今思う事。

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自宅で過ごす事を希望した祖父ですが入院していれば数日は長く生きれたかもしれません。
もっとラクに最後を迎えられたかもしれません。

ただ私は祖父と離れる事を拒みました。入院させたらずっと一緒にいる事が出来なくなるし、意識朦朧としていた祖父が「訪問医が良い」とやっと出した小さな声で言ってくれたから。

祖父が亡くなり、しばらくは燃え尽き症候群のようになり、祖父が辛そうにしていた姿や息を引き取った瞬間がフラッシュバックしたり涙が止まらなくなり安定剤を服用しました。
家族を亡くすのは初めてだったので喪失感もひどかったです。

祖父がなくなって一年半が経ちやっと元気な頃の祖父を思い出す事が多くなりました。

最後に過ごす場所は病院が良いか自宅が良いのか施設が良いのか、その人の状況や環境で違いもあり、どこが、良いのか分かりません。

ただ叔父が言ってくれた「俺も家で死にたい」の一言で自己満足かもしるないけど 良かった と思えました。

じいちゃん いつも守ってくれて可愛がってくれて有り難う。じいちゃんの孫になれて一緒に過ごせて幸せでした。ばあちゃんの事は心配しないで!ケンカもするけど仲良くやってるから(^-^)
今でも大好きだよ。じいちゃん本当に有り難う!
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祖父との別れ

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12月に入り祖父の尿が出なくなりました。その辺りには、脈も体温も機械では測れなくなり訪問看護師が脈は指先で測っていました。

2日の夕方は手足を動かしまくっていたのも止まりスヤスヤと眠っていたので訪問医の先生も「落ち着いているので大丈夫でしょう 」と言われ母と私も久しぶりにゆっくり寝る事にしました。

3日の朝起きて見ると、息はしているけど意識はなく前日の夜に入れた座薬がそのまま出てきていました。
その日に来てくれた訪問看護師さんの言葉がとても心に残っています
「家族と少しでも一緒に過ごす為に体温を低くして体力を残そうとしているんですよ。苦しくないように今は少しずつ身体のスイッチを消していってるんだよ。耳は最後まで聞こえるから沢山話しかけて身体を擦ったりしてあげてね」と。

夕方の15時過ぎに呼吸が肩呼吸になり顎で呼吸するようになり

17:33優しくて大好きな祖父は亡くなりました。

11月半ばになると祖父は、ほぼ完全介護状態になりました。祖父の子供、孫、ひ孫が入れ替わりでお見舞いに来てくれ笑顔は出ますが声は出せず。

日に日に体調が悪くなり、11月後半になるとアイスしか食べる事が出来なくなり、タール便がでるようになりました。身体がダルいのか痛いのか身体の置場所がないような感じでベッドの上で手や足を動かし続け、母と交代しながら24時間つきっきりで身体を擦ったり水分補給をしたり自分ではお水を飲む事が出来なかったので口腔ケア用の細長い棒の先にスポンジが付いている物でスポンジに水を含ませて少しずつ飲ませるようにしていました。
タール便が出た日に訪問医の先生から私の両親に「会いたい人には出来るだけ会わせて下さい」といわれたそうです。
そして日に日に足先のいろが暗い紫色になり次は手の色が変わっていき腕と足が浮腫むようになっていきました。

別れの時間が近ずいているのが分かっているのだけれど受け入れられないでいたように思います。