自分と向き合い、自分の行きたいところへ照準を定めるため精査して、動く日々。


 焦るときは、何に対して焦るのか?本当に焦る必要があるのか?いちいち掘り下げる。
大概そんなに焦らなくてもいいか、解決策はいくつか出てくる。じっくり向き合うと焦りは消えていることが殆ど。

正直不安は無いと言ったら嘘になるかも。
今までしたことの無い動き方をしているから、恐れ不安が出るのは当たり前。
やる前から分かっていたこと。何が怖くて不安かを精査する。

そして、今の自分を信じる。

人から言われる『大丈夫?』の言葉はある意味呪いなんだ。親しければ親しいほどに強い呪い。
『今月は何件入ったの?今週は?…』
心がざわつく。まだ自分に安定感がないところがグラグラ揺すぶられる。
『心配で気が気じゃない。眠れない。』

「心配してくれるのはありがたいけど、その心配の思いは貴女のモノだから私にのせないで。」っと伝えた。

『するなって言ったって、どうしたって心配してしてしまう。』
「うん、ありがとう。でもね、その心配は貴女のモノなの。私は私でやっているから、それはいらない。」
ちゃんと伝えた。

それは、拒絶じゃないんだ。私を大事に思ってくれているからこそ、何かあったら不安。だから無事ていて欲しい。無事でいる確認が欲しい。
って、事を無意識で要求してしまってるんだ。

それも愛のかたち。一つの豊かさ。正直にありがたいと思う。だから、その愛は感謝して受け取る。

『そんな事を言われたら辛くて、凹む。』っと言われるけど、
「ああ、それは言われ馴れてないだけだから。」っと返す。冷たく聞こえるかもだけど、ホントにそう思ってる。
私は否定してないし、ちゃんと受け取った。

私が動くときに、相手の不安までいらないってだけ。

私は「大丈夫」と信じてる。
今までだって、色々あったさ。不安、恐怖をさんざん味わってきてる。でも、今生きてるんだよ。暮らしてるんだよ。
大丈夫なんだ。半世紀かけて培った成功体験だよ。ソコを何故見てくれないかな?

無意識で私の今までを否定していることに気づいてない上に、私に「心無いことを言われた。」と傷付いてるんだ。

スッゴイすれ違いと勘違いで、気のせいなんだ。

『大丈夫?』と言う人にも、自分を信じて欲しい。大概自分自身の未来に、恐れ不安を持ってる人がこれを言う。今あなた生きてんじゃん。
それって尊いんだよ、怖いことじゃないんだよ。

楽しい、豊かな時間を求めているくせに、その豊かさを味わったことはすぐ忘れるんだ。
それでいて不安は小さいことでも取りこぼさないように、拾いあげる。

脳の性質上、そうなってしまうからそれも当然の事なんだ。だから、否定しない。

でも、みんな大丈夫なんだ。
人の事は少し置いておいて、まず、自分自身が、今生きていることの尊さを感じて、労って欲しい。それ、当然じゃなくて、奇跡だから。
そっちに目を向け始めると、世界の色彩が鮮やかに変わるよ。

その頃には、『大丈夫?』なんて、呪いの言葉なんて、吐かなくなってる。

誰かのために動き続けなければ、自分に価値がないなんて、気のせいだから。