いのちの唯一の目的は成長することにある。
究極の学びは、無条件に愛し、
愛される方法を身につけることにある。
「人生は廻る輪のように」
エリザベス・キューブラー・ロス
生まれてきた唯一の目的が学びだとして
人は学びを終えたとき、この不自由な身体という殻を脱ぎ捨て
無償の愛の光の中へ帰っていく
死は畏れるものではなく、必ず訪れるその瞬間を思い、今を大切に生きるためのもの
それは明日訪れるかもしれないのだから
人は死を迎える瞬間に
どれだけ無条件の愛を与え
受け入れることができたかを問われる、といいます
若くして亡くなる方々を見ていると
「神様に愛されて、早くに手元におきたいと思われてしまったんだろうな」
という思いが浮かんでくることがあります
それなら・・・
と、幼い子供たちの寝顔を見ながら考える
依怙地で
人を許さず
自分のことも何時までも許さずにいれば
学びは終わらず、この世に永らえることができるのかな、と。
せめて、この子達が高校生になるまで
いや、せめて成人するまで
元気で見届けなければと思う
欲張りすぎだけれど
本当は、子供たちが
おばあちゃんになった姿を見てみたいと思う
この世での学びを放棄したために
来世で再び同じ学びを始めからしなくてはならないとしても
今生のこの子達だけは見届けたい
詮無いこととはわかっているのに
愚かさに我ながらあきれているのに
それでも、そんな風に執着してしまうのが
母親というものなのかもしれませんね