次女が生まれた時、呼吸が速い、母乳を吸う力が弱く途中で寝てしまう…
生まれて8日目、大きな病院へ精密検査。
帝王切開だったので母体の回復を待っての転院でした。長い時間の検査の結果
先天性心疾患(VSD/ASD/PS
ドクターはありとあらゆる可能性を説明しなければならないので運動や、出産、もっと言えばそもそも大きくなることができないかもしれない。おそらくオペが必要になる可能性が高い。
と告げられました。
そこからの9ヶ月は毎日が闘い。
うっ血性心不全という心臓がきちんと機能していない状態で心臓に負担がかかり小さな心臓は肥大していました。強心剤と利尿剤を飲ませ、低出生体重児も飲む特殊ミルクをメーカーから直接買わせてもらい、効率よく体重を増やす、という毎日。そして感染症は命とりということで外出も控え、遊びたい盛りの長女には本当に我慢を強いることになってしまいました。特殊ミルクを市内の薬局駆けずりまわって探し出してくれたり、長女を遊びに誘って連れ出してくれたのは両親でした。
それでも、長女は病院に必ず同行させて、検査される姿を見せてきました。シナジスというRSウィルスの予防接種は筋肉注射で太ももに2本ずつ打つこともあったり、レントゲンは機械が怖くて泣いていました。でも痛くて泣いても怖くて泣いても、体力がないから泣き続けられない、そんな姿…『きなーがんばれー』長女の声が鮮明に思い出されます。
毎日体重を測って、100グラムの増減に一喜一憂。ミルクを飲むのも次女にとってはマラソンしている状態、途中で寝てしまいます。
ミルク飲んで体重増えないと手術になっちゃうよ、と飲みきって欲しくて、頑張って頑張って…と飲ませ続け、キャパオーバーさせたのでしょう、吐いてしまい…泣きながら、謝りながら片付けをした夜もありました。
周りからの『頑張って』の言葉にひどく敏感で『これ以上何をどう頑張らせるの!』って思ってました。周りにしたら多分なんて声をかけたらいいかわからない状態なのにね…その節はゴメンナサイ。
結局7か月頃でも全然体重増加が見込めず、手術が視野に。
2007年9月19日東京榊原記念病院から有名な心臓血管外科の医師が来旭、執刀していただき、開胸手術、人工心肺、輸血…生後9か月体重は6.5㎏。
病院からの説明・執刀医からの説明は長時間に渡りました。
最後に執刀医から
お母さん今夜は眠れないかもしれないけど、しっかり休んでください。手術後のフォローはお母さんにしかできませんので…
母の今までをこの一言で労ってくれて、でもまだもう少し頑張ってと励まされました。
朝一から次女のためのチームがバタバタと始動。
手術室の前で家族と離れ母のみ中へ。
次女のことで泣いたりわがまま言ったことのなかった長女がドアが閉まった途端扉の向こうで大きな声で泣きました。
オペ室の中で 『手術部位を教えてください』
『心臓です』
そして次女だけ更に奥のオペ室へ。わけもわからず看護師さんに抱っこされて大きな目でずっと母を見つめていました…私は自力で歩いてオペ室から出ることができず、看護師さんに両脇を抱えられ外へ…お母さんしっかり!
この日からですね、
母は愛を持って強くあるべきと肝に命じたのは。
オペは約7時間、ICUに駆けつけた時はぐるりとシリンジポンプに囲まれあらゆるところから管が。執刀医が手術結果を説明してくれて、
『胸を閉じるのに一番時間をかけました』と。
素晴らしい先生に執刀していただけました。
現在はちょこちょこ何かとある次女ですが、学校生活もパワフルにそして…自由に笑沢山痛い思いや、怖い思いをしてきたからかメンタルはめちゃくちゃ強いです。でも泣き虫で怖いものが沢山あります。
これカラスがこっち見てるって泣いてる笑
これカルガモが怖いってボート乗ってる間この状態笑
これパパにはむかって靴を投げつけた後泣きながら寝たとこ笑
これ家出笑
人工心肺で心臓を止めて手術をしたので9月19日は