昨日から
ようやくDAY12から
辿り始めた
当たり前だけど
その前に観てたはずなのに
ちゃんと順を追って
観ていくと
腹落ち度が違う
今日はあの
赤い薔薇の日
DAY13
happyちゃんを最初知った時
ミーハーの引き寄せでキャーキャー
言ってる可愛い子
っていう印象だった
でも、happyちゃんが
個人手配でライブを始めてから
あの圧倒的な世界観を創り出すことに
驚きを通り越して
畏敬の念になってしまった
あれ見せられたら
ソースとか源とか
やっぱりあるんじゃないかと
思っちゃうよ
happyちゃんが何故
こんなに早く
サイレントプログラムでの
ステージセッティングや
ダンスや諸々を
マスター出来るのかは
我、始祖である
という意識でやってて
人間意識でやってない
という話だった
ちょうどその例えを
ダンスの中のバレエでやってて
それが
次男がバレエをやってるから
私には入ってきやすかった
あと、ネガティブな感情
ゴチャっとした感じは
ソースとズレてるサイン
として受け取ってるってのも
なるほどって感じだったよね
高い視点で
っていうのは意識してるけど
目の前で起きる出来事は
人間じみてるから
つい、人間意識で
悩んだり、悲しんでしまう
うちでは
夫が毎年私にチョコをくれる
私はついこの間
幼稚園の子らがヴァレンタインチョコを
あげたりしてるのに
うちの子はなかった事に
珍しく落ち込んだ
女の子からお手紙貰ったりしてるから
貰えるもんだとばかり
思ってた
貰えない子ども
=ママ友付き合いの良くない自分
その烙印を押された感じがした
でも、その箱庭から出て
チョコを貰った子、母親
チョコを貰わなかった子、母親
それは同列だ
始祖の視点なら
チョコって貰える子もいれば
貰えない子もいるよね〜
だし
それでその子の価値と
絡めるから変な事になるんだ
この、しょーもない事に
自分の心が掻き乱される事が
自分を自分で許せず
無価値観を受け入れるのに
時間がかかっていた
後半のQ &Aで
嫌いな人に好かれようとしたり
好きになろうとするから
おかしな事になる
嫌いと認めた方が
スッキリする
あった
そう、私は
自分のペースでママ友づきあいを
したかった
でも、この一年は
母である私が
ママ友付き合いや
公園遊びに積極的に参加しないと!
と、無意識に無理をしてた
でも、今回の
子どもがチョコを貰えなかった件で
もしこのまま
貰っちゃってたりしたら
私は子どものために無理しないと
チョコを貰えない
(誰からも認められない)
つていう価値観を強くしちゃっただろう
そのまんまの私で
ママ友づきあいも
公園遊びも出来てたらどんなにいいだろう
それに
自分が変わってる奴だと
バレたくなかった
ってのもある
だから
人付き合いのいい風を装って
話しかけたり
付き合いをしてたんだなと思った
幼稚園を卒園するまで
1ヶ月を切ったけど
気づけて、本当に良かった
幼稚園弁当も
そろそろ終わり