わたしの人生史上、後にも先にも最恐のカーチェイスから生還したわたし。

とにかく、感情を感じないようにして淡々と離婚の準備を進めていきました。

兎にも角にも『離婚調停』をしなければ!ということで、弁護士さんに手伝っていただきながら手続きは進んでいきました。

普通『調停』というのは話し合いの場なので、双方が話し合うらしいのですが、うちはそんなことをできる状態ではありませんでした。

モラハラがほとんどでしたが、DVの危険性が多分にあるということで、同席は避けていただきました。

通常ですと、半年ほどでまとまるはずの『離婚調停』は1年以上平行線のまま、『離婚裁判』へと移っていきました。

そんな日々を淡々と過ごす中、やはり毎晩のように追い回され、メッタ刺しにされて殺される夢を見続けていたわたし。

精神状態は限界に近づいていました。

 職場の最寄り駅に着いては、彼のいたタクシー会社の車に怯え、過呼吸になり

家のそばの人影に怯え

調停の度に、鉢合わせしないようにじかんをずらしてもらい…

待合室にいても、入り口から見えないように、奥の方に隠れていました。

一回の調停毎、一度の呼び出し毎に変わる彼の主張(一回の調停でお互い2回ほど調停員と話をします。)に、調停員の方も頭を抱えられていました。

とにかく彼は自分が正しかったと吠えていたようです。

何回目からかの調停からは良くも悪くも、色んなことを諦めていました。

誰がなにを言ってもだめ
この人は絶対に主張を変えない
一生別れられないのかもしれない…

そんな絶望感に打ちひしがれていました…


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この頃、社会人になりたてのわたしは、仕事でも追い詰められ、離婚のことでも追い詰められ、とても普通の状態ではありませんでした。

幸いにも実家にいたので、子どものことはしてもらえ、わたしのこともやってもらえていたので生きていけました。

もし、息子とわんこたちとの四人暮らしをしていたら、虐待かネグレクト(育児放棄)で世間を騒がせていたことでしょう。

実家に戻ることを許してくれた両親と、それを推し進めてくれた友人、金銭的にそうせざるを得ない道に進ませてくれた元旦那。
みんなに感謝です。

わたしには、この体験がどうしても必要だったのです。

そして、そのおかげていま前に進めます。




どうかひとりで悩まず愛いに来てください。