「夜を喰むスマラ」終幕しました | 幻想芸術集団 Les Miroirs ~耽美なる制作日誌~

幻想芸術集団 Les Miroirs ~耽美なる制作日誌~

都内で活動中の芸術集団・Les Miroirsの、優雅で耽美な日々の記録。
様式美に彩られた華麗な舞台公演を展開している集団ではありますが、此方のblogは基本的にまったり運営しております。




耽美童話の会・第五章「夜を喰むスマラ」無事に終幕しました。
ご来場頂きましたお客様へ、心からの感謝と限りない愛を…本当にありがとうございました。

幼き日に出逢い、実に20年余りのあいだ憧れ続けてきた“スマラ”は既に人生の一部であったように思います。
わたし自身の技量が追い着いたと感じられる時が来たら、この作品を任せたいと思えるキャスト達との巡り会いを感じたら、必ずわたしの手で舞台化したいと思ってきましたが、過ぎてしまうと瞬きの間ほどに足早に通り過ぎていった日々に想えます。
執筆しながら、時を越えた芸術の繋がり・連なりを噛み締めていました。イシス女神の為にアプレイウスが「黄金の驢馬」を書いたのが二世紀、それに着想したノディエが吸血鬼伝承と抱き合わせて書いた「スマラ-夜の霊-」、それらに魅せられたわたしが神話のエピソードとヴェネツィアの歴史を織り交ぜて書いた「夜を喰むスマラ」…総ての想いや歴史を背負いきることは出来なかったのかもしれませんが、この作品を機に原作や時代背景に興味を持ってくださったお客様が多かったことは物凄く嬉しかった。

「夜を喰むスマラ」のテーマのひとつとして“赦し”というものがありました。わたしは常々“愛は赦し”と思っていますが、一見歪にも見えたあの世界を絶妙な力で支えていたのは愛故の赦しの数々。
女神達の崇高な愛、故郷への愛、友愛、家族愛…様々な愛のかたちと、衝突と哀しみの果てに在る赦し。そういったものを感じて頂けておりましたら幸いです。
これらはきっと、原作から読み取ったものではなく、今を生きるわたしが常に感じていることだったのでしょう。舞台化にあたり、新たな設定を盛り込むことで自然と作品に現れてきたものを、素直に表現しました。
今回は演奏も総て効果音に至るまで生音に拘り、キャストの声さえも環境音のように演出し、タイトルロールである“スマラ”にダンサーのMayuさんを迎え言葉の力を越えた表現を、無論セットの転換も総て人力に頼り、より自然に忠実に“芝居”がエンターテイメントではなく神事であった古代を意識したつくりにしました。
いま、本当に求めていた舞台芸術の深淵に近いものをお見せ出来たのではないかと思います。
LesMiroirsは“耽美”と称されることが多いのですが、それは見た目の美しさや装飾的な台詞まわしだけがそう見せているのではないと思っています。持ちうる総ての感性で美しい幻を信じる透明な心、様々なツールが発達しているこの時代に敢えて演者の技量だけで魅せる職人めいた挑戦をする姿勢、こういう頑なさのような部分が劇団の核ではないかと思います。
いつの世に在っても、人の心を動かすのは人でしかない。当たり前のようですが、芸術家の端くれとして再認識する機会になったと思っています。

この作品をどうしても最高のかたちでお客様にお届けしたく、一年以上の準備期間を設け、かなり早い段階から各出演者へオファーを掛けてこの贅沢なキャスティングが実現しました。
この面子が集まってくれたのもLesMiroirsならばこそだろうと、そこは本当に一番自慢したいところだったりします。
作品に関わって頂いた皆様の力・想いが、今回得た最高の財産です。
沢山の我儘に付き合って頂き、わたしの夢を叶えて頂き、ありがとうございます。

作品は終幕しましたが、
皆様の心の鏡(miroir)に、
あの日舞台に降り注いだ青い花弁のように、
忘れ得ぬスマラの爪痕のように、
この夢の物語が、果てぬ記憶として染み渡っていきますことを…


幻想芸術集団 Les Miroirs
代表 a-m.Lully