ついに読み始めました。自省録


読み終わりでないところが、クールではないのですが




ずっと、読みたかったのですが、なぜか手が出ず


あこがれのミミネコ
さんが書かれる記事に登場するたび


ああ、読みたい、と思いつつ期が熟さなかった本






感動の連続ですが、私の仕事場にも掲げたい一節が早速出てきました




他人の魂の中に何が起こっているか気をつけていないからといって、そのために不幸になる人はそうたやすく見られるものではない。しかし自分自身の魂のうごきを注意深く見守っていない人は必ず不幸になる








この本は、きっと一生読み終わらないと思います




難解だから?いや、難しいせいではなく、好き過ぎてラブラブ


一生、折に触れて読み返しながら、きっと折々の状況と鑑みての感動があるのだろうと感じます




精神科医で思想家でもある訳者、神谷美恵子さんの素晴らしさにも胸を打たれます




訳者序からして、ど真ん中




「プラトーンは哲学者の手に政治をゆだねることをもって理想としたが、この理想が歴史上ただ一回実現した例がある。それがマルクス・アウレーリウスの場合であった」




哲学が日本を救うのではないか
という記事を書いたときには自分では気づかなかったのですが、私は哲学者の皇帝が欲しかったのだ、と気づきました




日本には皇帝もいませんし、私が望んでもどうにもならないことなのですけれど、皇帝といわず、政治家でも、企業家でも、市民でも、やはり今のような時代だからこそ、哲学や信条や宗教をもって事に望んでほしいと感じるのです




目的が明確で、信条や価値観がブレなければ、回りの変化に振り回されることはないはず


日本は、不況となれば、皆一斉に萎れてしまうように思えます


一つには、湿気の多い風土が、水っぽい体質をつくるためではないかと思っているのですがこれは又別の機会に


そして、もう一つが知識はあっても知恵がない教育方針の賜物なのかな、と思うのです


経験のあることには、あらゆる知識を駆使して工夫を凝らしていくことができるのに


未知の状況には拒否感が強くて尻込みしてしまう

知識は簡単にいくらでも得ることができますが、知恵は考えた末にしか得ることができません


私の思う哲学者とは叡智を備えた人のことです


叡智とはすぐれた深い知恵、知恵とは考えたり思ったりする頭のはたらき


考えたり思ったりした末に得た知恵に基づいた価値観は揺らぎにくいけれど


知識に基づいた価値観は、流行と共に刷新されやすく、ブレ易いのではないでしょうか




皇帝が国会答弁で

君の不幸は他人の指導理性の中に存するわけではない。
また君の環境の変異や変化の中にあるわけでもない。

しからばどこにあるか。

なにが不幸であるかについて判断を下す
君の能力の中にある。


なんて言うなら、私は馬車馬のように働いて税金いっぱい納めます(笑)


政治家も国民も、誰も何も他人のせいは出来なくなるでしょうね