目の前の事に集中できない時ってありますよね
例えば、普段から本好きだけれど、その本が読む気になれないことがある。活字を追うことに集中できないんですよね
そんな時は大概、精神的に非常に気にかかることがあるものです。
気にかかる、と言っても心配事ばかりではなく行く末のわからない時期の恋わずらいでもそんな風になることがありますよね。心ここにあらず、という状態です



そして、いわゆる心身症でも同じ症状がよく見られます。目の前の事に集中できない。うっかりお鍋を焦がす等の小さな事故から、ハンドルの操作ミスによる大きな事故まで、まかり間違えば命まで危険にさらしてしまうようなことにもなりかねません



一方、気にかかることがあっても単純作業ならこなせる。あるいは単純作業に救われる、という経験もあるのではないでしょうか


とりあえず、目の前に何かすることがあれば心ここにあらずだとしても思いわずらうだけの状態よりずっとマシですし、どれだけ単純作業だとしても要所要所では、集中を要求されるのでその間は悩みも忘れられます


しかしこの単純作業、あるいはルーティンの「とり立てて考えることを必要としない作業」は本当に「心ここにあらず」で良いのでしょうか?


どんなに気掛かりがあっても「とりあえずご飯を用意しなくちゃ」
という状況の時、目の前の材料に集中するのと、お鍋を混ぜながら気掛かりについて考えるのとでは実は雲泥の差あるのです。どこに?
それは料理の出来に。ひいてはそれを食べた人のエネルギーにも差がでます



そんな事いっても、気掛かりがあったら集中なんて出来ない!と思うかもしれません。
座禅や瞑想で雑念が浮かんでくるのと同じです。対処としては呼吸に集中する、とされています
座禅や瞑想は自己を内観するのが目的ですから、自己の呼吸に集中します。
料理はやがて食べる人の血肉になるものを作るのが目的ですからアンパンマンのジャムおじさんのように「おいしくなぁれ、おいしくなぁれ」と念じながら作業するのがよろしいと存じます。

このことを「日常の全ての行いは禅である」というのでしょう
禅とは目の前の一つ一つを大切に思い集中すること、のようです



だいたい、何かしながら思いわずらったところで大して良い解決方法が浮かぶというわけでもありません
対して、集中する効能は計り知れないほど大きいのです。料理はおいしくなり、食べる人にエネルギーを与え、貴方はその間悩みから解放されます。


どんな風に作ったって料理にそれほどの差があるとは思えないかもしれません。しかし、あるったらあるんです
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感情の酸化と悪魔の関係




ネガティブな感情は石鹸の酸化を早めるほどの力があるという実例です。いつもながらお世話になっております





なかなか日常全てに集中していく、というのは難しいことではありますがこんなことの一つ一つが実は自分や家族の健やかさや、大元である関係性の健全さを作るための大きな一端になっているように思えます


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