引っ越しもダメ、保育園もダメ、友人にも会えず、連絡も取れず、mixiやFacebookのメールまでも、全て彼のチェックが入る…
離婚相談していた友達も男性だったので、弟の名前で登録したり、メールを消したり…
女友達への相談の履歴も全て消していました。
そんなまま夏を過ぎ、季節は冬になろうとしていました。
最初に「離婚」の2文字が頭をよぎったなが2011年7月10日頃。
別れを意識し始めてから1年半。
モラハラだけでなく、この頃には手が出るようになっていました。
(わたしも応戦していましたが…)
2012年12月、友人の一言がわたしを動かしました。
このままいたら、息子が旦那みたいになるぞ?
((((;゚Д゚)))))))⁈
絶対やだっ!!
わたしが頑張ってこの世に生み出した生命。
それを、他人を苦しめる存在にしたくなかった
なにより、わたしが死にたくなるほど苦しんでいたのに
息子によって、そんな女の子を生み出してしまうかもしれないことが、ものすごく怖かった…
それでも、なお悩むわたしに友人が言った言葉は…
いま別れても、別れなくても後悔する
だから、後悔の少ない方を選べ
衝撃的な言葉でした。
いろいろな経験をした人だから、出る言葉だったと思います。
この頃には、離婚するしないに関わらず働かなければ!と思い、ハローワークにも行ったりしていたので、この言葉に背中を押され、ようやく決心できました。
いえ、本当は自分の中では、最初の結婚前の時点で答えは出ていました。
でも、夢に縋りたかった…
ママの呪いから解放されたかった…
そんな思いからした結婚でした。
別れの決意をするよりも、さらに高い壁が、わたしにはありました…
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この頃、わたしには怖いものしかなかったです。
母も、父も、旦那も、子どもも…
みんなの一挙手一投足にとても敏感になっていました。
誰かを不快にしてないか?
それだけを考えていました。
自分の考えなど全くなく、誰の要望に従うのがいいか。
それをひたすら考えていました。
精神的なストレスはピークに達していて、彼が帰るとわかる日は、アルコールを飲んでいないと、同じ空間にいられないようになっていました。