■異端児が好き(*'▽') | 心屋仁之助オフィシャルブログ「心が風に、なる」Powered by Ameba

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見えないけれど、やさしく包んでくれる。
風のように、水のように、普通の幸せに気づける、
そんなお話をお届けしようと思います。


反論承知でこういうこと書く人大好きです。



こういうこという人も大好きなんです。
【経済アナリスト】森本卓郎「仮に日本が侵略されて国がなくなっても、後世の教科書に『昔、日本という心の美しい民族がいました』と書かれればいいんじゃないかと」


しかし、この中にある反論もそうですが、
ほんとに、言葉が汚くて攻撃的なんですよね。


心屋も、こういう批判をよく浴びるのですが、
いきなり「全否定」の戦闘モードで入って来る人が多くて閉口します。

「読んだ?」って訊きたくなるけど
「そんなこと書いてないよ」って言いたくなるけど

相手は相手で「自分のやっていることを全否定された」と
先に感じているから全否定で向ってくるんですよね。


それは、自分の中にあって、気づいていない「恐怖」があります。
その自分の中に隠している恐怖に向かわせるような発言に対して
ヒステリックな反応をします。

「そんなこといって、大変なことになったらどうするんだ」
「そんなこといって、現実になったらどうするんだ」

という恐怖ですね。

「そんなことになったら、わたしが、大変なことになるじゃないか」
「痛い目、苦しい目、ひどい目、辛い目に遭うじゃないか、怖いからやめろ」

という恐怖です。


もちろん、言うがまま、なすがままに無抵抗で受け入れましょう
ということでもないのですが、

このままだと、またあの悲しい出来事に突入していくじゃないか、と
いつもいつも悲惨な出来事を思い出さされ見せられて
「二度とあのようなことを起こしてはいけない」というものが

「押すな押すなよ、絶対押すなよ」になっていることに気付かないのです。


「じゃあ、戦争になったら、お前がイチバンに行けよ」とも
必ず言われますが、

そうなったら行きますよ。
こう言っている以上当たり前ですよ。


①金スマ、近藤医師が危険すぎるワケ&がんについて正しく理解して。

これ、①~④まであるので読んでみてください。
面白いです。



この近藤医師も、異端児です。
「既存」の業界からはかなりの反発を受けています。


でも、こういう記事を読めば読むほど
僕は近藤医師の言うことに賛同していきます。



心屋の問題解決法も、基本は「ほっとく」です。
痛くもない腹を探って問題を探し出してどうするのかと思います。

そして、痛みがある人は、
当然対処しないといけません。痛いですものね。

「あのひとは、がんになって、切ったから今も元気で生きている」
というのも

「あのひとは、早期に発見して、切ったからいまも元気で生きている」
というのも


「もし、切らなかったら」
そのひとは、いまはどうしているのだろう、ということです。


「大変なことになっている」という前提
になっているということです。


これも
「前提の違いの議論」なわけです。


「ほっとけば大丈夫」という前提の人と
「ほっといたら大変なことになる」と言う前提の人が

議論をしても交わりません。



うちに反論してくる人も
「あなたの言うとおりにしたら大変なことになる」という前提の人です。

で、僕は
「僕の言うとおりにしても大変なことにならず、むしろすごく良くなる」
という前提です。


だから、交わらない。

この前提は、
長年刷り込まれたものであり

「恐怖」でもって刷り込まれたものなんて
なかなか変わりません。

だから、■自分のお金を増やす方法
ここで書いたことも、「しかたのないこと」なのです。

怖いもんは、怖いから。
そして、その「怖い」「前提が悪い」というだけのことですから。


で、僕も、そんな「怖いことになるという前提」を持ってた。
そもそも、ね。

で、あるひと、それを「自分で変えた」んです。
自分で「変えることが出来た」んですよ。

そしたら
現実が全然違ったんですよ。


今回の例で言うと
近藤さんや森永さんの持っているような前提に変えたんですよ。

そしたらね
「大丈夫なんだ」ってわかったんです。

色んなものが
あらゆるものが
「大丈夫なんだ」
「心配しなくてもいいんだ」

そう、わかったのです。




でも、そうやって


あれしてもイー
これしてもイー
あれしなくてイー

って、ショッカーやってると、
「正義の味方」が倒しに来るんですよ。


僕らは、それにめげず
次の怪人を送り出して
世界を「イー!」な世界に征服・・・

 




・・・ 話を戻します。



そして、お医者さんという職業上仕方のないことだと思うんですが
「死なせない」ということに、当然全力を上げられると思います。

「死」は、悪であり、悲しみであり、避けるもの。
そして、ときに「責められるもの」でもあるからです。

同じく、そこに対する「恐怖」です。
それが「全否定」への道を選びます。


どれで死ぬのか
どの方法で死ぬのか
どの病気で死ぬのか

殺されるのか
自分で命を絶つのか

そして
死ぬことはそんなに悪いことなのか、ということ。


「一つの死に方」にこだわって、怖がって
「それだけはダメ」と言えば言うほど

押すなよ、押すなよ、になってしまう


そして、
今回の近藤医師に対するこの意見、
うちに来る批判の基本とぜんぶ同じです。

「センセーショナル(キャッチーな言葉で)に
世間に注目されて
信者もいっぱいいて、うまいことお金も儲けてる

わたしはただ一つのことしかできないのに!
間逆なのに!
これが受け入れられたら私の立場もなくなるし
今までこれでいいと言ってきた患者からの信頼も失う。
真面目にコツコツやってるわたしを全否定しないで!」


ということです。

「恐怖」です。
だから、必死に正当化しようとしてしまう。


そして、

「それも、悪くない」ということ
「それも、しかたない」ということ

「だって、怖いもんは怖い」ということ。


だから
「どっちも、あり」

そう言えるようになると
人生ってものすごく楽になる。

僕もまだまだ
「どっちもあり」って言えないことはたくさんある
「嫌われたくない」と思って出来てないこともいっぱいある
「理由なくキライ」なものもいっぱいあるし
「反応」もまだまだします。

わかったようなこといってても
まっだまだチキンです。

一緒にそこを ひらいて いけたらいいなと思うのです。

こんな異端児とともに(笑)


「大丈夫だから」




 


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