■今日は「許す」についてお話しします。 | 心屋仁之助オフィシャルブログ「心が風に、なる」Powered by Ameba

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見えないけれど、やさしく包んでくれる。
風のように、水のように、普通の幸せに気づける、
そんなお話をお届けしようと思います。

いやー、ここんとこ

ブログ楽しかったですね。


コメント返しまくってみた

この数日でしたが、


その間に色んなことに気づき

そして勇気を出してくれた人がいっぱいいて


そんなひとが、

もうすでに素敵な体験をされている、

そのことをたまらなくうれしく思います。


いまは意固地になって動けない人

他人を分析するしかない人

素直になれない人もいっぱいいるでしょう。


でも、そういった

「すねた時期」「ねじれた時期」を過ぎないと

「素直の時期」には来れないので


そのあたりも

なま温かく見守っていきたいなと思います。



でも、明日からまた

収録で東京に入りますので

コメント返しはこれにて

終了させていただきます。


ぜひまたリアルで会おうぜっ。



明日は終日収録、

また二本分なのかな。


おとといの放映は

自分が出てなかったので

むっちゃ楽しんで見れました。


みんな素敵なコメントでしたね~

特に、井上さん、羽林さん、

そして、カズさん、みんなとっても良かったです。


また明日頑張るぞい。



さて、今日は「許す」について。


許せばいいのに、許せない。

そもそも、なにをそんなに怒っているんだろう、


そんなことを自分の経験からも考えてみると

一つのことがわかってきました。


そして、やっぱり浮かんできたのが


「損」


というキーワードでした。



こんにちは

性格リフォーム

心理カウンセラー

心屋です。



許すって、結局は「損」するんです。


何かというと、

「許せない」という出来事って


結局は「奪われた」からです。

そして、許せないのは、

その「奪って行ったものを返してもらってない」のです。


なにを奪われたのか。


自分の好意や優しい気持ち

自分の心や体の安全

もらえるはずだった愛情


そういったものを「奪われた」

そして、もしかしたら


「謝ってもらったら」

奪われたものが返ってきて

少しは気持ちが違うのかもしれない。


でも、いまだに謝ってくれない。

いまだに返してくれない

いまだにわかってくれない。


これが「許せない」の

構造なのではないかと思ったのです。



もっともっと簡単に言うと


「わたしは、大事にされなかった」

つまり


「尊厳を奪われた」

「損した」


と怒っているのです。


あなたの尊厳を奪って行った

あのひとは、


奪って行ったのだから「泥棒」「犯罪者」です。


だから、罰を与えないといけない。

だから、仕返しする権利がある。


だから、自分と同じ辛い目に遭わせたい、

つまり、相手の


「大切なものを奪ってやりたい」

「相手が傷つくようなことをして、尊厳を奪ってやりたい」


これが、

「許せない」の正体ではないかな

と思ったのです。


いかがでしょうか。



そして、その「奪って行った」のが

多くの場合「身内」です。


いちばん、与えてくれるはずの人

いちばん、自分の尊厳を守ってくれるはずの人


そのひとから奪われた、

それは「大損」です。


「とりかえしがつかないぐらい」の損

「返してもらいようのない」損


だったりします。


だから

「いまさら謝られても仕方ないのよ」

となったりしてしまう。


この「奪われたもの」は

もうどうにもやり場のない悲しみとして

深い傷となって残ってしまった。


「返してよ」

「返せないなら、私と同じぐらいつらい目をしてよ」


これが

「わかって欲しい」です。


返せないなら、せめて

「わかって欲しい」


ここが満たされないと

この傷は終わらないのです。



いま、許してしまうと

「損」してしまうのです。


むっっっちゃ、悔しいのです。

損するのです。


---


「尊厳を奪われた」

「大事にされなかった」


は、やがて


「わたしは、大切にされる価値のない人間なんだ」

「わたしは、愛される価値のない人間なんだ」


という「連想」へと発展した。


だから、価値を作ろう

だから、認めてもらえるようになろう

だから、愛される人になろう


と、「頑張り」始めたのです。



ここで、すでに

「大前提」が間違ってしまったのです。


愛されるひと なのに

「愛されてない」と「思い込んで」しまったのです。



あなたのことを、


愛「せ」ない人がいたのです。

愛「せ」ない理由があったのです。


でも、

あなたが愛「され」ない理由はなかったのです。

あなたは、愛「される」存在だったのです。



でも、愛「せ」ないひとのところに暮らしてた。

そこで、スタートが狂っただけ。

ちょっと、間違っちゃった。


でも、その分、

愛「され」るために頑張って

色んな成長を遂げてきた。


色んなことを頑張ってきた。



だから、もう

愛される人であるんだ、

そこに戻っていい。


ということ、

そして、奪った人を許しても、

損してもいい、ということ。


許しても、

自分は損しないんだ、ということ。


あなたには、いっぱい「ある」んだということ。

あなたは、許しても「愛されるひと」なんだということ。


それを信じてみる。



---


◎「悔しいけど、許す」と、自由になれる


許さないと幸せになれない、

ということはないと思います。


かといって、「許せない」を抱えたままで

お金や成功や幸せな家族を手に入れて

「しあわせ」になったとしても


「許せない」を持っている以上、

「損したくない」「愛を奪われたくない」

というかたくなな心を持ち続けているのと同じ。


これは 幸せ とは呼びにくい。



最後は、自分で杭を抜く勇気、「許す勇気」です。

「許す」のは、しんどいことです。

とても悔しい、とても許せない。

それでも、許す。できなくても、やってみる。

損してみる、と覚悟する。


そうしないと

最終的には損をすると思うんです。




あなたにひどいことをした人は、

きっとあなたにとっては「犯罪者」です。

それを「許す」とは、「無罪放免」にして

釈放するということです。


これほどの「損」はないでしょう。



「許してはいけない」「許すべきではない」

「罰を与えなければいけない」という思いがあるかもしれません。

でも、あえて許してみる。

それは「勇気」です。



許すということは

「損したままでいい」

「返してもらわなくてもいい」
という覚悟をすることです。


究極の、損ですね。




「犯罪者を許さない」と、
その人を「見張り続ける人生」に

なってしまいます。


その犯罪者が

死刑になったとしても

損したものは返ってきません。


返って、こないのです。


たまに、返ってきます。



それを見張り続けると、

あなた自身が自由になれない。


だって、ずっと見張っていないと

いけないのですから。




あーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!

損してやるーーーーー!!!!!


で、終わり。



にしてみませんか、

というご提案でした。


あーあ

損した(^v^)



--

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