルもあるメンヒル(立石)等の巨石遺構は残り、遊歩道(踏み跡程度)も整備され、見て回れるようになっています。それが「唐人駄場遺跡」です。
唐人駄場の立石を始め、その他の半島の立石も全て太平洋から見通せるようになっており、船からのシー・マーク(海からの目印)となり、超古代、これによって交信のようなことも行われていたであろうと言われています。
これらの巨石遺構は概ね紀元前5,000年以上前のもの。また、遊歩道が整備されてない区域の遺構には、シュメール文字のペトログリフ(線刻模様)が刻まれているものも複数見つかっています。
唐人駄場遺跡の巨石が特に大きく、100トンを超えるようなものもありますが、丸太を組んだだけの簡易遊歩道で隣接する巨石へ移ったり、巨石の下をくぐったりする箇所もあり、童心に返って探検気分を味わうことができます。
駄場の現地の案内地図板には詳しく記されていませんが、駄場前の道路を西に行った所にある「風神アネモス」或いは「北代庭園」と表記されている箇所にも、巨石自体のサイズは駄場遺跡のものより小さいものの、奇怪な形をした立石等の巨石群があり、往復一時間ほどの踏み跡程度の遊歩道が造られています。それらの巨石群は正式には「臼碆(うすばえ)巨石群」と言います。
尚、こちらの巨石群を巡る遊歩道は、帰路、迷い易く、私はどうしても途中から往路を探せなくなったため、森林管理署の境界石標を追って行き、左手上に登山口付近の林道を発見した後、斜面を這い上がりました。
「足摺ピラミッド」の本殿山は白皇山(しらおさん)。「日本ピラミッド」が何であるのか知らない方は、当ブログ閲覧者の中にはあまりいないと思いますが、神社神道の原形であるとされる一万年以上前の遺構で、本殿・拝殿共、円錐形の山の頂上部を加工し、山を神体山とするもの。拝殿山は本殿山より低く、小さな山になります。
「日本ピラミッド」は全国に分布しており、最初に発見されたのが
白皇山は一般の道路地図にも記載されているので分かりよいのですが、登山口はその西、半島を縦断する「足摺スカイライン」沿いにあります。
但し、登山道の傾斜がきついので、一般観光客には登頂は難しいかも知れません。ハイカーなら普通に登れます。
拝殿山は白皇山のすぐ西で、通称「三つ石」と呼ばれていますが、道はないので、白皇山頂から尾根を忠実に辿って下るしかありません。
三個の丸みを帯びた立石が寄り添うように立っている箇所が三つ石山頂の「三つ石」で超古代の祭祀跡。勿論、その石は人為的に設置されたもの。
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