どんな自分になりたいとか、将来の夢について考える場面がひとり言セラピーの学びの中で何度も出て来ます。私は具体的な事があまり思い浮かびませんでした。
イライラしない、不安から逃れたい、常に穏やかでいたいという願望が強かったので、とりあえずそこを目指して試行錯誤を繰り返してきました。

最近は嫌な感情が湧いてくると自分の事を観察してとことん突き詰めたり、こんな風に考えるとどう思う?と自分に聞いてみたりして気持ちを落ち着かせる事ができるようになりました。

先週帰省していた時、母がどんな球を投げて来るかなと待ち構えていたけれど何もないまま終了。
長かった反抗期を卒業できるかもと思いながら帰宅したのに、翌日からしばらく胃が痛くて苦しかった(-.-)
不穏にならないように自分を監視していたせい?
そうか!観察じゃなくて監視してたのか・・(今気づきました 笑)

心の中のモヤモヤだらけの泥の川を泳いで上り、やっと清流の小川が見えてきた時に、これからはきれいな水を飲んで穏やかに暮らせると思っていました。
ところがサラサラの水を飲み始めて少し経つと、おかしな事を考えている自分に気付いたのです。

「たまには、少しだけ、濁った水も飲みたい。」

これはどういうことだろう?
じっくり考えてみたら、一つの答えが出て来ました。

以前の私は嫌な感情を全否定していたけれど、それもOKと受け入れられるようになったということ。
・・監視する必要はなかったのですね。
むしろ色々あってこそ楽しい、嬉しいをより強く感じられる。
いろんな本やブログにもそんなことが書かれていたし、人に言われたこともありました。
映画「インサイドヘッド」にも描かれていたっけ。
頭ではわかってたけど、実感できなかった。泥水も飲みたいと思った時にやっと『こういうことか!』とわかったのです。

そして、どんな気持ちも受け入れることができる状態こそ、私が望んでいたことなのだとわかりました。
なりたい自分も、将来の夢もわからなくていい。
今のありのままの気持ちで道を選び、歩いて行くだけでいい。自然と夢は叶っていくのでしょう。


ふわふわのカフェラテにホッコリ(*^-^*)
紅茶にもこういうのあるといいな~