西方見聞録(旧パリレポート)

西方見聞録(旧パリレポート)

2015〜2020年パリ、2020年4月に本帰国しました。帰国後も”これは!”と思うものを探し、レポートしています!!

もう数年前になりますが、

まだパリにいた頃、


親が旅行でパリに遊びに来て

一緒にドイツなどを巡った記事を

数本書いて投稿したところ


「面白い」と結構反響を頂いて

(特に父親の話)

今でも結構読まれている

当ブログの人気記事の一つになっているのですが、


毎回大変な父との旅行


そんな両親が最近ふたりとも

別々の病気にかかっていて

大変な毎日を送っています。


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父はアルツハイマー(認知症)、

母はパーキンソン病を発症。


実は二人がそれらを発症したのは

上の記事の頃から。

2018年の記事なので、

約6年前にはすでに発症していました。


上の記事の中で、

父親はとにかく物忘れが酷くて大変、

と書いているのですが、


今思えば、その頃から

もう結構進行していたのかもしれません。


(父の場合、昔から

自分のこと以外全く興味がない人間なので、

基本人様の話などは一切覚えておらず


その頃から物忘れが酷かったのは

アルツハイマーが原因なのか分かりませんでした、、、)


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母はパーキンソン病なのですが

この病院の厄介なことは、

進行がかなりゆっくりなこと。


それの何が厄介かと言うと、

本人は自分が病気であることを

自覚しにくいということです。


パーキンソン病は

体が徐々に動かなくなっていく病気で

何が起こるかと言うと

思うように足が出なくなるので

とにかく転ぶ。


さらに、転んだ時に手を付けないので

顔からもろに転ぶ事になります。


母の場合、最初は自転車の転倒から始まり

(→大怪我。自転車に乗るのをやめる)

建物の階段から転げ落ちる

(→救急車出動の大怪我)

家の中で頻繁に転倒


顔や体中、傷とアザだらけになり

それはもう大変なわけです。


こんなに体を怪我すると

それによって更に弱っていく、、、


転倒するようになって

母は一気に弱っていきました。


母が弱っていく姿を見るのは

本当に悲しいことです。


母はわたしの娘がとにかく可愛いようで、

以前建物の階段から転げ落ちた時

大怪我をして、顔も包帯巻にして

ほとんど動けなかったのですが、


そんな時、うちの奥さんが

「●●(娘の名前)に会ったら

本当に喜ぶと思う」

と、母に娘を会わせることを提案してくれて

サプライズで連れて行ったら


娘を拝みながら

「●●ちゃん、来てくれてありがとう」と

涙を流していたのを思い出します。


またパーキンソン病は

認知症も誘発するので

母の記憶も徐々に失われていっており

このままいくと

娘のことも、

私のことも分からなくなるのは必至。


まだ母が娘を認識できるうちに

たくさん会わせてあげたい、

そう思っています。


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一方、父のアルツハイマー病は

もう結構進んでいて、

いつかは私のことが分からなくなるだろうなー

とは思っていたのですが、


先日、病院に連れて行った帰り

病気の待合室や車の中で

「最近仕事はどうなんだ」

「あれ、お前、子どもはいるんだっけ?」

と何度も聞いてきて散々話した後、


一緒にランチを食べていた時

「僕のこと分かる?」と聞くと


父「いやー、それが

どなたか分からないんだよね」

とのこと、、、


アルツハイマー病を患う人の

認知機能は白黒ハッキリしているわけではなく


記憶の深いところでは

目に見えているものが

‘’知っているものか、知らないものか‘’

認識はあるけど、

それが何だかハッキリとしない、


そんな感じのようで、

私のことはまだ記憶の底で認識はするけど

「これは私の息子だ」というように

認識することはできなくなる事がある様子。


分かってはいるのですが、

父に「どなたですか?」と言われると

さすがに悲しくなります。


親に見られないよう

横を向いて涙を拭きました。


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このように、

両親の病気について書きましたが

わたしは月一回病院に連れて行ったり


娘を月一回会わせるために

ご飯を食べることぐらいしか

できていないのですが、


そんな両親と同居していて、

毎日仕事をしながら、

子育てしながら両親の世話もしている姉には

本当に頭が上がりません。


父や母がこんなにも早く

私たちを認識できなくなっていくとは

全く想像できなかったのですが、


完全に認識できなくなる日が

そう遠くないことは

間違いないことです。


まだ認識できるうちに

できるだけたくさん会いに行って、

話をしようと思ってます。

今まさに入学の季節で

私の姉の息子、つまり

わたしの甥っ子がこの春、

大学に入学したのですが、


その甥っ子の大学入学に際し

姉から頼まれたのが

「息子に大学時代をどう過ごすべきか

教えてあげてほしい」というもの。


大学時代をどう過ごすべきか、、、

もうだいぶ大学を卒業してから経つ自分に

何が話せるのか、、、


なぜ私にそんなことを頼むかと言うと

姉は大学を出ていないので

そんな話をできる最も身近な人間が

自分だから、とのこと、、、


甥っ子はとにかく

いい会社に入りたい!

と強い希望を持っているとのことで


いい会社に入るには

どんな大学時代を過ごすべきなのか、

と言うことを最も知りたいらしい。


んーーーー、、、

いい会社に入るために

大学時代をどう過ごすべきか、、、


まー、正直に言うと、

自分は行きたかった某出版社に入れず、

就職活動は全くもって成功したと

言えない身なので

完全に失敗例しか話せないけど、、、


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と言うわけで、

目黒雅叙園のカフェで

入学式終わりで

スーツ姿でパリッとキメた甥っ子と

会ったわけですが

何を話せばいいものか、、、


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とりあえず自分の大学時代の話。

当時(90年代)は

バブルは弾けていたとは言え


まだその華やかな雰囲気は残っていて

先輩たちの就職も

青田買いが横行していた時代。


自分は大学に入学してすぐに

塾講師のバイトを始めたのですが、

同じ大学に通う塾講バイトの先輩は

政府系の銀行に内定していたり

大学のサークルの先輩たちも

JRやNHKなどからバンバン内定を

もらっていて

余裕綽々な様子。


むしろ「内定後の拘束がきつい」と

言っていたのを思い出します。


そんな様子を見て、

当時本当にアホだった(今でもアホですが)

自分は、


大学に入るやバイトに明け暮れまくって

速攻で車を購入。


ホンダ・4代目プレリュード。中古で購入。ホイールは写真よりずっとかっこよかった、、、

今の感覚だと「大学1年生でありえん」
という感じですが、

当時はバブルの残り香があったこともあり、
また、自分の周りの友人が
なぜか車を持っていたこともあり
(スカイラインGTRやNSX、カマロ、BMWなど)

当然、という感じで車を購入していました。
(どんな時代、、、汗)

NSXの友人はアコードワゴンも持っていて
彼のアコードワゴンに板を乗せて
夏にはサーフィンに行き
冬にはスノボーに行く。
(そう言えば彼は開業医の子でした、、、)

またクラブの全盛期で
高校時代の親友がクラブに
どっぷりハマっていたこともあり

付き合いで青山や渋谷の地下にある
薄暗ーーーくて狭いクラブに
朝まで入り浸る日々、、、
(青山のミックス、懐かしい、、、)

当時バイトは塾講の他に
DHLという航空輸送会社で夜勤もしてて

そのDHLは大学の先輩から
枠を継承される夜勤バイトで
昼までぶっ通しで働くと
1日2万円ほどになるトンデモバイト。。。

なので、バイトの稼ぎが月に25万円ほどあり
社会人になり初任給をもらった時
手取りがバイト時代のほうが良く
「あ、あれ?」となったことを覚えています。

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サークルは、自分の大学は
「女子は他大(女子大)、男子はうちの大学」
という構図のものが多く、
(近くに女子大が多かったため)

今考えると気持ち悪いですが
(当時も気持ち悪いと思っていた人が多かったかもですが)
自分が入ったサークルは
(すいません、テニスコートサークルです、、、)

一学年、
男子は10人ほど、
女子は70〜80人ほどと
とんでもないバランスで構成されていました。
(一年の頃)

※もちろん、全員自分たちの大学の人間で構成され、男女比も半々のサークルもたくさんありましたが

サークルの活動内容と言えば
男子部員の8割はラケットすら持っておらず、
各学年数名めちゃテニスのうまい人間を
プレマネ(プレイングマネージャー)として採用し

そのプレマネに球出しをさせ
(女子は練習の参加率が良い)

練習終わりの飲み会から
他の男子メンバーは参戦。

とにかく面白いことが求められ、
また飲みの激しさは
今やったら炎上レベルのもので

 "コール飲み"と言う、
飲むための(飲ませるための)掛け声が
何通りもあり、

それを掛け合いながら
潰れるまで飲ませていく、、、

先輩からの圧が凄く
「これを飲むまでこの部屋から出るな」と
大五郎(どデカい焼酎のボトル)を
ドン! と置かれ、

大五郎。4リットルを四人一組で空けるまで部屋から出られなかった、、、

同期の男子で、一つの部屋に閉じ込められて
それをあけるまでコールをしながら
飲んでいく、、、

男子だけでバカ笑いしながら
お酒を飲み合い、

お酒が弱いわたしは結局いつも潰れて、
朝までトイレに顔を突っ込んで
気が付いたら駅のロータリーで寝てた
なんてことは日常でした。

※女子と楽しく飲んでいたのは
先輩たち、そして大五郎を飲みきって生き残った酒豪の奴らだけ。

自分たちが上級生になった時には
男女比もそんなに偏ってなかったし
下級生に飲みを強制とか
あり得ない風潮にもうなってました。

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就職は楽勝(と思ってた)、
高額バイトでお金はあって車を乗り回してる、
異性との出会いもめちゃある、
クラブなどで夜遊びしまくり、
サークル活動は何やってるのか分からない、、、
(授業もとにかく楽勝、、、)

今このように書くと
とんでもない大学生活ですが、
それを全力で、真剣にやっていたのだから
不思議なものです。

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ここまでかなり長くなりましたが、
そんな大学生活を過ごした自分に

何としても一流企業に入りたい!
という彼に
何を語れるのか、、、

とりあえず彼に伝えたのは、
上のように何の目標もなく
遊びまくった自分の失敗例。

彼も私も文系なので
比較的時間があるため
ともすると自分のような生活に陥りやすい、
ということと、
(そんなこと無いか😅)

あとは、今個人的にすればよかったと
一番思っている「海外に行くべし」ということ。

自分がフランスに約5年住んで
色々視野が変わった経験もあり、

また海外で生活することは
かなりサバイバルな事も多いので
生きる力を身に付けるにも
かなり有効な選択になると
彼に講釈しました。

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あとは、色々社会人を経て感じたのが
「日々アンテナを張って生きていないと
面白い事は頭の上を素通りしていくし、
逆にアンテナを張っていると
色々なチャンスの種を掴むことができる」
ということ、
(なので色々な事に興味を持って、積極的に本を読んだり、人に会ったり、情報を取りに行ったほうがいいという事)

それと、
「自分から働きかけて動かないと、
誰かの働きかけに動かされる人になっちゃう」
ということ。

これは働いていて本当に感じてきたことで
学生時代からその意識で過ごす事で
大学時代に得られるものも
大きく変わってくるのではないかと
思ったからです。

そんな事を、雅叙園のカフェで
つらつら垂れたわけです。

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と、何でこんな事を
ブログで書いているかと言うと、

今日、奥さんが「これ読んでみて」と
転送してくれた記事が
あまりにも素晴らしかったから。

その記事とは、
今年の東京大学の入学式で、
宇宙飛行士の候補となっている
〈米田あゆ〉さんが話した祝辞を
書き起こしたもの。


これは全人類が読むべきものなのでは?

特に心が震えたのが以下の箇所。
「誰かが挑んだフロンティアをただ後追いすることではなく、チャレンジ精神そのものを学び、他者と協力し合いながらも、一人ひとりが独自の一歩を踏み出すこと」

まだこの記事を読んでいない方、
時間があったらぜひ読んでみてください。

大五郎を抱えて、トイレに頭を突っ込んでた
わたしが言うのも何ですが、、、

わたしは速攻、甥っ子にリンクを貼って
メールしました。
「これを読んでください」と。

雅叙園で垂れた自分の話が
恥ずかし過ぎて、穴があったら入りたいです、、、

※東京大学の入学式の祝辞とは
全く違った角度のものですが、
今年の早稲田大学の入学式の祝辞も素晴らしいです!
(脚本家の北川悦吏子さんの祝辞)
これを読んで「あー、自分の学生生活も無駄じゃなかったのかな」と思いたい、と思った次第です😅

こんにちは。

もうブログを随分書いておらず、

最後に書いたのいつかな、

と思って見てみたら

2022年の10月、、、


2023年、一度も書いてない、、、(汗)


さすがにもう今更書いても

誰も読まないかなー、と思いつつ

独り言的に久しぶりに

書いてみようと思います。


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2020年に日本に戻ってきて

しばらくはパリでやっていたユーチューブ

(パリちゃんねる)を日本でも作って

アップしていたのですが、


最近はそのユーチューブを作っていく中で

「こういうサービスあったらいいのに」

というものを、

「無いなら自分で作ろう!」

と言うことで作り始め、

ようやく完成!


実に2年もかかって、

ようやくリリースにこぎ着けました、、、


ほんと、どんだけかかんねん!

って話ですが、

構想から、

スタートアップ支援の団体に行ってプレゼンしたり、

パートナー探しに奔走したり、

役所に何度も足を運んで、

色んな方々を巻き込んで、


ようやくようやく出来上がりました、、、


って、そんなこんなしてたので

ブログもユーチューブも

全くアップできず、


気が付いたら1年半ぶりの

ブログ更新となってしまいました、、、


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前回のブログを書いたのが

2022年の10月で、その内容は

「娘の子育て」に関するもの。


当時2歳になったばかりだった娘は

今や3歳7ヶ月になり

毎日必死に子育てしていて

日々は長く感じるのですが、


振り返るとあっという間に

大きくなっているようにも感じます。

すぐにおもちゃ(など)を全部出して、雑多に並べる(本人はちゃんと意図を持って並べてるらしい)娘


そんな中で「どうしたもんか」と思うのが

やはり娘の育て方。


具体的に言うと、

娘の教育をどうするか、についてです。


日本はまだまだ学歴社会が存在し、

子どもがどこの大学に入るか、は

多くの親の大きな関心事になっています。


一方で聞かれるのは

「もう学歴なんて関係ない」という話。


実際に先日、

久しぶりに学生時代の友人と飲んで

その話になったのですが、

彼らは

「今は学歴なんて全く意味ないよ。

そんなの誰も意識してない。

そんな事より、その人の実力よ」

と口を揃えて言います。


そんな彼らは大企業の

いいポジションで働くエリートさんたちですが、

彼らの話を聞いて

「そうかー、もう学歴にこだわる教育は古いか」

と思ったのですが、


よくよく考えたら、そういう彼の娘が通うのは

いい中学に進学する指導で有名な私立小学校。

さらにこの春から中学受験で有名な

「サピックス」に通わせている、、、(小3)


あんたの娘が受験街道のど真ん中やん!


と突っ込まなかったですが、

表向きには学歴社会を否定しながら

自分の子供はゴリゴリ受験街道を

進ませているわけです。


でも、うちの娘はまだ3歳。

さすがに早いでしょ!

と思っていると、


娘の通う保育園や近所の方々からは

国立小学校受験の話もちらほら出てきます。


大学受験って18歳ですよね。

それに向けて、もう準備って、、、


自分の時代は、

大学受験って高校3年からやるのが

一般的だったのに、

こんな小さい頃から意識するなんて

子どもが可哀想、、、


と思いつつ、

やっぱり国立小学校は環境がいい(だろう)し、

小学校になってからのサピックス通いも

子どもが自分から行きたい、と言うなら

それはいいことで、


また中学受験に関しても

いろいろな方から私立中学の話を聞くと

教育内容が素晴らしいものも多く、

そういう教育も受けさせてあげたいな

と思う気持ちが生まれるのも事実です。


しかし、近年の中学受験はかなり加熱し

その準備には小3からサピックス(など)に

通わせないと間に合わない、、、


などなど情報が入ってきます。


個人的には、

あまり「学歴社会」の枠にとらわれず

伸び伸びとした環境で

自分らしさを見つけて

幸せに生きていってくれれば、

と思っているのですが、

親としてそんな考えじゃ甘いのでしょうか、、、

(多分甘い、、、)


この歳になって色々見ていると

幸福を感じる要素は人それぞれですが

やはり経済的な要素や(自立に繋がる)

仕事の満足度などでも

条件の色々と良い会社に入ることは

結局かなりのアドバンテージで


それにはなんだかんだ言って

良い教育を受けてきたことは

大きなアドバンテージになります。


(ユーチューブやって、スタートアップしてる自分が言うのは何ですが、、、汗)


イチローの親も松井の親も

親が彼らを導いたことで

あーなったわけですから


やはり幼少期に関しては

親の導きは巨大な影響を持つわけです。


と、娘を保育園に迎えに行く前に

ふと思ったので書きました。


難しい問題ですね。

それでは迎えに行ってきます!

自分は今

2歳になった娘の子育て真っ只中。

ままごとが大好きなお年頃


最近は言葉をかなり覚えて

私たち(自分と奥さん)とも

会話するようになってきたし、


結構会話の内容も覚えてるので

うっかり変なことは言えません。


そんな娘ですが、

これは子どもが持つ天才的な能力なのか

ちょっと想像を超えた事を言うことがあり

はっ、とさせられる事があります。


その一つで、思わず涙してしまったのが

キングコングの西野亮廣さんが書いた絵本

「えんとつ町のプペル」を

読んであげていた時の事。


2年前に購入したこの本。幼児にはかなり難しい

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※ここからは「えんとつ町のプペル」の

結末に触れるので、

まだ読んでいない方でネタバレが嫌な方は

読むのを中止してください。

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主人公の子と、

ハロウィンの日に突然現れた

ゴミ人間の話ですが


このゴミ人間は

実は亡きお父さんが主人公に会いに来た姿だった

という話。


簡単に書きましたが、

実際読むと話は結構複雑です。


そしてこの本を、

たまに2歳の娘に読んであげるのですが、

するといつも、このゴミ人間が登場するや

「これ、お父さん?」と言って

私を見てくるのです。


上にも書いたように

この絵本は結構深い話で

とても2歳児に理解出来るような

内容ではないのですが

インスピレーションなのでしょうか。


曇りなき眼でまっすぐ自分を見て

「これ、お父さんなの?」と言われると

驚きと同時になぜか涙が出てしまう、、、


子供の持つ、不思議な能力を

感じざるを得ません。

ゴミ人間が、会いに来たお父さんだと分かったシーン


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子供の能力は保育園でも驚かされます。


保育園は夕方18時頃に

親たちが迎えに行くのですが、


園には0歳児から5歳児までがいて

一つの年次に何人も子供がいるので

迎えの時間は親と子供がわさわさして

なかなかカオスなわけです。


同じ年次の子と親は

もちろん名前と顔を認識できるのですが


他の学年となると

子供の顔はわかっても

親の顔は、なかなか結びつきません。


そんな中、

先日、病院に行くため

通り道の公園内を

平日昼間に自転車を走らせていると


前から娘の保育園の

ひとつ上の年次の子たちが

列を組んでお散歩してるではありませんか。


こちらはマスクをしてるし

サンバイザーもかぶっている状態。


一つ上の年次の子たちだー。

かわいいなー😄


と、園児たちとすれ違うや

その瞬間、


「あ!

●●(うちの子の名前)ちゃんの

お父さんだ」


という声が!


え!?!?😳😳😳


自分のこと、認識したん!?!?

3歳児が!?

話したこともないのに??

こちらはマスクと帽子をかぶってるのに!?


もうびっくりしてしまって

しばらく自転車を止めて

園児たちを見てしまいましたが、


つまり、園児たちは

話したこともない

他の学年のお父さんとお母さんも

誰のお父さんかお母さんか

認識してるというわけです!


我々大人たちは

おそらくほとんどの人たちは

他の学年の子と親を一致させることは

できません(ましてや名前まで)


子供の認知能力、すごいものがあります。


※その日、園児が保育士の先生たちに、私が平日昼間に自転車で公園を走っていた、という話をしたそうで、それが先生たちの間で話題になったそうです、、、こわっ!


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ところで、タイトルの

「娘の絵本、まさかの感動で涙」の回収ですが、


これは娘に読んであげる絵本に

結構感動させられて、

読みながら涙を流してしまうことも多々ある、

ということ。


うちの娘の保育園は

「アンジェリカ」という保育園で

絵本がめちゃ充実してることがウリなのですが

(毎週、3冊まで借りられる)


娘は絵本を借りる日は

絵本コーナーに走っていって

めちゃ適当に「これ読みたい!」と

本を選んできます。


その中で、最近借りてきて

感動させられた本が、こちら。

「ザガズー」。変わった名前の本です


「ザガズー じんせいってびっくりつづき」

という名の本です。


何の気無しに娘に読んでいると、、、


これはぜひ手にとって読んで頂きたいので

オチは言えません。


最後、どーーん、と来ます。


そうかーーーーーー、、と。


人生って、そうだよなー、と。



この日娘が持ってきたもう一冊が

こちら。

「まって」。こちらも心がきゅっとします


こちらは「まって」という絵本。

子供を連れて出かける母親。


急いでる母親は、子供の手を引いて

「早く行くよ」と言いますが、

子供は色々なものに注意を引かれて

「まって」と足を止めます。


街を歩く犬に気を引かれたり、

看板のアイスクリームに気を引かれたり

雨が降ってきて雨粒を舐めたり、


そして、最後、

急いで飛び乗ろうとした電車を前に

「早く早く!」と急き立てるお母さんに

子供が「まって」と言って

その指を指した先に見えたものは、、、


という話。


毎日せわしなく、何かに追われて過ごす

大人が忘れてるものは何か。


結論の一枚の絵を見たとき、

おそらく皆さんは「はっ」とさせられるでしょう。


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このように、日々、娘が借りてくる絵本に

「はっ」とさせられる日々。


まさか絵本って

こんな深いものだったなんて、、、


他にも、NHKの「おかあさんといっしょ」や

「みいつけた」という子供番組の

クオリティーの高さに驚かされたり、


それらの番組で流れる歌に

名曲があったりと

びっくりさせられる毎日です。


このような名作に溢れる

子供の本や歌、

しっかり子供と向き合って

親としても一緒に成長できればと

思う次第です。

最近の娘を動画で撮りました!カメラの進化が凄くて、映りがめちゃ良い😅


昨晩飛び込んできたニュース。


梨泰院(イテウォン)でのハロウィンで

150名を超える方が将棋倒しで

命を落とされたとのこと。


ニュース映像に映し出されたのは

狭い坂道の路地に集まった人々が

折り重なって倒れていた様子。


凄惨な状況で

亡くなった方々を想うと

言葉になりません、、、


ご冥福をお祈りします。


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この事故について

ブログに書くことを躊躇いましたが


自分にとってこの事故は

とても他人事と思えず


自分かつて似た状況に遭遇したこともあり

その経験から今回の事故をどう思うのか

書くことにしました。


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その前に、この事故が起こる

約ひと月前(つまり先月)


実は韓国旅行に行っていて

まさに今回事故が起きた場所

梨泰院を訪ねていました。


前の前のブログでも書きましたが

うちは今、韓国ドラマを見るのがブームで


そのきっかけとなったのが

「梨泰院クラス」。


なので、韓国旅行の目的の一つに

その舞台である梨泰院を訪ねたい、

というものがあり、


梨泰院を訪れて、

主人公が梨泰院に作った店で

韓国料理を食べたりしました。

先月行った梨泰院。今回のハロウィンで人が殺到した場所です

ここが「梨泰院クラス」の舞台となった、主人公が作った店

韓国ドラマ「梨泰院クラス」も、まさに
ハロウィンの時に主人公がこの街を
訪れて、

その人の多さ、賑やかさ
外国ムード漂う雰囲気が気に入って
この梨泰院に店を開くことを決めた、
というわけです。

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先月、まさに事故があった梨泰院を
歩いていましたが、

その時感じたのは
・街が二層になっていること
→ひとつは大通り沿い。ここにはブティックやチェーンのカフェが並んでいる
→もうひとつは、坂上の細い道。ここには飲み屋がたくさん並んでいる

ざっくりいうと、外国人が集まるような
音楽がガンガン鳴っていて
クラブのようなイケてる飲み屋が
坂上の道にあるということです。

この【大通り】と【坂上の道】は
近接して並行で走っていて、

構造的には地下鉄などで【大通り】の道に到着し、
そこから軽く坂を上って
【坂上の道】に飲みに行く街の作りです。

今回の事故は、その両者を繋ぐ
細い坂道で発生しました。

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坂上の道は、【大通り】に出る側にしか
あまり道はなく(つまり下りの道)
(坂上の道の山側には街が伸びていない。ゆえに道もあまりない)

ゆえに坂上の道は、
盛り上がっている場所を求める人でごった返し、
人が溜まりやすくなる構造です。

人の流れをしっかり誘導しないと
人が集まったときは
非常に危険な構造の街であり、
今回の事故は起こるべくして起きた、
とも言えるかもしれません。

対して渋谷はすり鉢状になっているのですが、
太い道路が放射線状に広がっているので
梨泰院と比べれば
まだスペースは広くなっています。
(ただ、仮に太い道をも埋め尽くすほどの人が集まると、すり鉢状なので人が一点に集まる、スクランブル交差点に集まるので、もっと危険かもしれません)

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ところで、ドラマ「梨泰院クラス」は、
日本でもカバードラマが作られていて
その名は「六本木クラス」。

舞台が「梨泰院」から
日本版では「六本木」になっています。

この設定は非常に正しく、
基本的に「梨泰院」と「六本木」は
街の発展理由が同じ。

「六本木」の発展理由については
前々回のブログでめちゃめちゃ詳しく書きましたが
(若干書きすぎたかもです)

簡単に言うと「六本木」は
元々は軍の街で、
戦後アメリカに占領されたとき

その軍の施設がアメリカに接収されて
そこにアメリカ軍が駐屯したことにより

六本木の街が「アメリカ人の街」に
→白人が多く集まる繁華街に
→先端カルチャーの街に
という流れで今日に至ります。

「梨泰院」も基本的に同じ
「米軍基地」に隣接する街ですが、
ただ、その米軍基地は元々は
「日本軍の基地」だったところ。
梨泰院も六本木と同じく、軍人の街です

実は梨泰院の成り立ちには
日本が深く関わっています。

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話を戻して、今回の「梨泰院」での
将棋倒しの事故ですが、

ニュース映像を見てフラッシュバックしたのが
ロンドンでのLGBTイベント。
こちらで記事にしてます

このロンドンでのイベントでは
まさに梨泰院の現場と全く同じ状況で
360度、見渡す限りぎゅうぎゅうの人人人!!!

満員電車と同じ圧迫状況で
全く身動きが取れず、
「やばい!
誰か転んだら絶対将棋倒しになって
圧迫死する!」と
本気で死ぬ可能性を感じました。
(奥さんは楽しかったそうですが、、、)

ロンドンでは幸いなことに
何事もなかったですが、

人が密集する場所が
坂(階段)になっていたり、
狭くなっているところがあったり
行き止まりがあったりしたら

将棋倒しになったり
圧迫具合が半端ではなくなって
亡くなる方が出るのは必至です。

このような事故は
日本でも十分にあり得ること。

実際に2001年に明石の花火大会で
11人が亡くなる圧迫事故があり

2015年の渋谷ハロウィンなどでは
事故ギリギリの状況になったことは
記憶に新しいことです。


さすがに今回の事故で、
イベント時に人が集まる時は、
必ず動線を整理する意識が
さらに高まったと思うのですが、

いかんせん2001年の明石での事故後に
2015年の渋谷ハロウィンでの無秩序ぶりだったので

忘れた頃にまた同じようなことに
ならないとは言い切れません。

ロンドンでのLGBTイベントでは
意図的にイベントに参加したわけでなはいのに
気が付いたら群衆の中にいて
抜けられない状況になっていた、わけです。

改めてイベント時などは
人が多くなってきたな、
と思ったらすぐに
人が集まってる場所から離れることが
自分の命を守ることだと
再認識した次第です。
今年の渋谷ハロウィンの様子。自転車でちょっと見に行っちゃいました、、、汗。警察がしっかり整理してて、人は凄かったけど安全な雰囲気でした

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ところで今回、
韓国(ソウル)を旅行していて
たくさんの韓国料理を食べましたが、

皆さんご存知、
韓国料理にはふんだんに唐辛子が
使用されています。
奥さんの友人夫婦と行ったカンジャンケジャンのお店

唐辛子たっぷりでめちゃ辛くて美味しい!

こちらは別の友人夫婦が招待してくれた伝統的な韓国料理のお店

基本的に料理は「赤い」です

韓国料理といえば唐辛子を使った

辛い料理ですが、


実は韓国の「唐辛子」を使った料理、

そんなに歴史があるわけではありません。


韓国に唐辛子が伝わったのは

今から400〜500年前、

日本から伝わったとされています。

(韓国農水産食品流通公社のHPより)

※日本には1500年代にポルトガルから伝わりました


そもそも唐辛子は中南米産。

(ペルー、メキシコあたりが原産)


1492年にコロンブスが

「胡椒」を求めてインドを目指し

大西洋を横断→西インド諸島上陸。

※西インド諸島とはアメリカ合衆国の南にある島々で、全然「インド」ではないですが、コロンブスが勘違いで「インド」と思ったためその名が残ってます、、、


このとき見かけた「唐辛子」を

コロンブスが

「これ、ほぼ胡椒やん!」と持ち帰り、

(そのため英語ではRed pepper 「赤い胡椒」と呼びますが)


その「唐辛子」がポルトガルから

日本に伝わって、日本の朝鮮出兵時に

日本から朝鮮に伝わった、

というのが通説です。

※日本は豊臣秀吉の時代に朝鮮に攻め入った歴史があります


-------------------------------------------

そのように朝鮮に伝わった「唐辛子」は

しばらくはその辛さゆえに

食用にはされず、


それまで朝鮮キムチは

塩漬けがベースでしたが、


1700年代中期にようやく粉唐辛子が

キムチに使われるように。


白菜を使った唐辛子キムチの歴史は

さらに最近、1800年代末からで、


朝鮮全土に広がったのは

何と朝鮮戦争以降。


つまり1950年代以降です。

まだ70年ほどしか歴史はありません。


その唐辛子、日本では

七味唐辛子でちょちょっと使うぐらいで、

あまりドバっと入れる日本料理は

ないように思えるのですが、


韓国や中国、東南アジア、インドなどでは

結構唐辛子使った料理ありますよね。


そう言えば、フランスでも

唐辛子使った料理って

あまりなかった気がする、、、

(イタリアでもペペロンチーノぐらいでしょうか?)


もともとはヨーロッパから持ち込まれた

香辛料なのに、、、


なぜ韓国や中国などでは

唐辛子を使った料理が多いのか

ご存じの方がいらっしゃったら

コメントで教えてください!


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話がだいぶ逸れて申し訳ないですが、

多くの若者が命を落とした梨泰院での事故。


コロナが収束に向かうにつれ

人が集まるイベントも多くなると思いますが

二度とこのような事故が起きないことを

祈るばかりです。


最後に、今回の韓国旅行で、日本人の若い女の子がソウルのお店で働いている風景に何度か遭遇しました。聞くと「韓国に留学中」とのこと。やはり韓国は人気なんだなと感じた一幕でした

最近、ほんと怖いなと思うのが、

幹線道路に停めている違法駐車の車たち。


うちの近くの幹線道路は片側2車線で、

そのうち一車線はバスも使用する車線。


交通量は非常に多く、

もちろん道路は駐車禁止。


さらに自転車の走行車線も路側帯にあり

もし駐車車両があると

まず自転車は、車がビュンビュン走っている

車線に膨らまなければなりません。


つまり、

車線にでなければならない自転車にとっても

車線に出てくる自転車を避ける車にとっても

かなり危険であるということ。


そして、バスにとっても最悪で

バスは基本的に左車線を走るので

駐車車線があると

バスは右車線に入らなければならない

車線変更が多くなるので危ないし

渋滞を引き起こす、わけです。


なので、駐車禁止の幹線道路で

違法駐車するのはほんとに

迷惑なのですが


うちの近くの幹線道路(目黒通り)は

ほんとに酷い有様。


トラックがでーんと駐車していて

何してるなかなー、と思って

運転席を見ると


足をハンドルの上に放り出して

寝ている様子。


または弁当食べてたりする。


いやいやいや、ここで寝るなよ!

みんな車線変更しなきゃで

めちゃ迷惑なの分かるだろ!!😡😡😡


前にあまりにトラックが

列をなして駐車してるので

トラックの運ちゃんに

「ここ、駐車禁止ですよ」

と注意したら、


めちゃ睨まれて、そのまま無視される始末。


他の時も、

うちの前の道路(もちろん駐車禁止)に

荷台の積み替えをしてる

トラック数台が停まってて


朝からけたたましい音で

作業を始めたので

「ここ、駐車禁止ですよ」

と注意したら、


「うるせえな!」

と怒鳴られる始末、、、


その時は流石に頭にきて

警察に連絡したのですが


ほんとに駐車禁止エリアに

平気で停めてる違法駐車のなんと多いことか。


目黒通りの違法駐車は

駐車禁止を取り締まる方々が

巡回してはいるのですが


そんなには人数が多くないので

なかなか取り締まりきれてない模様。


駅前に関しては、

駐車禁止ではなく、パーキングメーター制なので

駐車していいのですが、


みていると、料金を最初から払わずに

何時間も停めている車の何と多いことか。


駅前に車停めたくても

(ちゃんとお金払って停めたいけど)

空いてないから停められない。


おい!行政よ!

駐車禁止、ちゃんと取り締まってくれよ!

ムキームキームキー


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そんな、違法駐車車両に

物申したいわたくしですが、


先日友人のとのご飯で

港区のレストランに行ったときのこと。


その日は、

友人とのランチのあと

親の病院の付き添いに行かねばならず、


故に電車では行けず

(親は車でないと移動困難なため)

車を出動させたわけです。


港区のレストラン→千葉の実家

という流れ。


親の病院の時間の都合上

レストランにいられるのは一時間とちょっと。


というわけで、

港区のレストラン近くの駐車場に停めて

ご飯を食べて、千葉に移動、

という流れだったのですが、


皆さんご存知、

港区とはめちゃめちゃ

駐車料金の高い区。


12分400円、とかの世界です。

うーん、一時間で2000円かー、、、😰😰😰


ランチの値段と変わらんやん、、、


まー一時間だし、

道路のパーキングに停めて

ダッシュで戻ってきて

実家にゴーするか!


道路のパーキングは

一時間だけ停められて300円。


ここは港区と言っても

田町の近くで海側。


片道3車線で周りは工業地帯なので

ほとんど車の往来はない。

ここです


道路にパーキングが

ずらーっとあるエリアなわけです。

このパーキング。前の白い車はパーキングの外に停めてお弁当食べてた、、、


よし、じゃー一時間だけ、

急いでご飯食べて戻ってこよう!


と、パーキングに停めて、

300円払って、

友人とのランチへ。


----------------------------------

そろそろ一時間だよな、

よし、そろそろ失礼するか。


と、思っていたのですが

話が盛り上がって10分ほど過ぎて

やべっ!

と急いで友人たちに別れを言って車へ。


まー、20分過ぎちゃったけど

大丈夫でしょー。


3車線あって車ほとんど来ないとこだし

迷惑な場所じゃないし。






貼られてる、、、


駐車違反のシール貼られてる、、、



え、、、、

えーーーーー!!!!


20分で、、、


しかも、

こんな誰にも迷惑がかからない場所で、、、


ちゃんと1時間分は払っていたのに、、、


ちょ、、ちょっと厳しすぎない、、、


うちの近くと全然違う、、、


うちの近くって、

めちゃ迷惑な場所の駐車禁止エリアに

何時間も停めてるのに

全くお咎めなしなのに、、、


そして送られてきた請求書。

一万円、、、、

涙しかない、、、


ほんと高いランチになりました、、、

😭😭😭😭😭😭😭😭😭😭😭😭


しばらくはもやしを主食に生きていきます、、、

では、、、

先日久し振りに撮影したユーチューブ。

(【パリちゃんねる】というチャンネルをやってます!)


日本に帰国してからは

パリに住んでる友人の俊介氏に

撮影をお願いしていたのですが


俊介氏ももうすぐ帰国、ということで

現在バタバタしており


なかなか撮影ができないので

私が日本で撮影することに。


ということで、

カメラを持って久し振りに

待ち行く外国人にマイクを向け

「どこから来ましたか?」

「何しに日本へ?」

「日本の印象は?」

などをインタビューして回ったわけです。


最初はアメリカ人のお二人に

続いてイギリスの方、ノルウェーの方

最後はフランスの方、

合計5名の方にインタビューしました。


そして、このインタビューで

考えられない奇跡が!!!


二番目にインタビューしたイギリスの方、

この方には赤坂で声をかけたのですが、

イギリス人のカルロスさん


この方は今秋から

留学するために来日した

とのこと。


そして、何とその留学先の大学は

私が卒業した大学!!


びっくりしてテンションが

かなり上がってしまったのですが、

これは序章に過ぎす、


続いて皇居前で声掛けした女性、

この方は前日に日本に到着した

フランス人だったのですが、

フランス人のゾエさん


何とこの方も、

私と同じ大学に留学するために

やってきた、とのこと!


まさかの偶然に

「こんなことってある!?!?」

となったわけです。

(この方のインタビューは「到着したばかりだがら後日でもいい?」ということで、動画では最後に登場します)


何か、気持ち悪ささえ感じながら

最後の一人、ということで

場所を東京駅の前に移してインタビューを決行。


インタビューしたのはノルウェーの方でしたが

なんとその方も、

留学するために来日した

とのこと。


え??

いやいや、まさか、、、


そんなことないよなー、

と妙な予感を感じつつ、

「あのー、どちらの大学に?」

と聞くと、


何とまた、私が卒業した大学!


えーーーーー!!!!


というか、むしろやっぱり!


まー、この日は9月下旬で

ちょうど留学生の入学前、ということで

皆さん日本に到着したばかり

まずは観光で皇居に向かう、

という流れから、多くの留学生に

あたったのかもしれませんが

(赤坂はちょっと離れてますが)


それにしても、全員大学が同じって、、

しかも私の卒業した大学、、、


こんなことって、あるんですねーー、、

と、その奇跡に驚いたわけですが、


そんな奇跡の縁なので

イギリス人の方とフランス人の方と

連絡先を交換して


その翌週末、

家に招待したわけです。


ふたりは初めての日本で

初めての日本の家訪問。


まずは玄関で靴を脱ぐのに

ちょっと戸惑い、

日本の家の設備に感心。


イギリス人

「日本の家って、ほんとテクノロジーが凄いよね。

お風呂とか、

お湯に浸かりながら温度調節とかできたり、

インターフォンで顔が映ったり、会話できたり。

ほんと凄いわ」


それから話は日本とイギリス、フランスの

食の話に。


イギリス人

「日本はご飯が安くて、ほんとに美味しいよね」


フランス人

「いや、ほんとに。でもそれに比べて、あなたの国の料理は最悪よね。何度も行ってるけど、ほんとに酷い。

イギリス料理って、何であんなに美味しくないのかね」


(いやいや、言い過ぎでしょ、、、😅😅言葉選んてくださいよ、二人とも初対面なんだし、、、ほんとフランス人、遠慮しないな、、、😅😅)


上のフランス人のイギリス料理へのディスリに

さすがにイギリス人は不快感を示すだろうな

と思っていたら、何とイギリス人、

「いやー、ほんと、ほんとにそうなんだよ。

うちの国の料理は最悪でさ。はははははー」


と、まさかの同調して嘲り笑い。

「あ、でもね、イギリス料理はまずいけど

イギリスは各国の料理が集まってるから

特にロンドンでは美味しい

世界の料理が楽しめるよ!」


とのこと。


なるほどー、イギリス人もそう思っていたのか!😲


私も何度かイギリスには足を運びましたが、

確かにイギリスの料理は口に合いませんでした。


ロンドンで

イギリス発のファーストフード店に入って

頼んだものは、二口ぐらいしか食べられず

こっそり捨てた過去を思い出しました。。。


でも、確かにロンドンのインド料理などは

美味しかった!


あ、でも個人的には

イギリスの朝ごはんだけは大好きです。

(イングリッシュ・ブレックファースト)


そんなふたりの留学生、

イギリス人の彼は一年間

フランス人の彼女は半年のプログラムで

短い日本ステイですが、

存分に日本を楽しんでほしいものです!


彼・彼女たちが登場する動画を貼り付けておきます!




前回のブログで書いた韓国ドラマの話。


上のブログで書いたように
うちは今韓国ドラマにハマってるのですが、

その最初にハマった「梨泰院クラス」、
実はこちら日本版のリメイクが作られていて
その日本版のタイトルが「六本木クラス」。
こちらです

主人公は竹内涼真、
ライバルの会長役が香川照之。

香川照之さんは、昨日のセクハラ報道で
まさに時の人になってしまってますが、、、

本家「梨泰院クラス」の"梨泰院(イテウォン)"とは、韓国の首都ソウルの代表的な繁華街。
つまり、"梨泰院"という場所を舞台にした話です。

😀梨泰院って日本で言えば、
渋谷みたいなところかなー

と思っていたのですが、
日本版はその舞台を「六本木」にしています。

🤔なるほどー、六本木かー、
六本木、懐かしいなー😗

六本木は学生の頃
背伸びして友達にくっついて
クラブに行ったり

六本木ヒルズやミッドタウンができてからは
奥さんとたまにデートで行っていた場所。

一方仕事で
昔出版社にいた頃、
ページのデザインをお願いしていた事務所が
六本木にあったので

締め切り前などは毎日のように
行っていた場所でもあります。

仕事で毎日のように行っていた頃
よく上司に連れて行かれたラーメン屋があり、

「六本木クラス」を見てて、
😗そう言えば、あのラーメン屋、
まだやってるかな?🤔

と、ふと気になり
グーグルマップで調べたら
あ!まだやってる!😆

コロナにも負けず、
まだ人気店のようです!

よかった!😆

やってると分かったら
急にそのラーメンが食べたくなって、
六本木交差点です

来ちゃいました、六本木😅

その、昔よく行ってたラーメン屋とは
このビルの一階にある

こちら!

ドラム缶スープ
「天鳳(てんほう)」

昔から店の前に麺が置いてある店です😅

出版社時代の上司(部長)は
バブル時代の方で

青学テニス部出身、
(インカレで全国ベスト4とか言った)
身長185センチぐらいのイケメン
お父様は三菱商事のエリートサラリーマン。
(つまり結構裕福)

その方はあまり
自分の話をしないのですが
想像ではそれはそれはモテた学生時代を
過ごした事でしょう。

青学とはすなわち
ほぼ六本木なので、
(六本木と渋谷の間にある)

その上司にとって六本木は
ほぼ庭。

そんな六本木マスターの上司が
「六本木でラーメンって言ったらここ」
と連れて行かれていたのが
この"天鳳"だったわけです。

こちらのラーメン、
ちょっと独特のオーダーができて
・麺の硬さ
・脂の濃さ
・塩っぱさ
を1・3・5という数字で
硬く、脂っぽく、しょっぱくできます。
だいたい皆さん、1・3・5で頼みます

オーダーしたのは普通のラーメンの
1・3。
しょっぱくはしませんでした

札幌の「西山ラーメン」の麺を使用

久しぶりの天鳳、
やっぱりめちゃうまい!!!
ラブラブラブ

昔はハマって
休みの日も食べに来たことあったなー😁

いわゆる "度ストレート" な醤油ラーメンですが
ラードのコクが
濃い醤油と硬めの麺にマッチして
ハマります。

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いやー、食った食った😋😋
やっぱ旨いものは部長に聞け、だよな😉

「部長に聞いた旨い店」
またこのブログで紹介します😁

と、せっかく六本木に来たので
ちょっと街をぶらぶらしてみます。

天鳳の向かいにあるのは
東京ミッドタウン

こちらは2007年にできた
ホテル、ショップ、レストラン、オフィス
美術館などが入った複合施設。

三井不動産の子会社が運営しています。

そして、六本木の顔と言えば
こちら、六本木ヒルズ!

こちらは2003年開業。
同じくホテル、ショップ、レストラン
映画館、オフィスなどが入った複合施設です。

運営は森ビル。

六本木と言えば、
今やこの「ミッドタウン」と「六本木ヒルズ」が
ランドマークなのですが、

この2つができる前は
これといったランドマークがなく、
ゆえに一般の人は行く用事がない

逆に言うと
いわゆる "夜遊びしか用の無い街"
だったわけです。

しかも、なぜか妙に近寄りがたい街、、、

イケてる人(もしくは金持ち)しか
楽しめない街だったわけです。

2つのランドマークによって
今や六本木は大衆的な街に
なってしまいましたが

それ以前は
「イケてない人は楽しめない街」
だったわけです。

20代などの若い人や2000年以降に
東京に出てきた方がそう聞くと
「言い過ぎでしょ」と思うかもですが、

六本木はイケてない人には厳しい
排他的な街だったのは
間違いありません。

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東京(日本)の文化発信地は
間違いなく渋谷ですが、
それはアメリカの占領と深い関係があります。

そのことはまた今度書くことにして、
実は六本木の街形成も
アメリカが大きく関わっています。

では、そもそも六本木は
なぜこんなにも華やかな街となったのか。
(最近は普通の街になりつつありますが)

それは、六本木の位置に秘密があります。

六本木があるのは
皇居の南西。
いわゆる
「3A+Rエリア」にあります。
このエリアです

「3A+Rエリア」とは
・赤坂 Akasaka
・麻布 Azabu
・青山 Aoyama
・六本木 Roppongi
のこと。

ここは、都内でも最も不動産的価値がある
超高級エリア。

ここの中心地が六本木ですが
このエリアはかつて
"軍の施設が集まっていた場所" です。

つまり六本木は軍の街
だったわけです。

軍の街?🙄🙄
とお思いかもですが、
日本は江戸から明治になった頃

明治政府はこの赤坂、青山、六本木エリアに
軍の施設を多く作りました。

理由は、江戸時代このエリアに
広大な大名屋敷がたくさんあったから
(広大な用地を確保しやすかったから)
です。

官庁街(霞が関)にほど近く、
アクセスもしやすい。

例えば、東京ミッドタウンがある場所は
かつて長州藩の下屋敷があり
明治時代からは帝国陸軍の駐屯地がありました。
(駐屯地: 軍の部隊・施設がある場所)

国立新美術館がある場所は
陸軍歩兵第三連隊が。
国立新美術館(写真はウィキより拝借)

神宮外苑は練兵場で
現在の青山中学校は陸軍大学校、
青山墓地下には砲撃場が。
明治神宮はかつて陸軍の演習場でした。

このように3A+Rエリアには
軍の施設がたくさんありましたが、

日本がアメリカとの戦争に負けると
特に六本木エリアの施設は
アメリカに接収されることに。

現在ミッドタウンがある
陸軍の駐屯地だった場所は
米軍将校の宿舎に、

国立新美術館がある
陸軍歩兵第三連隊があった場所も米軍が接収。

その陸軍歩兵第三連隊があった一部は
現在もアメリカ軍の基地があります。

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また、このエリアはもともと
アメリカにとって大事なエリアだったことも
影響があると考えます。

というのも、
六本木エリアの端、
赤坂との境には
古くからアメリカ大使館があるため。
アメリカ大使館。半端ない警備でヒヨリます、、💦

その影響もあってか、
六本木通りを挟んだアメリカ大使館の向かいには
アメリカ大使館宿舎があります。
ここもめちゃめちゃ広大です。正門は怖くて撮れなかった、、、

位置関係はこんな感じ。
六本木通りを挟んですぐの位置にあります

このアメリカ大使館宿舎ですが、
かなり広大で、しかも六本木の
超一等地にあります。

この広大な土地は、
元は松代藩の藩邸で明治になって
三井本家屋敷となり
戦後、財閥解体によって接収され
アメリカ大使館宿舎になった場所です。

この土地に足を運ぶと分かるのですが
ここは都内でも有数の一等地。

官庁街まで目と鼻の先、
歓楽街の赤坂と六本木の間に位置し
両街まで徒歩圏内。

そして、なんと言っても
高台かつ南向き斜面。

これ以上ない立地です。

そりゃ天下の三井本家が
本邸を構えるわけです。

その米国大使館宿舎、
何と地図に表記はありません。
道路に設置してある地図。赤で囲った場所ですが、米国大使館宿舎とは一切書いてありません

なので普通の人はここが米国大使館宿舎と
知ることができません。

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そして六本木には
今も東京都内で唯一の米軍基地があります。

それは意外に知られていない事実です。

それは、六本木ヒルズのすぐそば
青山墓地の横にあります。
六本木ヒルズからすぐの場所にあります

ここは「アメリカ陸軍プレスセンター」
という名の、実質は米軍の基地です。
六本木のど真ん中に米軍基地があります

施設内にはヘリポートがあり
毎日横田基地との往復のため
ヘリコプターが離発着しています。

米国大統領は来日で東京に来るとき
基本、横田基地などから
ヘリでここに降り立つわけです。

と、基地横の道を歩いてると
突然爆音が!

パッとみると、
おっ! 噂をすればヘリコプター!
爆音で離陸していきました

あり得ない爆音で
これ毎日離陸してるんだから
近隣住民は大変だな、、、😣

ここはさすがに返還を求めて
揉めてるみたいです、、、

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と、このように米関係施設が
てんこ盛りの六本木。

今でも米国色が濃厚ですが
終戦直後はもっと占領軍が
多くの施設を接収、駐屯していたので
六本木は完全にアメリカと化したわけです。

終戦直後しばらくは
六本木は日本人は立ち入ることができない
アメリカの「東京租界」と化し、
(租界【そかい】とは、独自の治外法権を有する外国人居留地)

六本木界隈にはアメリカ人向けの
バーやレストラン、ショップ、
キャバレーやダンスホールが乱立。

それが今の六本木のベースとなっていて
街には外国人向けの店が多く並び、

戦後10数年後に米国の占領が解けると
六本木にはテレビ朝日が開局。

これをきっかけに多くのテレビ・芸能関係者、
その周辺の人々が集まるようになり、

六本木は一般の人は近寄りがたい
業界人の租界へと
変わっていった、というわけです。

なので、今でも六本木は
最も多くの
「若くて稼いでいる」人気芸能人、有名人が
多く住んでいます。

実際、今回ラーメンを食べに行ったこの日
某人気ユーチューバーを見かけました😁

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そんな六本木の個人的に最も
インパクトのある出来事は

やはり、1994年にオープンし
2007年の閉業まで
六本木の象徴として君臨していた
「ヴェルファーレ」。
写真はウィキより

「ヴェルファーレ」とは
当時おそらくナンバーワンだった
超大型のディスコ・クラブ。

その「ヴェルファーレ」の前には
東京・芝浦に「ジュリアナ東京」の
大きな流れがあって、
(1991年から1994年まで営業)

そのジュリアナ東京の流れを
引き継ぐ形で六本木にオープン。

「ジュリアナ東京」は
総合商社の日商岩井(現双日)が
イギリスのレジャー会社と共同出資して
作ったディスコで、

「ヴェルファーレ」は
その日商岩井の担当者が退職して
新たに作ったもの。

それは同じ流れなわけです。

散策ついでに
そのヴェルファーレの跡地、
今はどうなっているのか
見に行ってみました。
一階にコンビニが入っていたり、当時の近寄り難い雰囲気はゼロです

あれだけ栄華を極めたヴェルファーレも
そりゃ15年経てば跡形もないですよね。

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と、今ではすっかり
普通の街になってしまった六本木。

そういえば今はもう
近寄り難い街って無くなっちゃいましたよねー🤔

ちょっと残念な気もしますが
もう情報が簡単に取れる現代では
そんな雰囲気は作れないのかもですね。

長くなりましたが、今回はこのへんで!

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〈おまけ〉
※最後にもう一つの六本木名物「かおたんラーメン」
西麻布の交差点近くにあるラーメン屋「かおたんラーメン」

外観は「ほんとにやってるの?」的な雰囲気ですが、中はきれいです。ラーメンセットを注文

昔ながらのラーメンですが、安定の美味しさです

最近、自分と奥さんの間で

めっちゃブームになってるのが「韓国」。


きっかけは、

奥さんの友人にゴリ押しされて見た

「梨泰院クラス(イテウォンクラス)」という

韓国ドラマ。

梨泰院クラス。梨泰院(イテウォン)とは、韓国・ソウルの街名


正直これまで、韓流ドラマは

興味がなくて見てこなかったんだけど

その友人がめちゃ推してくるので


それじゃ見てみる?と

試しにちょっと見てみたら

これがなかなか面白い!


ざっくりいうと

父親を殺された主人公の

復讐モノの話ですが、


普通の復讐モノと違って

(暴力で復讐する話とは違って)

企業買収で復讐するというもの。


親を殺した相手は大企業の御曹司。

主人公は、その御曹司やその父親(社長)に

徹底的に人生を潰されそうになりながら、


這い上がって、起業して

仲間を集めて、会社を成長させ

最後は、、、、


という復讐&サクセスストーリーです。


あまり書くとネタバレになるので

このあたりにしておきます。


ネットフリックスで見られるので

興味ある方はぜひ!


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と、その梨泰院クラスを見終わって

奥さんと自分の中で韓国がブームになって

今見てるのが「愛の不時着」。

「愛の不時着」

これはあまりにブームになったので
見た方は多いかもですが、

自分たちも昔、ブームの時に
第一話を見たのですが
ピンと来なくて見るのを止めた経緯が。

しかし、やはり友人に
「愛の不時着は、コメディーだから
そのテンションで見ないと」と言われ

気持ちを切り替えて
最近改めて見始めたら
これがめちゃ面白い😅😅

コメディーとラブストーリーが
いい感じで混ざっていて
ドラマの世界に引き込まれてしまうわけです。

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という感じで、
最近はチャミソル(韓国焼酎)を飲みながら
韓国ドラマを見るのが
日々の楽しみになってるのですが、

それだけでは飽き足らず
韓国料理のお店にも
足を運んでしまうわけです。

そんな韓国料理センサーが
ビンビン立ってる自分には
インスタに韓国料理の写真が
バンバン上がってくるわけで、

昨日、そのインスタに上がってきたのが
めちゃめちゃ美味しそうな
カンジャンセウの写真。

カンジャンセウとは
海老の醤油漬け。
これです

いても立ってもいられず、
ランチタイムに写真のお店へGO!
東京・目黒の駒場にある「パクシタン」という店です

出てきたのはこちら!
カンジャンセウ定食、1000円!

醤油漬けにされたプリプリの海老が堪らない!

韓国のりに巻いて、キムチと一緒に食べます!最高!!

いやー、控えめに言って最高でした!😆

次はサムギョプサル定食、
食べてみたいと思います(^^)

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というわけで、韓国料理を堪能して
帰ろうと思ったのですが、

せっかくなので、店の近所を
ふらっと散策してみることに。

こちらのお店があるのは
京王線の「駒場東大前」という駅の近く。
こんな駅です

こちら、駅名に「東大」ってあるので
お分かりかと思いますが、
駅の目の前に君臨するのが
日本の最高学府「東京大学」。
ででーん、と東京大学があります

東京大学は、本部キャンパスは
文京区の本郷にありますが、
それは3、4年生が通うキャンパス。

1、2年生は
この目黒にある「駒場キャンパス」に
皆さん通います。
駒場キャンパスは目黒と言っても、渋谷駅の近くにあります

そしてこの東京大学駒場キャンパスの
周りを散策してると現れたのが
「目黒区立駒場公園」。
めちゃめちゃ立派な入口です

中に入ると、そこには
何とも立派な洋館が!
まるでヨーロッパの貴族の館のようです

実はこれ、旧加賀藩の藩主、
前田家が昭和初期に建てた館。

せっかくなので中に入ってみることに。
(無料です)
エントランス。凄すぎて言葉を失います

エントランス横のサロン。バルコニーに面していて開放的

バルコニーから庭園を臨む。あり得ない広さの庭、、、

邸宅を建てた当時の航空写真。庭の広さよ、、、
(と言うか、昭和初期に邸宅の航空写真を撮る財力、、、)

前田家の家族写真。華麗なる一族です

昭和初期に、前田家はこの邸宅の庭でゴルフをしていたようです

冬は、この庭でスキーをしたようです、、、

前田家、凄すぎ、、、

と、皆さん、この前田家って
どんな一族かご存知でしょうか?

前田家は、江戸時代の加賀藩の藩主ですが、
加賀藩とは今で言う石川県・富山県の
大半を有していた日本最大だった藩。
kagahan.jpより。1867年(幕末)時のデータ

前田家は、徳川家康が江戸幕府を樹立する前、
まだ豊臣秀吉がトップだった頃、

豊臣政権の政治を行った
五大老の筆頭だった家柄。
※五大老: 徳川家康、毛利輝元、上杉景勝、前田利家、宇喜多秀家。家康と利家が筆頭

簡単に言えば、前田家は秀吉時代には
1位: 秀吉
2位: 徳川家康
3位: 前田利家
で日本のナンバー3

秀吉亡き後の徳川時代に
最大の大名として君臨した、
というわけです。

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と、そんな大大名だった前田家の邸宅なので
立派なのは当然なのですが

実はこの前田家と東京大学は深い繋がりがあり、
なかなか興味深いものがあります。

まず、東大といえば本郷ですが、
その本郷キャンパスは
もともとは加賀藩の上屋敷があった場所。
加賀藩とは、すなわち前田家の藩です。
※上屋敷とは、藩主が江戸に住むための屋敷

江戸時代から明治時代になったとき
新政府が加賀藩から本郷の上屋敷を接収。
そこに東京大学(東京帝国大学)が入りました。

その名残で、東京大学には
加賀藩が造った江戸時代からある門が
赤門として残っています。
東大の赤門。加賀藩の門

屋敷の土地をほとんど接収された前田家は、
明治時代、接収を逃れた土地の一角に
住むことになったわけです。

が、1926年(大正15年)、
東大は本郷の敷地拡張を計画。

そこで前田家が住む土地に
手を伸ばしたわけです。

このとき当時東大の農学部があった
駒場の土地の一角と交換しないか
という話になり、

結果、前田家は本郷の土地を東大に渡し
交換に駒場の土地を入手。
そこに上の邸宅を造った、というわけです。

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ところで、
そもそも何でこの駒場の土地に
東大の農学部があったのか、
という話ですが、

この話も面白く、
実はこの「駒場」という土地は
江戸時代は将軍の〈鷹狩り〉の場所として
使われていたところ。

〈鷹狩り〉とは、簡単に言うと
【鷹を使った狩り】ですが、

武士の時代には、それはつまりは
【軍事演習】で、駒場の土地はすなわち
〈軍事演習場〉だったわけです。

その〈演習場〉の土地は明治時代になると
明治政府が開墾することになり、

駒場の土地には
・農学校
・研究、教育機関
などが作られ、

よって東大の農学部が
ここにあった、というわけです。

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この駒場という土地、
歩いていると目にするのは
学校と警視庁の庁舎、公務員宿舎、
大手企業の研究所ばかり。

そして、
ここにある学校のレベルが
異様に高いことに度肝を抜かされます。

まずこの駒場の土地の大半を占めるのは
もちろん東京大学。

そして、その東京大学と線路を挟んだ
逆サイドにあるのが
日本で最も高い東大合格率を誇る
〈筑波大附属駒場中学・高校〉
通称〈筑駒〉。日本で最も偏差値の高い中学・高校です

日本一の高校、と聞くと
開成を思い浮かべる方も
多いかもしれませんが、

開成は合格者数が多いのであって
それは開成高校の生徒数が多いから
という側面があります。

過去3年間の東大合格率の順位は

1位: 筑波大附属駒場 57.8%
2位: 開成 43.8%
3位: 灘 40.8%

となっています。

そして、さらに4位からの順位を見てみると
4位: 桜蔭 34.0%
5位: 聖光学院 33.8%
6位: 栄光学園 30.8%
7位: 駒場東邦 26.4%
8位: 麻布 23.0%
9位: 渋谷幕張 20.1%
10位: 西大和学園 18.9%

という形です。

ここで注目したいのが、
7位の〈駒場東邦〉。
東大合格率、全国7位の〈駒場東邦〉

この〈駒場東邦〉は実は
日本一の〈筑波大附属駒場〉の
隣りにあります。
東大がある駅に、日本一の高校と7位の高校がある

いやー、日本の頭脳が集まりすぎでしょ!😣

筑波大附属駒場と駒場東邦の子たちは
かなりの確率で東大に行くので、
高校を卒業してもまた同じ駅に
通うことになるわけですね。

中高6年間、大学2年間なので
何と8年間もこの駅へ通うわけで。

何か凄い話だな、、、

ちなみにこの駅の周りには
ほかにも都立の上位校である
〈都立国際高校〉※都立9位 偏差値68
〈駒場高校〉 ※都立12位 偏差値67
があります。
※国際高校の早慶上智合格者数175名
※駒場高校の早慶上智合格者数69名

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韓国料理ついでに
ふらふらと歩いて見つけた
〈駒場〉というエリア。

渋谷から歩いても行ける距離なので
興味がある方は暑さが落ち着いたら
ぜひ散策してみてください!

それでは!

(おまけ)
こちらも駒場エリアにある公園
〈駒場野公園〉。
もともとはここに〈駒場農学校〉がありました

ケンネル田んぼ。日本農学発祥の地です

YouTube「パリちゃんねる」の

管理人をしております〈カズ〉と申します。


この度は、

小ブログ「西方見聞録パリレポート」に

たどり着いて頂き、ありがとうございます。


これも何かの縁でございますので

今後もどうぞよろしくお願いします🙇‍♀。


さて、

当ブログは1031記事がございまして

「どの記事から読めばいいの」か

分かりにくい部分もあると思うので


下に【当ブログの人気記事】を

まとめてみました。


ぜひ、ここから読んで頂けますと

ブログに入っていきやすいかと思いますので

よろしくお願いします。


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