今日は、日帰りで滋賀に行ってきました。




何度も訪れた滋賀の草津駅。





とてもお世話になった居原田麗先生への

お別れをするために、です。





わたしのプライベートな気持ちを、

どこまで、ここに書いて良いのかは

わからないのですが、




麗先生とつながれたり

近況を知ることが互いにできたのは、

こうしたインターネットの発達があったから、

自分の言葉で発信できる場があったから、

なので、書き残しておきたいと思います。お願い




悲しいお知らせを受けてから、

ずっと悲しみの中にありましたが、

淡々とつづく日々の中で、実感がなく、

受け入れられない、前にすすめない、

そんな気持ちがありました。




それは今後も、

つづくことではありますが、

滋賀へ足を運んで、先生のことだけを

考える一日を過ごせて、すこしだけ

前をむけるような気がしてきました。




一人一人が

先生に手を合わせる機会を持たせてくださったこと、

先生を大切に思う人たちが一箇所にあつまって

悲しい気持ちを共有できたこと、

生きている者にとって、とても大切な時間でした。お願い





悲しみのつづく状況の中で、

準備をされたご家族とスタッフの皆様、

本当に大変なことだっただろう、と思います。





一番奥の献花台の前に、白衣が飾られていて、

ポケットには、ペンの他にも、

二重手術のシュミレーションのブジーが

入れられていたのを見た時、涙が止まらなかったです。





泣いたり、手を合わせたり、思い出したり、

こうしたことを繰り返すこと、

悲しくても避けずに受け入れていきたい、

そう思いました。





二重手術のときになると、オペ室ではよく

安室奈美恵ちゃんの曲がかかっていました。





そういう曲に触れたり、

関西弁をきいたりすると、これからも、

先生を思い出すと思いますし、

思い出したい、と思います。スター





会えなくても、大好きなことに、

変わりはないし、

日々前を向くこと、とても

大切にしたい、そう思います。





文章を書くことは、

自分にとって、気持ちを整理することに

とてもつながっているようです。  





不器用なので、

こんなふうにしか表現できないし、

人前でたくさん泣いてしまったけど、

今日はとても大切な1日になりました。





どうしても、

記録に残したかったんです。





2024.2.12



麗先生へ

愛を込めて。




Dr.Moeでした。