2005年4月頃のこと。
俺は大学2年生になり、所属してたサッカーチームも解散して居場所の無くなった俺は、2年生からでも入れるサークルを探していた。

当然、2年生大歓迎のサークルはあんまり無くて、勧誘される新入生なんかが羨ましかったのである。

そんな中、日大商学部旧校舎、正面階段の踊り場の掲示板に、そのチラシはあった。

当時はまだ「NOW」というサークル名だったと思う。
(その後、改名して「GO!!」になるんだけどね…)

チラシには、日大商学部と恵泉女学園大学のインカレサークルとあり、2年生からでも入会オッケーな

【青春満喫サークル】とあった。

『こりゃ行ってみるしかないっしょーー。』
善は急げである。特に女子大とのインカレサークルとかもはや神の領域であった。

俺は入る決意をした。

そこで、俺は初代会長のまりもさんに会うこととなる…。
(続く。…かもしれない。)

なして、いきなりGOについて書いたかと言うと、今日はこの度めでたく結婚することになったまりもさんの結婚祝いで集まるから、
懐かしゅうなりました。
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狛プーブログ No,9「狛プーの現状 その2」
2011年02月22日 02:42エンディー

前回からの続きです。

前回、狛プーへコンスタントに参加する常連メンバーが少ない理由を挙げようとしたのですが、出来なかったので今回は載せたいと思います。

と、その前に・・・
これを読んでいるあなたは、「サークル」や「部活」に所属してたことはありますか?
またその当時の「部室」や「サークルのたまり場」にあった雰囲気を想い出すことはできますか?
大人になると、あの日の雰囲気とか、あの時の甘ったるい自由みたいな感じをいつの間にか失ってしまいますよね。
僕は今でも大学時代の日々を懐かしんでいます。

狛プーでは、社会人になってしまった人たちが、週に一度集まって、その時の「感じ」をつくってゆけたらと想います・・・。


狛プーの問題は”メンバーの「ホスト化」と「ゲスト化」”という現象に集約することができます。

それは新しいメンバーなどがサークルなどで、自分の好きな時に自由に来ることで
常連のメンバーからその都度、手厚く迎えられます。

常連の古参メンバーはいつも来ているということだけで、組織作りを任されたり、主体的に組織のために動くことを要求されます。
それにより、自然と組織の軸というかコアのような存在に次第になっていくわけです。

一方、新参はそのような古参のメンバーに対して壁を感じます。またリードされることに慣れて主体的な参加や行動が見られなくなります。

そのような新参に対し、古参は古参同士で固まり、組織の強化と維持を図ります。
俗に言う、内輪ノリというやつです。

そして徐々に新参や参加率の低いメンバーがゲストの様になり、
古参や常連が、彼らをもてなすホストとして振舞うようになります。

組織全体が、ホストとゲストの二種類のメンバーに分けられます。

どちらが悪いとかではなくて、そういった状態が自然に発生してしまうのが、自由な組織の難しいところでもあります。

古参や常連が新参にとって魅力的であり、
有望な新参が常連に歩み寄り、引っ張りあげられてゆくサイクルが続いていけば、組織は安泰です。

しかし新参にとって魅力的な場所でなければ、組織の風通しは悪くなり、空気も濁ってゆきます。
そのような状態では、もはや魅力や楽しさ新鮮さを感じられなくなっていった常連や古参が参加する価値を失い、次第に来なくなります。

もはや組織を維持できなくなった時点で解散となるわけです。


狛プーは実質、それに近い状況が生まれつつあります。
企画や講座を目的に参加するメンバーが、狛プーの仲間に魅力を感じて参加するメンバーになってゆかないこと。
仲間作りにきている新メンバーが少ないこと。
それによって、主体的に楽しむ人たちが増えてゆかないことは、やはり寂しいことです。

次回は来年に向けて僕の考える、より狛ぷーを楽しいものにする作戦を伝えてゆきたいと想います。

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狛プーブログ No,8「狛プーの現状」
2011年02月22日 01:29エンディー

現在、狛プー企画「ゴスペル」は毎週13~15名ほど参加しており、一年を通しても最もコンスタントに人が入っている人気企画となっております。

明るくて説得力のある魅力的な先生、優しくて親身な担当の教育主事さん、気さくな年間講師、そしてはじめての人たちを暖かく受け入れるメンバーと、和やかなムード・・・。
常に笑いが絶えず、3月13日の公民館のつどいに向け楽しく練習しています。

人がある程度集まるのは当然と云えるでしょう。

しかし、僕は、来期(4月)からの狛プーが不安でしようがありません。

僕が来期の年間講師を引き継ぐことの重圧だけではなく、
2011年度の「狛プーのありかた」、ひいてはもっと「根本的」なことを考えると悩んでしまうのです。

今回は、自分自身のコマプーへの想いを整理する上でも、現在の状況について、いま僕の想いを伝えてゆきたいとおもいます。


おそらく、今回の企画であるゴスペルが終わったら、コマプーには人が来なくなってしまうでしょう。

ゴスペルが終わると、私たちのコマプーでは一年を締めくくる最も大切な企画(プロジェクト)を行います。

広報誌であり、唯一の機関紙である「いなほ」の製作作業と、
2011年度(平成23年度)の狛プーの企画・講座内容を決めるのです。

特に新年度についての話し合いで参加者が来ないのは、少々問題でしょう。

”狛プー”という場所は、ひとりひとりが、ともに築きあげていく居場所です。

具体的にいえば、僕が引き継ぐ年間講師というのは、
あくまで団体の中の一人として、代表者兼世話役を請け負う役目を担っております。

言い換えれば、僕がひとりでアレコレ決められる権利は何一つありません。

ですが、新年度の話し合いに参加するメンバーが少ないと、「みんなでやることは考えて決める。」というコンセプトを実現できません。

ある意味では、その分一人一人の発言権は強くなるし、僕もやりたいことを主張できるので必ずしも悪い面ばかりでは無いのですが、
孤軍奮闘というか寂しさを感じるところではあります。

では、なぜ?
”狛プーでは、大切な企画づくりにメンバーが集まらないのでしょうか?”

やりたいことを決められるチャンスなのにも関わらず、
そもそも居場所である狛プーに人気企画や講座でないと人が集まらない
のはなぜでしょう?

それは、つまり・・
「企画や講座ではないから人が集まらない。」のではないかと僕は考えるのです。

居場所というのは、先生に何かを教えてもらえるから、
自分は何もせずとも誰かがもてなしてくれるから行く
という種類の場所ではありません。

むしろ、「別に特に建設的な場所やグループでもないし、くだらない取り留めのない話ばっかの連中だけど、なんとなく居心地がいいから、アイツらに会いたいから行く。」
というのが”居場所”ではないかと想います。

でも実際、狛プーでは通年を通して参加するメンバーの数は片手の指の数に収まるでしょう。

なぜ、そうなってしまったのか?

それはそもそも狛プーの成り立ちに関わってくるのではないかと僕は想います。

狛プーはもともと青年学級でした。
教養を身につけるための場所であったといえます。

それが時代の移り変わりにより、1992年に狛江ヤング・プータロー教室と名称が変更され、
現在では狛プーとして活動しています。

そのため、企画や講座の根幹として趣味・教養・文化的な活動を主体に行っているのです。
す。(例:水墨画、ゴスペル、中国語講座、アロマテラピー、ZAZEN、料理教室など)
また、スポーツなどのイベントも企画のひとつとして存在します。

「狛プーのやりたいことって、一体何なの?」
ってよく人から聞かれるのですが、

狛プーは「みんなでわいわい楽しくやる。」

ただ、これをやるためにあるのです。

その仲間作りのきっかけとして、多彩な企画や講座が設けられているのです!

何もないところから、「じゃあ仲良くなりましょう。」ってちょっとシュールすぎでしょ?
共通の体験をすることで、話題のきっかけを、
思い出を共有することで、友情のきっかけを、
なにげない風景に、お互いがその空間にいるところから出逢いが始まり、
いろんな人間関係が生まれてゆく、そんな人間交差点が狛プーなのです。

(その2へ続く)





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