今日は足がプルプルいってます
理由は高円寺のUFO CLUBに長谷川健一さんのライブを観る為です
相変わらず素晴らしい歌の数々でした
昨夜は誕生日って曲と空の色って曲が特に良かった
ぼくの蕾という曲も歌ってくれて
すごく感動しました
長谷川さんとは毎週メールでやりとりをしていて
僕にとっては数少ない尊敬できるSSWの一人と
こうして交流をさせて頂ける事が
昔から考えると 本当に夢のようです
今はお休みを頂いているけど
下手くそながら
歌を続けてきて良かったと心から思います
つい最近は 佐々木龍大さんから新譜のマスタリング前音源が手紙と共に届きました
「音の兄弟と想っています」
そう書かれた手紙を見て
ぐっときたのと
うわー 頑張らないと兄貴に示しがつかないなとも思いました 笑
マイスティースの次松君も連絡をくれて
新譜をわざわざ届けてくれるとのこと
僕はあまり友達が多い方では無いけど
人との繋がりが希薄に感じる今
こうして先輩方との交流やお気遣いを頂くと
とても嬉しく
何より勇気づけられます
長谷川健一さんのステージを観ていて
僕もあそこに立っていたんだと考えて
少しゾッとしました
ステージに立つメンタルというのは特殊で
離れるとその分取り返すのに時間がかかる気がするのです
すごい特別な場所に立っていたんだなと思います
でも 焦って戻ろうとは思ってなくて
今こうしている時間も
自分が作る音楽に新たな空気が入っくるのをイメージ出来ます
ここ最近 即興音楽やコンテンポラリーな作品を聴いていて感じたのは
ぼくの好きな音楽には物語の起伏が必ず存在する事です
救いがあるかどうか
闇の先に光が見えるかどうか
光の後ろに闇が控えているかが
とても重要だということ
物語を綴るように歌を書き唄う喜びこそが
自分が求めている音楽なのだと
なんとなく気づきました
その物語が 音で表現するものなのか
詩で表現するものなのか
どちらかというと 詩にその重きを置いてやってきた
ブルースにはある程度定型のコード進行があり
そこに歌い手が好きなギターフレーズや詩を吹き込む事で
みんなが新しいものをどんどん作ってきました
それは先人から受け取る大事なバトンでもあります
メロディーや旋律の在り方
人生そのものを音楽へ転化する手法はそれぞれで
オリジナリティーという言葉が簡単に扱われる今の時代背景には
ルーツミュージックへの軽視と
音階としてしか捉えられない一方通行な感じ方が見え隠れします
僕は音楽を聴く時に
それを作った人間になります
ギターのタッチ一つ
歌詞の置き方一つに
その人の感受性を見つけては
「こんなに繊細な人が生きるのは大変な事だろう」
そんな事を思って聴きます
少し特殊なのかもしれないけど
聴きたい様に聴く事があまり出来ない性分でもあります
街を歩いていて
沢山の人が其々の方向に進んでいく様を見る時に
「沢山の人」と一塊に捉える事が出来ず
個々の人生を想像してしまう
其々に家族や恋人や苦悩 価値観
人生の喜びがあって
それを思うと
自分の状態によって 多幸感ないし絶望感
それが押し寄せてくるのです
そんな風に音楽を聴いて
日々 絶望したり 感動したりしています
だから ライブってとても特別な場所です
価値観や生き方が全く異なる人達が
「音楽を聴く」というたった一つの共通点を抱いて集まる
それというのは何だか 今となって奇跡の様に感じる
演者もプロモーターさんもTECさんもエンジニアさんもお客さんも含めて
めちゃくちゃ素晴らしい事だなって思います
せっかくみんなで集まるなら
最高の1日にみんなで出来たら最高ですね
そんな1日をみんなとまた作れるように
今はせこせこと日々を送っています
日々 音楽と共に