<空海語録>
◉瑜伽(ゆが)とはヨーガのあて字であり、
解釈すると「相応」となります。
あなたと仏がお互いに感応し合うことが、
「即身成仏」の「即」の意味です。
・・・・・
◉密教には三密という実践方法があります。
一つには身密(しんみつ)です。手に印を結んで如来や菩薩を招きます。
二つには口密(くみつ)です。秘密の言葉を読誦(どくじゅ)して、
その語句を明らかにして正しく自分のものにすることです。
三つには意密(いみつ)です。
ヨーガの瞑想状態の中で白く清らかな満月と自分とが一体となることです。
それがさとりを求める心を観想する方法です。
<孔子語録>
◉「巨(しん)は君に事(つこ)うるに 忠を以(もっ)てす」
主君につかえるばあいに、大事なことは、
忠、すなわち真心をこめてすることだ。
社会は、その組織上、上に立つ者と下でつかえる者とがある。
下の者は、真心をこめて上に立つ者につかえる。
このことが失われたら、社会も、個人もうまくいかない。
・・・・・
◉「既往(きおう)は咎(とが)めず」
その人の過去にどんな過ちがあろうと、
いつまでもそれをとがめだてすることはよくない。
できてしまったことをあれこれというな。
やってしまったことを、こうすればよかったなどというな。
他人に対してばかりではない。
自分の過去にくよくよするのも、決してプラスにはならない。
◉「巨(しん)は君に事(つこ)うるに 忠を以(もっ)てす」
主君につかえるばあいに、大事なことは、
忠、すなわち真心をこめてすることだ。
社会は、その組織上、上に立つ者と下でつかえる者とがある。
下の者は、真心をこめて上に立つ者につかえる。
このことが失われたら、社会も、個人もうまくいかない。
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◉「既往(きおう)は咎(とが)めず」
その人の過去にどんな過ちがあろうと、
いつまでもそれをとがめだてすることはよくない。
できてしまったことをあれこれというな。
やってしまったことを、こうすればよかったなどというな。
他人に対してばかりではない。
自分の過去にくよくよするのも、決してプラスにはならない。
<孔子語録>
◉「告朔(こくさく)の餼羊(きよう)」
朝廷は一年のはじめに暦を諸侯にわかち、
諸侯は毎月のついたちに先祖の廟に犠牲の羊を供え、
その暦を民に示し、それによって農作業の季節を教えた。
これを告朔(こくさく)の餼羊(きよう)という。
しかし、孔子の当時はすたれていた。
これについて弟子の子貢が、
形式だけで内容のなくなったしきたりはやめるのがよいといったのに対し、
孔子は、いや、内容は必要に応じてよみがえる。
だからわたしは、その形式が失われていても、
それを復活する礼の失われることを惜しいと思うといった。
このことから当時に必要はなくとも、
後日に必要の生ずるものを「告朔の餼羊」という。
・・・・・
◉「君(きみ)は臣(しん)を使うに礼を以(もっ)てす」
巨下を使う場合、主君は礼儀を失ってはならない。
社会には指揮するもの、命じるものと、
指揮を受けるもの、命ぜられるものとの関係がある。
上に立つものは、下に対するにまず礼を守る心がけを第一とせよ。
このことが失われたら、社会はうまく成り立たない。
◉「告朔(こくさく)の餼羊(きよう)」
朝廷は一年のはじめに暦を諸侯にわかち、
諸侯は毎月のついたちに先祖の廟に犠牲の羊を供え、
その暦を民に示し、それによって農作業の季節を教えた。
これを告朔(こくさく)の餼羊(きよう)という。
しかし、孔子の当時はすたれていた。
これについて弟子の子貢が、
形式だけで内容のなくなったしきたりはやめるのがよいといったのに対し、
孔子は、いや、内容は必要に応じてよみがえる。
だからわたしは、その形式が失われていても、
それを復活する礼の失われることを惜しいと思うといった。
このことから当時に必要はなくとも、
後日に必要の生ずるものを「告朔の餼羊」という。
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◉「君(きみ)は臣(しん)を使うに礼を以(もっ)てす」
巨下を使う場合、主君は礼儀を失ってはならない。
社会には指揮するもの、命じるものと、
指揮を受けるもの、命ぜられるものとの関係がある。
上に立つものは、下に対するにまず礼を守る心がけを第一とせよ。
このことが失われたら、社会はうまく成り立たない。