前回、幼少期について書きましたが
母に悪態をついてよく怒られていたこと
くらいしか覚えがありません。
ということで小学校低学年編です。
――――
兄の小学校入学を前に、
今の実家のある場所に越してきているので
小学校には誰一人知り合いがいませんでした。
まわりの子たちは
どうやら同じ幼稚園に通っていたらしく
すでに顔見知り、
友達同士ばかりで、誰も知らないわたしは、
はじめのうちはかなり戸惑いました。
何より困ったのが
「名前が漢字で書けないこと」でした。
漢字だったかなぁ、
文字そのものが書けていなかった
かもしれません。
わたしの住んでいた学区には
保育園がなく、
みんな幼稚園を出てきた子ばかり。
1年生入学の時点で
みんな自分の名前が
書けていたんですよね、わたし以外は。
だから本当に驚いたし、
自分だけ置いていかれてる気分
だったように思います。
小学生時代の思い出といえば、
忘れ物が多かったこと、ですかね。
たぶん先生の話を
聞いていなかったんじゃないかと思います。
一日の終わりに「帰りの会」という
ホームルームというのかな?
の時間があったんですけど
翌日に持ってくるものとか、
大事な予定(何かしらの学校行事とか)を
先生が話してくれて
それを連絡帳というのに
自分で書き込んで帰る、
というルールがあったんですけど
その帰りの会でわたしは
上の空だったんじゃないかなぁ。
覚えてないけど。
で、だいたい翌日登校してから
「え?なにそれ?聞いてない!!」
とかってなるんです。
それも一度や二度じゃない。
かなりの頻度です。
かなりあとで分かったことですが、
教室の後ろ側にある黒板の
隅っこの方に
「明日の持ち物」
が書かれていました。
それを知ったときも
「なにそれ?初めて聞いた!!」
みたいな反応でしたけど
先生が言わないわけはないし
きっとわたしが聞いてなかったんじゃ
ないかと思います。
自分でも呆れるほど
ほんと忘れ物が多かったですね。
そうそう忘れ物をよく
おばあちゃんに学校まで
届けてもらっていました。
どうやって連絡してたんだろう?
記憶にありませんが…
あ!
届けてもらっていたのは
お弁当、です。
台所に置きっぱなしになっている
お弁当を発見して
他にも体操着とか水着とか
玄関に置きっぱなしにして
学校に行っちゃってたような…
さすがにこれはマズい、と
おばあちゃんが思ってくれて
学校まで届けてくれたんだと思います。
おばあちゃんは車を運転できなかったから
わざわざ歩いて学校まで来てくれてました。
今さらだけど、
ごめんね、おばあちゃん。
ありがとう。
続きます。
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