引き寄せの法則がブームになって以降


自分にとって
必要なこと
大切なこと

はスイスイ障害なく実現する
という考え方が一般的になりました。

邪魔も入らず、なんの障害もなく驚くほどの偶然(必然)性をもって実現する


それをね、否定はしません。
最終的にはそうなるでしょう。
ところが
過程にある間は結構これが難航する


というのが本当なのかもしれないと最近は思うのです。


前回の自分と向き合う事にしても

色々なヒーリングやメソッドでは
「瞬時に」「ラクに」変化する、と言っています。

中には、「何が行われたか知らなくても良い」というものまで


だから、「ありのままの自分を愛する」という事に困難を感じていたとしても「カンタンになんとかできる」と思ってしまうのですが、
カンタンに行うためには、おそらくそれなりの下準備が必要なのです。


よく、顕在意識と潜在意識と言いますが、引き寄せで実現するのは潜在意識で考えた事柄ですね。


だから、腑に落ちる、という言葉通り、いくら
「最近、私、滅多に怒らなくなったわ~」と思っていても、自分の中で素早く

怒る → ダメ → 健康にも美容にも悪い → 人間的にもイマイチ → 見なかった事にする → 怒りを封じ込める


という変換が行われていたとすると、
「怒らない」
「全て感謝」

と口では言っているのに、肝臓が悪かったりするんです。


ちょっと話がそれちゃいましたが、
障害なく実現することだけが自分にとって最善のことである


という意識でいると、意外とマズイのではないかと、いう事例が周囲では頻発しておりまして


運動や楽器の習得でもわかる通り、自分に支障なくできることばかりでは、成長がないんですね、きっと


ここで大切なのは、苦労しないとダメだと言っているわけではなく、前述のように、最終的にはスイスイ事が運ぶようになるんです。

つまり、到達したところまでは


怒らない、ということが本当に腑に落ちていれば、ストレスもないし、肝臓も元気です。


ただ、私みたいな凡人ですと、腑に落とした方が良いと思われる事柄は次々と際限なくやってくるんです。
それを悟りは何度もやってくる、と言っているのですが、もう本当にね、一つクリアしたと思うとすぐに次が浮上してくる。


思うに、きっとその際に、今の自分がクリアするレベルとしては少し高めの事柄である場合、実現が非常に難航するのではないかと思うのです。


出がけに腰痛が出てみたり、電車の乗り継ぎを間違えたり、台風が来たりと全然スムースに事が運ばない。


こんな時、昨今の趨勢では
「行くなって事ね」となりがちなのですが、現在、私の周囲ではこれは「もんのすごい人間的、霊的成長が待っている」印ではないかと解釈されているのです。向き合って解決するべく事柄のヒントや出会いが待っているのではないか、と。
当然、そこから腑に落とし、自分の中で統合するまでには少なからず苦しい思いをするわけです。


過保護な天使が「辛い思いするからやめておきなさい」と言っているのか
悪魔が「ないない!成長なんて馬鹿らしい!今のままでのほほんと暮らしたかったら行くなよ!」
といっているのかは定かではありませんが、一理ありそうに感じております。


ただ単に、私とその周囲の人々がドMなだけだったとしたら大変に申し訳ないのですけれども


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