3年前に書いたものですが、◯年前という数字のところと冒頭だけ修正しております。
何年経っても、やはり原点は変わりません。
ですが、使う言葉やそのエネルギーのフレッシュさは、やはりその時ならではのものがあります。
ですので、このまま・・・3年前の私が書いたままをお読みいただければと思います♡
【プロフィール】
私は、Happy♡Rebirthという完全オーダーメイドのプログラムを創り、ご縁ある皆さまの人生に癒やしと目覚めをもたらす道をご一緒しています。
具体的には、アロマ精油・ヨガ・心理学の学びを活用し、
他人の期待にしばられ、がんじがらめのモンモン人生の苦しみを解放し、本来の自分らしさを発揮して生きる人生に「生まれ直す」為のお手伝いをしています。
私は、6年前にヨガ教室を立ち上げ、500名を超える方々とヨガを通して関わってきました。
そして、その方々と関わるうちに気づいたことがあります。
多くの方が、心身に何らかの「不調」を感じてヨガに興味を持たれたり、解決の糸口を見出だし、ヨガ教室を探されます。
ですが、その「不調」の原因は、その方の生き方のとても根本的な部分にあり、
自覚している身体や心の症状はその現象に過ぎないという事です。
そしてそれは、今まさに自分自身に発せられている「魂からのサイン・メッセージ」であるという事です。
このような点に着目し、私の持てる知識やスキルにより、役に立てる事はどんなことだろう??
と考え始めました。
最近では、定期的なヨガレッスンにとどまらず
「これから自分がどう生きていきたいのか」という事と深く向き合おうとしていらっしゃる方のお手伝いをする事がとても多くなってきました。
少し、私の人生の大きな転機となったヨガとの出会いから遡ってお話させて下さい(*^^*)
…………………………………………
私の今のお仕事の原点となったのは、7年前に参加したヨガインストラクター養成講座での体験でした。
当時私は、大手メーカーに勤務し、1日中取引先店舗を回り、商談から商品陳列、その後の店舗フォローという仕事を、100キロ圏内50店舗を担当し、働いていました。
仕事はとても楽しく、一生懸命ひたむきに頑張っていたので、社内の上司や同僚、取引先店舗の方々からの信頼も少しずつ増していき、仕事を任される事も多くなっていました。
周囲からの期待が大きければ大きい程、その期待に応えようと頑張るのは、幼い頃から変わらない私の性格です。
そしてこの私の性格は、この会社においても、十分に発揮されていきました。
任されれば任される程その期待に応えようと更に頑張るという循環は、図らずもここでも出来上がっていたのです。
もともと結婚を機にこのメーカーに入社し、2年目には妊娠、出産も経験しました。
当時の私は、産休・育休でブランクができるのが怖かったので、一年間認められている育児休暇を自ら放棄し、息子が生後4か月の時に職場復帰をしました。
誰もそこまでやってくれなんて頼んでないのに・・・
長期間休む事で、私がいなくても何とかなるという状況になる事を恐れていたのです。
「頑張ってるね」
「さすがだね」
「あなたのお陰」
このような言葉に安心しました。
自分の存在価値を、周りの評価を通してしか認める事が出来ていなかったのですよね。
今の私ならそれが分かりますが、当時の私は、そんな事思いもしません。
「一生懸命頑張ります!」
この思いだけで、生後4か月の息子を、冷凍した母乳と共に実家の母にあずけ、残業や出張も少なくない環境で張り切って働いていました。
息子が風邪をこじらせ気管支炎で入院した時、
ひと晩悩んだ末、宿泊を伴う出張へと出かけた事もあります。
まだ一才の小さな息子が、点滴の針が刺さったまま病院のベッドの上で過ごしている時、
私はそんな息子がどんな気持ちでいるのかという事よりも、仕事をこのタイミングで休む事が社会人としてどうなのか、という事の方が気になっていたのです。
当時の私のあらゆる行動は、
組織の中で必要とされていたい、その為にも私はいつも一生懸命頑張っていなければいけないし、その姿を見せていなければならない
という思いから為されていたのです。
その位一生懸命だったので、仕事で手応えを感じる機会も増えましたし、その事が更に私を仕事へと没頭させていった訳です。
…… ヨガとの出会い ……………
ヨガインストラクター養成講座に参加したのは、そんな頃でした。
会社の仕事は面白くてやりがいもあったけれど、
やはりいつかは自分で何かお仕事を起こしてみたいなぁという思いが、20代前半の頃からあったということがきっかけでした。
ヨガはそれまでに約1年間、自宅で毎朝初心者用DVDを観ながら続けていたという程度。
ですから、実はこの時のインストラクター養成講座で受けた模擬レッスンが、初めて受けた生のヨガレッスンだったのです。
そしてこの時、あの何とも言えない感覚を味わった、運命の体験をすることになります。
それは、「シャヴァアーサナ」というリラクゼーションのポーズの時でした。
心地良いまどろみの中で私は、自分が分厚い鎧のようなものを何着も着込んでいた事に気づきました。
一生懸命頑張っていないと自分でいられないような気がして、周りの期待に添う自分を「自分」だと思っていたのだという事。
頑張っている自分も「自分」だけれど、そうでない自分だって「自分」なんだという事。
そして、深いリラクゼーションの中で感じたのは、
肩書きや社会的な役割に関わらず「ここにいる」自分の存在でした。
ああ・・・頑張っていてもいなくても、私は私なんだなあ・・・
肩の力がふわ~っと抜け、涙があふれたのを今でもよく覚えています。
そして、同時に気付きました。
私は、仕事を頑張って評価を得る事でしか自分を認められず、その一方的な価値観をいつも周りの人にも押し付けてきたという事に。
「ちゃんとやってよ!」
「もっと頑張ってよ!」
「なんで出来ないの?」
これらの言葉や思いを、いつも自分に投げかけると同時に、
一緒に働く人達や、家族にも向けていたように思います。
またその頃、社内外で多く見ていたのは、心身のバランスを崩し、長期休養に入るという方々です。
私が初めてのヨガレッスンで気づいたのは、
背負っている役割や、仕事の成果の状況に関わらず、「私は私」という感覚です。
たとえその時、仕事が上手くいっていなかったとしても、自分という人間に価値が無いという事とは違うのだという事。
もし、私が長年気づかずにいたこの感覚を忘れないでいられたら、、、
心身のバランスを崩してお仕事を休むことになったり、その事が原因で病院に通ったり、言われるままに薬を飲めど一向に快方に向かわなかったり、、、そういう人って減らせるのではないだろうか ― そんな風に思いました。
私はその時はまだこれといった不調を抱えていたわけではないけれど、それは根拠のない気合で跳ね飛ばしていただけ。
それに、もっとコワイのは、あのような生き方を続けていたら、いつか周りの誰かをそのような状態に追い込んでいたかもしれない。
だからもし、私が「ヨガ」で気づいたこの感覚を、同じように「ヨガ」で伝える事が出来たら…
ヨガを伝える事を自分の仕事としていこう!!
そう決意した瞬間でした。
…… 起業、そして ……………
そして、その運命の体験から5か月後、会社を辞め、ヨガ教室の準備を始めました。
本当に不安でいっぱいでしたが、養成講座での深い気づきやあの時の強い決意に支えられ、何とかその不安に押しつぶされることなく、最初のヨガ教室を立ち上げる事ができました。
もちろんここには、本当に多くの方の温かな協力があったからこそ成し得たという事は、言うまでもありません。
レッスンを開講してからは、
日頃の疲れやストレスを癒したい方、
子供の手が離れ何か始めようとヨガを選んだ方、
長年抱えてきた腰痛を和らげたい方、
夜なかなか眠れなくて悩んでいる方、
心身のバランスを崩し、不調を抱えている方、
親子で楽しく通って下さる方、
お友達同士でご参加下さる方、
などなど、本当に沢山の方と出会いました。
そんな皆さんに、より上質のレッスンをご提供する為、そして自分のスキルアップの為に、
ヨガはもちろんですが、NLP心理学やアロマ精油についてなど、興味に従って勉強する機会を重ねてきました。
そして、重ねてきた数々の学びは、単なるスキルアップとしてだけでなく、
私自身の人生と向き合い、自らを深いレベルで癒す重要なプロセスとなっている事に気づいたのです。
学べば学ぶほど、自分の人生から苦しみが取り除かれていくのを感じました。
まずひとつは、
「こうでなきゃ」「こうあるべき、こうすべき」という「ねばならない思考」から、自らを解放する事ができるようになりました。
幼い頃から「真面目で頑張り屋」だった私は、どこで何をするにも
「ちゃんとしなきゃ」
「苦しくても最後まで頑張らなきゃ」
「イヤでも我慢しなきゃ」
という価値観にとらわれてきました。
最初は、ヨガをしている時でさえそうだったのです。
隣の人より上手にやろうとして、痛くても苦しくても、みんながやってるからやめるわけにはいかない!!
力ずくでポーズをとっていたんですね。
しかし、日本のヨガの第一人者ケン・ハラクマ先生の講座を受講した時、ケン先生からとても印象的な言葉を聞きます。
「ポーズから痛みや苦しみを取り除く事で、
人生から痛みや苦しみを取り除く方法をポーズを通して学ぶのです。」
今やっているポーズが苦しければ、隣の人がどうしているかに関わらず、
苦しくないように変えてみたり、
あるいは「勇気をもってやらない」という行動をとる事
それもまた、あらゆる選択のひとつである。
その時々であらゆる選択ができるしなやかな強さを養っていく事もまた、ヨガの学びであるという事に気づきました。
「最後まで頑張り通す」強さと、
「勇気をもってやらない」強さ
どちらも使えると、人生はとても生きやすくなるんだ(*^^*)
そして更に、昨年の夏に、
リストラティブヨガを学んだ事でも、私自身の癒しは進んでいきます。
リストラティブヨガは、ほとんど動かない「静」のヨガ。
私はつい「何か成果をあげなきゃ」「頑張らなきゃ」と、いつも何かしようとしてしまいます。
だから、何もしないでいる事をまず自分に許す事、これが最大の学びでした。
何もしない自分、あるがままを受け入れる事は、
自分自身をそのまま認める事。
究極の「自己肯定」と言えます。
リストラティブヨガは、ポーズを通してそれを教えてくれました。
…… おとずれた「許し」………
その時のとても印象的な体験について、少し書きますね^^
リストラティブヨガ養成講座でのこと。
何もしない事を許し受け入れた時、
身体の緊張が完全に解け、とても深いリラクゼーションがおとずれました。
7年前に初めてヨガで感じたような、心地の良いまどろみのような状態です。
そんなまどろみの中で、私はこの時もまたとても大切な体験をしました。
大きな気づきと癒しを得る事ができ、その後まもなくやってきた私のおばあちゃんとの別れを最善のものにしてくれたのです。
私のおばあちゃんは、素直に「ありがとう」と言えない性格、喜怒哀楽すべての感情が言葉や態度にすごく現れる人でした。
そんなおばあちゃん。
嫁である私の母との関係も良いとは言えませんでしたし、息子である私の父との関係も良いかというと疑問でした。
父は、子供の頃からの母子の関わりの中で傷ついた感情が癒せないままだった為、
還暦を越えてもなお、一方的におばあちゃんを許せないでいるようでした。
私は、そんな父に対して「お別れの時が近づいているんだから、もう許してあげなよ。」と思っていました。
面と向かって口には出さなかったけれど、最後はわだかまりが少しでも消えるといいとも願っていました。
そんな私が、自分の一方的なこだわりに気づき、とてもピュアで穏やかな眼差しを手に入れるきっかけとなったのが、
リストラティブヨガにより心身が深く解放されたことでした。
うとうとまどろみながら気づいたのは、
「おばあちゃんがどんなお姑さんであっても、お父さんにとってどんな母親であったとしても、
戦争中も頑張って生き抜き、お父さんを生み育てて、私たちに命をつないでくれた事、
その事こそが真実なんだ。」
ということ…
「こうあるべき」にとらわれていた私のくもりメガネが外れ、
真実だけを映せるピュアな眼差しで眺められた瞬間でした。
ただただおばあちゃんに感謝があふれてきました。
涙が止まりませんでした。
更には、年老いたおばあちゃんを未だに許せない父への疑問や期待も涙と共に流れ、
その日を境にとても穏やかに家族を眺められるようになりました。
私は否定的な感情を家族の誰にも少しも抱かずに、おばあちゃんを見送る事ができたのです。
ヨガは、こんなところでも私を救ってくれました。
心のわだかまりを取り払ってくれました。
この体験は、ほんの一部です。
ヨガだけでなく、NLP心理学、アロマ精油によっても、私は私自身の人生が深く癒される体験をたくさんする事ができました。
アロマ精油との最初の印象深い出会いは、
記憶の片隅に封印していた痛い痛い罪悪感を癒してくれたという体験でしたし、
NLPはヨガ教室立ち上げに際しての大きな不安を支えてくれましたし、
家族について深い気づきをもたらしてくれた事も本当に多くあります。
ヨガ、NLP心理学、アロマ精油、そしてこれまでの私の全ての経験・・・
そんな全ての事が、私自身の人生を深く癒し続けてくれています。
今こうしている今日も、です。
…… リバースレッスン誕生 …………
そして今、私は私が学んできた全ての事が「人生に寄り添い、助ける」ツールとなり得る事に、確信を持つようになりました。
自分自身でどうにも消化できない感情や過去の記憶を、
自らの気づきを以て癒していく事や、
自分の本当の気持ちに気付いてあげる事、
身体の痛みや不快感を取り除いてあげる事など・・・
私がこれまでの学びを通して得た体験のプロセスを、もし再現することが出来れば、
もしかしたらもっと救える方がいるのではないだろうか
と思うようになりました。
そのような思いを素に創り上げていったのが『リバースレッスン(rebirth lesson)』です。
『リバースレッスン(rebirth lesson)』は、
ヨガ、NLP心理学、アロマ精油を学ぶ過程でもたらされた深い気づきや癒しの体験を詰め込んだオリジナルレッスンです。
私がこの世に生まれてからこれまでのどのプロセスが抜けていても創ることが出来なかったレッスンです。
身体が痛い時は、身体の専門家の元へ通い、精神的に辛い時は心の専門家に助けを求めたり、とプロに委ねる事も必要だと思います。
ですが残念ながら、その専門家はいつもお家にいて常に助けてもらえる訳ではありません。
日々を過ごしていく中で、苦しい事や辛い事はいつだって起こり得るでしょうし、
疲れもたまっていくでしょう。
ストレスだって感じない日はないでしょう。
何十年も頑張って生きてきたのだから、癒されないまま抱えてきたものだって数え切れません。
ではどうすれば良いのか・・・
抱えたままになっているモノを溜めに溜めて、限界になるまで苦しむのではなく、
あなたがあなた自身を癒してあげてほしいのです。
現在私は、ヨガ、心理学のセラピー、アロマ精油を使ったセラピーなどをご提供していますが、
私が皆さんにご提供しているのは「癒し」そのものではなく、その「方法」をご提供しているのだと思っています。
そして、限界になるまで苦しくなる前に、
あなたがあなた自身を救ってあげて欲しい。
私が今『リバースレッスン』をお伝えしている理由は、ここにあります。
「苦しまない」ことは、苦しい事を避ける事ではないと、私は思います。
生きていれば色んな出来事が起こりますし、
日常生活でだって、気の向かない事をやらなければならない場面はたくさんあります。
不用意な言葉に傷つくこともあるでしょう。
そんな時、もし力ずくで何とかやり過ごそうとするならば…
沸き起こる感情に蓋をして胸の奥にしまい込み、いつまでも許せない気持ちを奥底に抱え続けたり、
気持ちが整理されないままやり続けて身体を壊したり、
感情に振り回されて疲れ果てたり・・・
でももし、自分自身への気づきと癒しを深めることで、
出来る限りフラットな場所に立ち、出来る限りピュアな眼差しでこの世界を見ることが出来たら・・・
それは、自分をとても助けます。
ストレスと感じる対象がとても減ります。
そしてそれは、
とてもしなやかで強い在り方です。
もし、あの時の私にこのピュアな眼差しやしなやかな強さがあったら・・・
きっと、もっともっと自分自身を許せたでしょうし、もっともっと周りの人達を許せたんだと思います。
世界は、本当はもっと優しいはず。
でも、そう見えなくしているのは、
私たちが経験から学んだり、
教えられてきた様々なルールや限定された価値観
それらも、その一因のような気がします。
たったひとつの価値観に、いつでもどこででも縛られる必要はないということに、
私は30年以上も気づきませんでした。
例えば、小学1年生になった時、トイレは休憩時間に行く事を教わります。
でも家では、生理的反応に従っていつでもトイレに行きますよね?
集団生活のルールを家でまで適用しようとする人はいませんよね?
(ちょっと極端な例えだけれどね(^^;)
どういう事かというと、
「トイレは休憩時間に行きましょう」という集団生活に沿ったルールを、
お家で自由にトイレに行く自分やヒトに当てはめて、その行動を責める
というような事をしていませんか?という事。
大人になった私達は、これまでに身に付けてきた価値観やルールを見極めて、
適用したりしなかったりしながら目の前の世界を見る必要がある。
そうでなければ、いつも自分を許せないし、いつも誰かを許せないんです。
「こうあるべき」という限定された価値観で、いつでもどこででも生きると、必要以上のストレスを生みます。
心と身体に不調和が生まれるのは当然です。
「こうあるべき」に当てはまらない事の方が、この世の中には圧倒的に多いのですから(*^^*)
自分自身への、そして自分の人生への気づきと癒しを深めていくこと ―
それは自分自身を「許す」ことでもあります。
自分自身を許すことができて初めて、他の誰かを許すことが出来ると思うのです。
そしてそれは、
出来る限りフラットな場所に立ち、
出来る限りピュアな眼差しで、自分自身の過去・現在・未来、
そして相手の事や出来事を見ることができたときに、ほぼ同時に起こります。
あくまで、私の経験による確信ですけどね(^^)
少しずつ、ゆっくりでいいから、
今の自分を作っているこれまでの数々のことと丁寧に向き合い、
少しずつでいいから、
自分の人生に、自分自身に、深い癒しを与えていくことを続けること ―
少しずつ、
純粋なじぶん ― ピュアセルフを取り戻し、今一度
他の誰でもない自分の為に生きる人生に「生まれ直す(rebirth)」こと ―
そのとても大切な機会と方法をご提供し、寄り添うことが、
私がこの人生に頂いたお役目だと思っています。
そして、私自身の癒しも、学びも、日々ずっとずっと続いているのです。
生きていく限り、明確なゴールは無い。
でもだからこそ、深化し続けられます。
自分自身への深い癒しと気づきを得ることを続けていきながら、
今この時点での私の全てで、お伝えし続けるということなのかもしれません。
Om Shanti
私はその時はまだこれといった不調を抱えていたわけではないけれど、それは根拠のない気合で跳ね飛ばしていただけ。
それに、もっとコワイのは、あのような生き方を続けていたら、いつか周りの誰かをそのような状態に追い込んでいたかもしれない。
だからもし、私が「ヨガ」で気づいたこの感覚を、同じように「ヨガ」で伝える事が出来たら…
ヨガを伝える事を自分の仕事としていこう!!
そう決意した瞬間でした。
…… 起業、そして ……………
そして、その運命の体験から5か月後、会社を辞め、ヨガ教室の準備を始めました。
本当に不安でいっぱいでしたが、養成講座での深い気づきやあの時の強い決意に支えられ、何とかその不安に押しつぶされることなく、最初のヨガ教室を立ち上げる事ができました。
もちろんここには、本当に多くの方の温かな協力があったからこそ成し得たという事は、言うまでもありません。
レッスンを開講してからは、
日頃の疲れやストレスを癒したい方、
子供の手が離れ何か始めようとヨガを選んだ方、
長年抱えてきた腰痛を和らげたい方、
夜なかなか眠れなくて悩んでいる方、
心身のバランスを崩し、不調を抱えている方、
親子で楽しく通って下さる方、
お友達同士でご参加下さる方、
などなど、本当に沢山の方と出会いました。
そんな皆さんに、より上質のレッスンをご提供する為、そして自分のスキルアップの為に、
ヨガはもちろんですが、NLP心理学やアロマ精油についてなど、興味に従って勉強する機会を重ねてきました。
そして、重ねてきた数々の学びは、単なるスキルアップとしてだけでなく、
私自身の人生と向き合い、自らを深いレベルで癒す重要なプロセスとなっている事に気づいたのです。
学べば学ぶほど、自分の人生から苦しみが取り除かれていくのを感じました。
まずひとつは、
「こうでなきゃ」「こうあるべき、こうすべき」という「ねばならない思考」から、自らを解放する事ができるようになりました。
幼い頃から「真面目で頑張り屋」だった私は、どこで何をするにも
「ちゃんとしなきゃ」
「苦しくても最後まで頑張らなきゃ」
「イヤでも我慢しなきゃ」
という価値観にとらわれてきました。
最初は、ヨガをしている時でさえそうだったのです。
隣の人より上手にやろうとして、痛くても苦しくても、みんながやってるからやめるわけにはいかない!!
力ずくでポーズをとっていたんですね。
しかし、日本のヨガの第一人者ケン・ハラクマ先生の講座を受講した時、ケン先生からとても印象的な言葉を聞きます。
「ポーズから痛みや苦しみを取り除く事で、
人生から痛みや苦しみを取り除く方法をポーズを通して学ぶのです。」
今やっているポーズが苦しければ、隣の人がどうしているかに関わらず、
苦しくないように変えてみたり、
あるいは「勇気をもってやらない」という行動をとる事
それもまた、あらゆる選択のひとつである。
その時々であらゆる選択ができるしなやかな強さを養っていく事もまた、ヨガの学びであるという事に気づきました。
「最後まで頑張り通す」強さと、
「勇気をもってやらない」強さ
どちらも使えると、人生はとても生きやすくなるんだ(*^^*)
そして更に、昨年の夏に、
リストラティブヨガを学んだ事でも、私自身の癒しは進んでいきます。
リストラティブヨガは、ほとんど動かない「静」のヨガ。
私はつい「何か成果をあげなきゃ」「頑張らなきゃ」と、いつも何かしようとしてしまいます。
だから、何もしないでいる事をまず自分に許す事、これが最大の学びでした。
何もしない自分、あるがままを受け入れる事は、
自分自身をそのまま認める事。
究極の「自己肯定」と言えます。
リストラティブヨガは、ポーズを通してそれを教えてくれました。
…… おとずれた「許し」………
その時のとても印象的な体験について、少し書きますね^^
リストラティブヨガ養成講座でのこと。
何もしない事を許し受け入れた時、
身体の緊張が完全に解け、とても深いリラクゼーションがおとずれました。
7年前に初めてヨガで感じたような、心地の良いまどろみのような状態です。
そんなまどろみの中で、私はこの時もまたとても大切な体験をしました。
大きな気づきと癒しを得る事ができ、その後まもなくやってきた私のおばあちゃんとの別れを最善のものにしてくれたのです。
私のおばあちゃんは、素直に「ありがとう」と言えない性格、喜怒哀楽すべての感情が言葉や態度にすごく現れる人でした。
そんなおばあちゃん。
嫁である私の母との関係も良いとは言えませんでしたし、息子である私の父との関係も良いかというと疑問でした。
父は、子供の頃からの母子の関わりの中で傷ついた感情が癒せないままだった為、
還暦を越えてもなお、一方的におばあちゃんを許せないでいるようでした。
私は、そんな父に対して「お別れの時が近づいているんだから、もう許してあげなよ。」と思っていました。
面と向かって口には出さなかったけれど、最後はわだかまりが少しでも消えるといいとも願っていました。
そんな私が、自分の一方的なこだわりに気づき、とてもピュアで穏やかな眼差しを手に入れるきっかけとなったのが、
リストラティブヨガにより心身が深く解放されたことでした。
うとうとまどろみながら気づいたのは、
「おばあちゃんがどんなお姑さんであっても、お父さんにとってどんな母親であったとしても、
戦争中も頑張って生き抜き、お父さんを生み育てて、私たちに命をつないでくれた事、
その事こそが真実なんだ。」
ということ…
「こうあるべき」にとらわれていた私のくもりメガネが外れ、
真実だけを映せるピュアな眼差しで眺められた瞬間でした。
ただただおばあちゃんに感謝があふれてきました。
涙が止まりませんでした。
更には、年老いたおばあちゃんを未だに許せない父への疑問や期待も涙と共に流れ、
その日を境にとても穏やかに家族を眺められるようになりました。
私は否定的な感情を家族の誰にも少しも抱かずに、おばあちゃんを見送る事ができたのです。
ヨガは、こんなところでも私を救ってくれました。
心のわだかまりを取り払ってくれました。
この体験は、ほんの一部です。
ヨガだけでなく、NLP心理学、アロマ精油によっても、私は私自身の人生が深く癒される体験をたくさんする事ができました。
アロマ精油との最初の印象深い出会いは、
記憶の片隅に封印していた痛い痛い罪悪感を癒してくれたという体験でしたし、
NLPはヨガ教室立ち上げに際しての大きな不安を支えてくれましたし、
家族について深い気づきをもたらしてくれた事も本当に多くあります。
ヨガ、NLP心理学、アロマ精油、そしてこれまでの私の全ての経験・・・
そんな全ての事が、私自身の人生を深く癒し続けてくれています。
今こうしている今日も、です。
…… リバースレッスン誕生 …………
そして今、私は私が学んできた全ての事が「人生に寄り添い、助ける」ツールとなり得る事に、確信を持つようになりました。
自分自身でどうにも消化できない感情や過去の記憶を、
自らの気づきを以て癒していく事や、
自分の本当の気持ちに気付いてあげる事、
身体の痛みや不快感を取り除いてあげる事など・・・
私がこれまでの学びを通して得た体験のプロセスを、もし再現することが出来れば、
もしかしたらもっと救える方がいるのではないだろうか
と思うようになりました。
そのような思いを素に創り上げていったのが『リバースレッスン(rebirth lesson)』です。
『リバースレッスン(rebirth lesson)』は、
ヨガ、NLP心理学、アロマ精油を学ぶ過程でもたらされた深い気づきや癒しの体験を詰め込んだオリジナルレッスンです。
私がこの世に生まれてからこれまでのどのプロセスが抜けていても創ることが出来なかったレッスンです。
身体が痛い時は、身体の専門家の元へ通い、精神的に辛い時は心の専門家に助けを求めたり、とプロに委ねる事も必要だと思います。
ですが残念ながら、その専門家はいつもお家にいて常に助けてもらえる訳ではありません。
日々を過ごしていく中で、苦しい事や辛い事はいつだって起こり得るでしょうし、
疲れもたまっていくでしょう。
ストレスだって感じない日はないでしょう。
何十年も頑張って生きてきたのだから、癒されないまま抱えてきたものだって数え切れません。
ではどうすれば良いのか・・・
抱えたままになっているモノを溜めに溜めて、限界になるまで苦しむのではなく、
あなたがあなた自身を癒してあげてほしいのです。
現在私は、ヨガ、心理学のセラピー、アロマ精油を使ったセラピーなどをご提供していますが、
私が皆さんにご提供しているのは「癒し」そのものではなく、その「方法」をご提供しているのだと思っています。
そして、限界になるまで苦しくなる前に、
あなたがあなた自身を救ってあげて欲しい。
私が今『リバースレッスン』をお伝えしている理由は、ここにあります。
「苦しまない」ことは、苦しい事を避ける事ではないと、私は思います。
生きていれば色んな出来事が起こりますし、
日常生活でだって、気の向かない事をやらなければならない場面はたくさんあります。
不用意な言葉に傷つくこともあるでしょう。
そんな時、もし力ずくで何とかやり過ごそうとするならば…
沸き起こる感情に蓋をして胸の奥にしまい込み、いつまでも許せない気持ちを奥底に抱え続けたり、
気持ちが整理されないままやり続けて身体を壊したり、
感情に振り回されて疲れ果てたり・・・
でももし、自分自身への気づきと癒しを深めることで、
出来る限りフラットな場所に立ち、出来る限りピュアな眼差しでこの世界を見ることが出来たら・・・
それは、自分をとても助けます。
ストレスと感じる対象がとても減ります。
そしてそれは、
とてもしなやかで強い在り方です。
もし、あの時の私にこのピュアな眼差しやしなやかな強さがあったら・・・
きっと、もっともっと自分自身を許せたでしょうし、もっともっと周りの人達を許せたんだと思います。
世界は、本当はもっと優しいはず。
でも、そう見えなくしているのは、
私たちが経験から学んだり、
教えられてきた様々なルールや限定された価値観
それらも、その一因のような気がします。
たったひとつの価値観に、いつでもどこででも縛られる必要はないということに、
私は30年以上も気づきませんでした。
例えば、小学1年生になった時、トイレは休憩時間に行く事を教わります。
でも家では、生理的反応に従っていつでもトイレに行きますよね?
集団生活のルールを家でまで適用しようとする人はいませんよね?
(ちょっと極端な例えだけれどね(^^;)
どういう事かというと、
「トイレは休憩時間に行きましょう」という集団生活に沿ったルールを、
お家で自由にトイレに行く自分やヒトに当てはめて、その行動を責める
というような事をしていませんか?という事。
大人になった私達は、これまでに身に付けてきた価値観やルールを見極めて、
適用したりしなかったりしながら目の前の世界を見る必要がある。
そうでなければ、いつも自分を許せないし、いつも誰かを許せないんです。
「こうあるべき」という限定された価値観で、いつでもどこででも生きると、必要以上のストレスを生みます。
心と身体に不調和が生まれるのは当然です。
「こうあるべき」に当てはまらない事の方が、この世の中には圧倒的に多いのですから(*^^*)
自分自身への、そして自分の人生への気づきと癒しを深めていくこと ―
それは自分自身を「許す」ことでもあります。
自分自身を許すことができて初めて、他の誰かを許すことが出来ると思うのです。
そしてそれは、
出来る限りフラットな場所に立ち、
出来る限りピュアな眼差しで、自分自身の過去・現在・未来、
そして相手の事や出来事を見ることができたときに、ほぼ同時に起こります。
あくまで、私の経験による確信ですけどね(^^)
少しずつ、ゆっくりでいいから、
今の自分を作っているこれまでの数々のことと丁寧に向き合い、
少しずつでいいから、
自分の人生に、自分自身に、深い癒しを与えていくことを続けること ―
少しずつ、
純粋なじぶん ― ピュアセルフを取り戻し、今一度
他の誰でもない自分の為に生きる人生に「生まれ直す(rebirth)」こと ―
そのとても大切な機会と方法をご提供し、寄り添うことが、
私がこの人生に頂いたお役目だと思っています。
そして、私自身の癒しも、学びも、日々ずっとずっと続いているのです。
生きていく限り、明確なゴールは無い。
でもだからこそ、深化し続けられます。
自分自身への深い癒しと気づきを得ることを続けていきながら、
今この時点での私の全てで、お伝えし続けるということなのかもしれません。
Om Shanti