ご無沙汰しております。

コメントにもお返事出来ず申し訳ありません。

ありがとうございました。


悲しみは落ち着いた頃に襲ってくるもので、新盆を終えて初彼岸を控えているこの頃、色んな思いが込み上げてきて不眠も悪化傾向にあり、夜中に一人で涙するような日々を過ごしています。

目を閉じると思い出すのです。

息を引き取った瞬間を。

前日までピースして写真撮って、その日に少し大きめな地震があって懸命に打ってくれた「地震大丈夫だった?」のメールのこと。

酸素の管も点滴も繋がってない元気な時のままの顔で眠ってる姿。

…骨だけになって出てきた時の絶望感。


あのとき、よく足を踏ん張って立っていられたな…と思うくらい、今は思い出すと身体の力が抜けて脱力感に襲われます。


あれからの毎日は正直苦しくて。

家事も何でも…母がいたから頑張れたんだなと思ったり。

お線香をあげることにも最近は抵抗すら感じてしまうこともあります。
何故あげなくちゃいけないのかと…信じたくないからあげられない、みたいな感覚です。

一人になって、一人で母の遺影と位牌の前で泣き崩れる事も。

介護ベッドのあった場所には何もなくて。
酸素の機械が置いてあった場所にも何もなくて。
それだけでも苦痛で。

勢いで処分しようと袋にまとめた母の服もゴミ出しの日に出せないまま残って。

日はどんどん経って、法要は済ませましたが今日が百ヶ日です。



そのほか、色んなことがあり思うことがたくさんあり遺された命、母が遺してくれた命ではあるものの…


生きることに疲れてしまうことも、あります。

幸せに思うこともあれば、何故私は今こんなにも辛いのかと思うこともあれば…本当に色々。

それが「生きている」ということなのだけれど…。



母がおそらく友人にあてたのであろう書き途中の手紙を偶然見つけました。

「私は酸素ボンベを引いて歩いています。付き合っていかなきゃいけない相棒なのだから酸素ちゃんと呼んでいます」

「娘も年頃。結婚もしたいだろうに私がこんなことになってしまって迷惑をかけてしまっていてかわいそうでなりません」

「実は娘も精神的な病気を持っていて苦しんでいます。それなのに私までこんな風になってしまって…本当にかわいそうな子です」


などと、記されていました。


かわいそう。
母にまでそう思われていたのだと思ったら悲しくて。


私はかわいそうな子なのか、と。

今まで何度も他人様から「かわいそうに…」と言われ続けて、そのたびに傷付いて。

「かわいそうにね、しっかり頑張ってね」

なんて、言われた日には心が壊れそうでした。

それが母までもが、かわいそうと思っていたなんて。


それからの私は心を閉ざしがちになってしまいました。
作業所も休みがちになり、引きこもることもあり。
通院ではうまく話せなくなってしまって、文章にして紙を渡してそこから話を広げたり。

彼や気を許せる友人とは気楽に話すこともできて、至って普通に過ごせます。

それが過ぎるとまた悪夢のような辛さや悲しみが襲います。

父とは必要最低限のこと、ほんの少しの談笑が限界で出来る限り話したくないと思ってしまうこともあります。


将来に希望や夢、期待を膨らませる事も出来なくて、ただ目の前の間近の楽しみだけを糧に生きていて、これで良いのかと悩んだり…。

何より辛いのは、人の幸せを素直に喜べなくなってしまったこと。

私には無縁なんだろう、幸せなど…と思ってしまうのです。





近頃の私はこんな感じです…。


元気にブログ再開したいところでしたが、このブログももう無意味なのかな…と、思いつつも母と病気との3年間を考えると止める事もできずこのままに…。

これからは私の捌け口ブログになる…ような気がしているので、カテゴリーも変更しようと思います。

今後も応援して下さる方がいらっしゃればこれからも宜しくお願い致します。

又、現在闘病中の方々のブログは今も拝読させて頂いており、今後も拝読させて頂き、陰ながら、時にはコメントを残したりもしながら応援させて頂けたら幸いです。


長くなりましたが、不安定な天候が続いていますので皆様お身体ご自愛下さい。