私はインド人が好きなので、日本国政府としてもインドとは仲良くして欲しい、と思っているのですが、まあ、これはどうでも良い個人の感想です。


先日、そんなインド人を関口宏の息子が訪ねて話を聞くという番組のコーナーをたまたま見ました。

在日35年くらいで在日インド人に「ゴッドファーザー」と呼ばれている顔役の方がいます。この方は風貌も大変に立派でいかにもインド的なゴッドファーザーで、日本語が下手すると日本人より上手い。「今の日本をどう思うか」と聞くと「サムライ精神がなくなっているね」と。


要約すると
自分が(会社や組織に)いる間だけもてば良い、という考え方で不正をしたり事実を隠蔽したりして大切なことを見えなくしてしまった。その結果が今の日本社会である、と。


確かに、そのおかげで銀行の不正融資や、産地偽装や、原発事故も起き、農薬も添加物も化学物質も蔓延して次世代の子供達に歪んだ環境を渡そうとしている訳です。


他にもIT企業で働く若いインド人が言うには「日本人は、細かい作業は得意だけれど、まとめる力や協調性がない」と。その原因は「少子化で協調性を育む素地がない」解決のためには「まずは結婚しろ」と

そんな話でした。


これを受けた関口知宏氏があげた言葉が「真理把持」
マハトマ・ガンディーの非暴力運動の理念の一つ(サティヤーグラハ)だそうです。


サティヤ(真理)とアグラハ(把握)でサティヤーグラハ


私が抱くガンディーの運動のイメージは非暴力(無抵抗主義)と断食ぐらいだったのですが、実際はそれらは手段であって、理念ではないですよね。今回恥ずかしながら初めて知りましたが理念は不殺生と真理把持で、どちらもインドの伝統思想に基づくものだそうです。


真理、というと善悪の観念が浮かぶのですが、ガンディー(又はインド人の思考?)は、不当な差し押さえ(飢饉のために不作時の免除を適用し納税の一定期間免除を申しでたにもかかわらず)を受けた自分の畑から作物であるネギを抜いてくるように勧めたそうです。


差し押さえ → 現在自分には権利がない状態 →そこから作物を取る →泥棒 →悪人

これが二元論というか、原則論というか、善悪思想ですね。


しかし、ガンディーは差し押さえの命令を無視してネギを取って来ることは民衆の義務だと言って、不服従の意志を示そうとした。そうです。
権利と義務に対する考え方、善悪の判断が興味深いですね。


番組に出演していたコメンテーターが教育者らしく「インド人は、なぜだ?なぜだ!と聞いてくるので教える方としてはやりにくいのだが、根本原因にたどり着くので応用が利く。だから彼らはコンピューターのプログラミングが得意なのだ」と言っていました。


私がインド人が好きだったのは、自分が「何故なに嬢や」だったかららしい と数十年を経て気づいた←遅い


いや、それはどうでも良いのですが、果汁0%ジュース、ジェネリック医薬品など、企業は利益確保が至上命題ですから、原料価格は低ければ低いほど良い。

原発や石油に代わるフリーエネルギーの利用も、それによって不利益を被る人々に「不服従」を唱え続けなければ実現しない、のですよね。



量的な変化は突然、質的な変化に変わる


自分なりの真理把持を続けた人々が量的に優勢になった時、始めて世の中が変わるわけですから、家族や子ども、恋人、もちろん自分自身も、守りたい大切な人のいる人は、考え続け、選別し続け、微力でも唱え続けなければならない、と思ふ今日この頃です。