人をうつに陥れる達人 | kyupinの日記 気が向けば更新

人をうつに陥れる達人

普通、こういう人を直接、精神科医が見ることは少ない。たいていは患者さんからの又聞きである。そういう人が上司にいたりすると部下は相当に困惑し悩む。一部の人は精神が耐えられる範囲を突破し、うつ状態や神経症状態になったりする。

そういう人たちがしばしば精神科にやって来るので、「人をうつ状態に陥れる達人」について又聞きの範囲で種々の特徴を掴むことはできる。

まあ徒然なるままに、その特徴を挙げていくと、まずある程度上の役職までなったような人なのでそれなりに能力は高いんだと思う。

しかし彼ら(彼女ら)は、人の気持ちを配慮する能力が欠如しているので、相手を傷つけることを言ってしまったりする。もちろん仕事上で、何がしか言わざるを得ない場面もあるだろう。しかし少なくとも、そんな風に言わなくても良かろうというのが多い。

重要な点は、彼らが相手を深く傷つけたことに気付かない点だと思う。

そういう人たちが、なぜ上の役職まで上り詰めたのか理解できない人もいるかもしれない。しかし、社内試験と人物考査などで自然の流れで昇進することも多いのである。日本の会社はしばしばそういうシステムになっている。その方が客観的なので、ある面、実力主義ではある。日本の会社はともすれば縁故などが影響するので、その方法を取る方が良いケースも多いと言うのもある。

そのような気付けない人たちは、その気付けなさのためにかえって営業面の実績が良い場合だってある。(その腕力と言うか強引さなどのため)つまり、なにかブラインドになっているためにかえって社会的な実績が挙げられるのである。周囲を辟易させながら。(←重要)

一般の特にメンタルヘルス系の人たちの間で、すぐにそういう人はアスペルガーとか発達障害だという人もいるが、それも間違っているのではないかと。

普通、もしそのような疾患だとすると、コミュニケーション能力を必要とする良好な営業成績を挙げられるわけがない。彼らは極めてピンポイントな障害があるだけなのである。つまり発達なんて決して遅れてはいない。あえて言えば、謎の器質性疾患であろう。言葉の暴力性はもちろん器質的異常の反映である。

その気付かない人たちは、非常に困った人ではあり、部下は当然として、その上司も持てあましていることもしばしばである。そういう人間関係の悪さ程度では、営業成績、実績を出している以上、マイナス評価しにくいからかもしれない。

彼らの特徴は、人望がゼロということであろう。(稀にこの人についていけば何か良い事があるかも?といった感じで金魚のフン的社員の支持を得ていることもある)

少なくとも、部下は、ああいう人にはなりたくないと思っている。

これはこれまでの武勇伝から当然の結末だと思うが、実際、そういうことに本人が全然気付いていないことにも驚く。それどころか、皮肉を言われているのに、それにすら気付かない。薄々気付いていてもまるで気にしないタイプもいる。これだけのことがあると、さすがに心は健康である。(その感度の低さのため)

この点でも、彼らには広汎性発達障害(アスペルガーも含む)のような傷つきやすさや敏感さ(言われたことを悪く取るなど)が認められないので、ネットで言われている安易なアスペルガーのレッテル張りが間違っていることがわかる。

僕はこのような人たちが、いつから達人になったのか興味を持った。

今はほとんど使われなくなったが、かつて精神科業界ではPsychopath(精神病質)という用語があった。僕たちはプシコパート(あるいはプシコパト)と読む。しかしサイコパスという英語読みの方がメディアではずっと多い。若い精神科医はサイコパスと読む人の方が多いと思う。(Pは大文字なのでドイツ語読みすべきだ)

これはクルト・シュナイダーが1920年代に紹介した概念で、簡単に言えば、

性格の偏りにより、本人が悩むか、社会(周囲)が悩む。

といった異常性格である。自らが悩めば神経症になるし、周囲が悩めば犯罪者やあるいは上の「気付かない人たち」になる。広く取ればアルコール依存症などもこの範疇だと思う。彼らは内因性疾患ではなく性格の偏りの範囲であり、犯罪をすればもちろん罪を問われる。結局、何か精神疾患ぽい人が犯罪を起こし、責任能力があり有罪になるケースはPsychopath的な結論が出されたことを意味する。

クルト・シュナイダーによる10の人格類型
1発揚
2抑鬱
3自信欠如
4熱狂(狂信的)
5顕示(虚栄心が強い)
6気分変動
7爆発(暴力を振るうなど極端な行動)
8情性欠如(良心を待たず自分や他者の危険に無関心)
9意志欠如(環境や他人に振り回されやすい)
10無力(自分の心や体に自信が無い)

上をみると、どれが自分が悩み、どれが周囲が悩むかがわかるだろう。

このPsychopathの定義をみると、なんだか生来性のように感じるだろうが、実は後天的にそうなった人もいるように思う。最初に出てきた達人は、元々そういう面はそこまで酷くはなかったのに、次第にその性格特性に磨きがかかったような人たちもいるように思うからである。

つまり、「人の気持ちを配慮する」心の機能は何かの拍子に容易に傷つきやすいのであろう。

このブログでは「お医者様の奥さんの認知のズレについて考察」というテーマがある。このブログをしばらく見ている人は、あの3つのエントリがなぜあるのか不思議に感じるかもしれない。

実は、あのエントリで出てくる奥様はまさしくPsychopathなのである。なぜなら、性格の偏りのために周囲を悩ませ、辟易させているから。おまけに本人には全く病識がない。

僕はああいう母親の娘が、見事なほど母親のコピーになっているケースがあることに非常に興味を持った。これは母親の場合、たぶん生来性にそうだったわけではないので、環境がそういう風にさせたと考えた方が合理的だと思った。娘も同様である。

たぶん環境により、あまり相手の気持ちを配慮する必要がなくなってくると、そういう心の機能が欠落するか弱まってくるんだと思う。

そのような視点で、あの3つのエントリのコメント欄を読むと非常に面白い。あのコメント欄には主に4つのタイプのレスが付けられていることがわかる。

1、 欠落した人。(病識も欠如)
2、 欠落した人たちのため、悩んだり辟易している人たちのコメント。
3、 そのような人たちとの付き合いがない中間的なコメント。
4、 他業界でも同じような認知の歪みが見られるというコメント。

もちろん、欠落した人々のコメントは攻撃的である。一部の人から、あのエントリはこのブログには合わないのでは?という助言も頂いているが、全く精神科的に意味のないエントリ群をテーマとしてアップするわけがなかろう。

まあ、医者の奥様の場合は狭い世界で生きているし、周囲を辟易させてもまだかわいいものだという感じもする。(そこまで実害がないと言う意味で)

そこで働いている人はもちろん迷惑するが、逆に言えば、雇用されている人はそういう諌言ができないために、彼女たちは更に欠落ぶりに磨きがかかるんだと思う。

誰にもあのネコには鈴はつけられないのである。

ところで、Psychopathは前頭葉の障害と考えられている。しかし、たぶん単一なものではないだろう。

参考
職場に行くと息苦しい