私には娘は治せない
神之木クリニックに行った時点での私の結論でした


患者さんの病気も私には治せません
鍼灸師として開業しているくせに無責任ですが、日々の施術で実感し、患者さんにもそう言っています



他人にできることは限られている
外側から働きかけられることは限られている

薬も手術も鍼も、患者さん自身が何かに気づく事で発揮される力を越えられない
どんな治療もきっかけを与えるに過ぎない


◯◯で治った
のではなく
自分が◯◯をきっかけに治る事を選んだ
ということなのだと考えているからです

そうすると結果的には、結果的には患者さんは、治って行く


それは、毎日の施術で患者さんから
そして、痒みで眠れない娘を見て必死に考えながら学んだことでした


私には娘は治せない
ところが同時に、だからこそ娘は治さなければならない、とも思っていました

娘は、全面的に自分で選んで症状を出しているわけではないのです
7歳の娘は、母である私の感情を潜在意識レベルでもダイレクトに受けて、それを症状として出してもいる



これもまた、日々患者さんの施術をしながら
そして、治りにくい不調を抱える者の家族として、病気とその原因や改善策について悩む中で気づいてきたことでした


人も現象も全てを丸ごと抱きとめる手法であるホリスティック医学の大家、山本先生は、初診の一言目で
「今までしてきたことが活きるようにサポートします」と言って下さいました。それは経験も失敗も無駄にしないようにしましょう、とも、必要な経験であったと自己を肯定するだけではなく、自覚と気づきを得ながら進みなさい、とおっしゃっているようにも聞こえました。


私は、今の状態を招いている自分自身の責任を自覚しながらも、娘の存在が自分に近すぎて「患者」として客観視できないがための無力感を神之木クリニックの山本先生に訴えようとしましたが、口から出てきたのは「この子のこととなると、私は何もできないのです」という言葉でした。



先生は、「時には他人の手を借りることが必要なこと」
「震災以来、自然療法の分野で機能しなくなっている箇所があること」そして今後「(アントロポゾフィーでいう)9歳の危機を上手に乗り越える必要があること」を話して下さいました


娘には
「嫌いな食べ物はあるの?」
「ゴーヤが嫌いです」
「ゴーヤは誰でも食べにくいよねぇ」

「プールは好き?」
「好きです」
「入ってイイよ」

「漢方のお薬は煎じた苦いのだったの?飲めた?」
「飲めました」
「偉いね。ちゃんと頑張っちゃうんだね。今日は甘い薬を出すからね」

そして、私に「どうして症状が出てるんだと思う?」とお聞きになりました。

娘が怒りっぽいところがあること。わがままな場合もあるけれど、大抵は自分の表現力や理解力が、大人の常識や規則、時には「都合」などの世の中の大きな流れとズレてしまうのがもどかしいのではないかと思う、と、答えると、先生はイタズラっ子の様な顔をして「ちょっと違うね。この子は、自分ではどうしようも無い物を症状として出しているんだね。」

最適な方法で消化できない物を表に出している。湿疹や、血や、滲出液として。蕁麻疹もそう。最適な方法で出している。
消化できない食べ物、思い、化学物質も。
「蕁麻疹が出なければ、もっと大変な症状が出てしまう。大切な腎臓や肝臓や肺を守っているんだね。」

そうそう!やっぱりそうだったんですね。
先生のお話を伺いながら、私が今感じている安堵は、自分の中でゴチャゴチャと散在していた点が神経シナプスの様に繋がって形を表して行くのを見る喜びが、ホッとした思いとして出てきているんだな、とぼんやり考えていました

>9歳の危機
>母子同服という考え方
>神之木クリニック①




HPです↓
横浜 鍼灸・美容鍼・疏泄マッサージ
ホリスティックケア・プアマナ(puamana)

にほんブログ村 ホリスティック医療


にほんブログ村 健康ブログ ホリスティック医療へ