虹2009年の記事を再掲してみました。当時書いていた「歌詞解釈シリーズ」です。


長年、自分への応援歌であった、槇原敬之さんの「どんなときも。」
先日改めて聴いてみましたが…やっぱりいいですね。

さて、この歌詞ですが、前半の部分が一部難解な表現になっています。例えば、
僕の背中は自分が思うより正直かい?
や、
あの泥だらけのスニーカーじゃ 追い越せないのは 電車でも時間でもなく 僕かもしれないけど」などなど。

今回はこの「どんなときも。」の歌詞の意味をワタシ流に解釈してみたいと思います。
(著作権の関係上、歌詞を掲載することができないので、気になる方は歌詞を探してみて下さいね!)


「どんなときも。」

僕はいつも、
「自分に正直でありたい」
「素直でありたい」
そう思いながら生きているけれど、
自分以外の人の目にもちゃんとそう映っているかな?
妥協しちゃったり、流されそうになったり…
そんな僕の弱い部分が他人に見えてしまっていないかな?
たまに不安になるよ。

高校を卒業するとき、
「僕は絶対○○になるんだ!!」と夢を誓った。
もちろんその夢を忘れてはいないし、捨ててもいない。
ずっと大切に持ち続けているけど、いまだ実現はしていない…。

幼稚で世間知らずで。
それでも
夢は必ず叶うと純粋に信じて、ひたむきに頑張っていたあの頃の自分。

あれからずいぶん時間が流れて、今の僕は「現実」というものを知った。
夢だけを追い求めて生きていくのは本当に難しいことなんだと痛感した。
そんな弱気で不安な気持ちが、ともすれば先行してしまうこともある。

夢を叶えるための「障害」があるとすれば、
それは距離的な問題でも、時間的な問題でもない。
今のこの「ネガティブな自分自身」なのかもしれないな。

だけど…

僕が僕らしく生きていくために、
好きなものは好き!
僕はこれがしたい!
そう憚らずに言える気持ちを大切にしたい。
どんなときも。


僕の今やっていることは正しいことなのか?
夢に本当に近づいているんだろうか?

焦りもあって、すぐに「答え=結果」を欲しくなる。
でも、そんな風に迷いながら悩みながら模索し続ける姿勢こそが大事なんだ。
諦めない気持ちで1日1日を泥臭く生きているうちに、いつの日か「答え」に辿りつけるだろう。
僕はそう信じている。

だから
へこたれそうになっても
不安に押しつぶされそうになったとしても
決して夢を手放したりせずに、前だけ見て歩いて行こう。

そう、どんなときでも。