とにかく「書く!」ということを考える話
「夏休みの宿題に、読書感想文を書きましょう。」
私はこの読書感想文が大の苦手でした。
400字詰めの原稿用紙を机の上に置いたら、もうその四角のマスで塗りつぶしイラストを描いてしまいたくなる衝動につき動かされるほど、読書感想文が苦手でした。
でも、本を読むのは好きなんです。
何もない休日など、朝から晩までずっと本を読んでいたり、読みたい本を大量に買い込み、今日はあれ読もうかしら、明日はあれにしようかしらなどと妄想するのも好きだったりするくらい、本を読むのは好きなんです。
ではなぜ、私は読書感想文が苦手なのでしょう?
簡単な答えにたどり着きました。
そう、あの原稿用紙を埋めるという作業が苦手なのだと。
人間とは恐ろしいものです。
「さあ、原稿用紙4枚、1600字で感想をまとめなさい」
と言われると、その1600字で自分が評価されることに意識を集中してしまい、埋めるどころか書き出すことも躊躇してしまうのです。一字一句にあれやこれやと悩み、あーでもないこーでもないと、消したり書いたりを繰り返し、神経を衰弱させながら1600字をきっかり埋め込むのです。
先日のことです。
私はとても面白い本を友人から紹介されました。きっと好きだから読んでみなよと。今度、飲みながら熱く語ろうぜと。それは確かに私好みで、あっという間に読み終わってしまい、私は興奮しながらその感想を相手に、一分一秒でも早く伝えたかったので震える指でメッセージを打ち始めました。
「とても面白かったよ。」
・・・・
トテモオモシロカッタヨ。
・・・・
その後の言葉が出てこないのです。
読んでいる最中は色々と思うことがあるのですが、読み終わると面白かったという1ワードしか出てこないのです。
それは美味しい食事をした後も、美しい景色を見た後も、私には「おいしかったよ、綺麗だったよ」しか出てこないことに気付いたのです。
なんということでしょう。
この事実に気付いた時、私の頬には一筋の滴が流れ落ちました。
ああ、この世の中にはまだ見たこともない面白い本、食べたこともない美味しい物、涙を流してしまうような景色で溢れています。
それを私はたった一言「面白かった、おいしかった、綺麗だった」と片づけてしまうなんて。
原稿用紙1600字を、何の躊躇も無しに埋められる表現豊かな人は、この感情をどう表現するのだろうと。
しかし逆を言えば、私のこの一言にはかなりの重みがあるんじゃないかと思い返してみたりもしたけれど、たいていの事は肯定的に捉えるポジティブシンキングの私ですら、春のそよ風でふき流されてしまうような一言に過ぎない言葉だと、改めて実感させられたような気がします。
と、そんな事を酔っ払いながら友人に話していました。
友人は言いました。
「今しゃべってること、原稿用紙何枚分だと思うんだい?」と。
私は一瞬の光を見たような気がしました。
そう、原稿用紙というものが無ければ、私はいつまでも時間の許す限り、自分の感想や思想を話続けられるということに・・・!!!
今打ってるこの文章、現時点で1200字オーバーしております。
もうすでに、原稿用紙3枚分はくだらない話を書き連ねております。
人間とは不思議なもので、規則やルール、形式があると、それを意識して全力でぶつかれない時があるのです。
そんな事をふと考えている4月の心地よい夜。
私はあと残り、原稿用紙一枚分400字分、しっかりと「オモシロカッタ」と書き埋めようと思います。
それは何の含みもない真のオモシロカッタであって、そのオモシロカッタを全力で受け止めてくれる友人と、今度酒の肴にしようと思います。
この図書カードのデザインかわいいねえー