日本ではあまりなじまない考え方のように思える「自己責任」






しかし、仏教では因果応報や輪廻のように、「旅の恥はかき捨て」的な考え方を否定してきました。神道でも八百万の神様やお天道様は常に見ていらっしゃるわけですから、いくら農耕民族で共同社会だといっても、不思議なことではあります






さて、ところが最近のスピリチュアルブームでは「誰もが親を選んで生まれてきた」ということになっています。


これは、ブッダの悩みの原点である「生老病死」といういかんともしがたいもの、をも実は自己責任であったという、大変に厳しい物の見方ですね






現代主流になってきている考え方では、「生老病死」のうち、老と死は宿命であるとしても、ほとんどの病も、生活習慣によるものとして、食事や睡眠、ストレスの管理などが励行されていますから、必然的に生と病については、無意識としても責任の一端があるのではないかということになりつつあるようです。ですからスピリチュアルなものを信じる、あるいは好む方々を、神頼みとか他力本願で一くくりにするのは、大きな間違いな訳です。








ネットによって情報が溢れ始めたことも、やはり自己責任の範疇が拡大してきた、と見るべきだと思います






先日、「羊水からリンスの香り」というのが、議論されているのを目にしました。


ご存知の方も多いと思いますが、ヘアケア製品に含まれる界面活性剤が、人体の皮脂を溶かすことで経皮毒としてもっとも吸収しやすい器官である子宮に蓄積し、結果、出産の際に羊水からはシャンプーの香りがする、というものです。






これを、無添加ヘアケア製品の販促の根拠に使用している会社がある、というのです


多くの方々が、「羊水からリンスの香り」に反論していらっしゃいました


『合成界面活性剤が浸透するというのなら、羊水から界面活性剤の香りがする、というのが本当だろう』


という論旨でした






ここで、問題になるべきは、経皮毒と、界面活性剤であるべきで、「風が吹けば桶屋が儲かる」のごとく始めと終わりだけを切り貼りすることには意味がないと思うのです






部分的にしろ信じるも信じないも、自己責任、というわけですが、同時に、情報のなかから、自分に必要なものを選び抜く「選択眼」が問われてもいます。






そのためには、やはり経験と観察を繰り返すしかありません。専門家の意見なら大丈夫、とか、権威ある先生の発言であれば大丈夫だという確証はどこにもありません。科学の常識も日進月歩なのです






特に、健康のことに関する話題は、月曜の番組「さんまのほんまでっか?TV」のように、「それ、ほんまでっか?」の心意気で、自分の経験と照らし合わせて考えてみる必要があるのかもしれません。






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