力を抜く
というのは実は大変に難しいことです。

スポーツなどでも、例えばスタートダッシュの瞬間にはものすごい力を込めた方が前に進むエネルギーが生まれそうですが、最近の陸上選手は世界最速の男ボルトでも、体重を前にかけておいて、つっかえ棒の様に体の前について置いた手を外すことで、より遠くへ一歩を踏み出すという練習をしているらしい。
力んでいたら硬直してしまいますから、惰性で進む方がエネルギーが出る、というのかな?これは不思議ですね。


最近、高校の弓道部にお邪魔する機会がありまして、静かに感動したことがあります。

弓道の弓は非常に長い
引く力は体格に合わせても最低8キロくらいはあります。
長い物を支えて力を込めて引くわけですから、支えなきゃ引かなきゃと頭で考えると妙な力が腕にも肩にも入って、的に当てるどころではない訳です。


そんなグズグズの初心者を見ていて「やっぱり腕の筋力トレーニングなんかも必要なのかしらね?」と何気なく質問したら、高校生の男子曰く
「腕の力は必要ないんです。なんて言うか、骨格なんです」と。

ほおおおお!男子、チミは良い指導者についているのか、物の解った子なのだね、と嬉しくなりました。


彼が言いたいのは、弓と引き手と身体の骨格の様子が釣り合っていれば、力を入れないでも弓を引くことができる、ということです

「バランスなのね?」と言うと彼は嬉しそうに「そうです!」と、うなずきました。


どんな場面でも、力めばロクなことはない、ということは誰でも良く知っています。

それなのに、ここ一番、という場面になるとどうしても力んでしまう。

力むと筋肉が硬直して自由に動く事が出来ませんから、当然持てる力の一部しか使うことが出来なくなって、良い結果がでません。

それでも、やはり人は力む


特に現代社会では、頭で考える事が主体で、さらにストレスによってのべつに力んでおりますので、いざ「力を抜いて」と言われると、「どうやって抜けば???」と、わからなくなってまずは抜く方法を頭で考えますから、ますますややこしく、ますます力は抜けない訳です。


前述の高校弓道部員たちは道場を見渡すと、みんな苦もなく正座して、程よく丹田に気も落ちています。


彼らとて、普通の高校生ですから、普段はテンパっちゃったり力んじゃったりすることも多々あるでしょうけれども、日常的に正座して気を落とす、力を抜く、身体のバランスを取る、という訓練をしていると、それらが皆無の同年代に比べれば、様々な場面で多少にしろ差はついてくるでしょう。


特に、良い指導者について学ぶことができれば、青少年の運動指導者でもいまだに「手のマメは努力の証」なんて言っている方があるようですから、それに比べたらさらに差は大きいでしょう。

別に弓道を礼讃しているわけではありません。念のため。
武道というのはキチンとそのエッセンスが伝われば、日常的に、人生自体に本当に役立つメソッドになっております。もちろん、ヨガでも茶道でも同じ。



力を抜く、ということに戻りますと、言うは易しで行うのは非常に困難であるためために、ある人は座禅、ある人は瞑想、と大変な努力を繰り返して境地を開いていく努力をするわけです。力を抜くためにやってる訳じゃない!心の平安を得るためだ!と、お怒りの御仁があるやもしれませんが、同じです。多分。


何もしなくてもおおらかな人、というのも存在するのですが、人間、生きている限り心を揺さぶられる様な出来事が次から次へと起きてくるのが普通です。
「高校の時に弓道部でした」という現在50才の方は、武道経験ゼロの50才に比べれば、それこそ多少はマシかもしれませんが、弓道を長年やっていたのに、上がり症でテストとなると滝のような汗をかき、すぐに緊張して顔が真っ赤になる、という友人もいます。
彼女の場合、ある場合においては非常に腹の座った対応ができるのですが、残念ながら、武道の修行によって緊張や上がり症が克服できるわけではない、という見本でもあります。
でも、ある場面においては、腹は座っている。効果はあるのです。弓道をしていなかったら、もっと困難な人生だったかも。


そして、もう一つのキーワードは、当然ながら継続です


俗世とは無縁のお坊さまでも朝晩おつとめなさっています。
世俗にまみれた我々は恒常的に出来れば一生涯何か心身のために継続していくという事が、健康のためにもやはり重要になってくると思います。





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