自分科講座に向かう道すがら、公園に彫刻がありました。



彫刻を見たら一言。というのが子供とのお約束の遊びなので、ここでも一言

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「ああああ、急にお腹が痛くなった」娘作



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「うぅぅん、のぞき穴が小さくて良く見えないぃぃぃ」私作


良く見ると、彫刻はオーギュスト・ロダン作「瞑想」

アホにかかっては「考える人」の巨匠ロダンも形無しです。


後から考えると、アホな一言はこの時の心境を如実に表していたのでした。

この時「迷走」していた私は、瞑想を日々の日課としていながらも視野の狭さに気づかずに、見えないぃぃと焦っていたのです。





到着すると、参加者は全員大人。子供は1人だけです。
お絵かき道具も本も持参しているものの、子供が1日耐えられるか不安になりました。


今回の講座は3回シリーズの今日が2回目。途中から参加した我々は転校生という扱いになっています。

短いワークを経て前回以降のシェアから始めるということで

子どもには先生から
・午後のワークからは子どもも参加
・どこでも好きな場所で好きなことをして居て良い
・置いてあるものは何でも使ってよい

私には、
・子どもとは少し離れているのが良いでしょう
・前回以降に感じたこと等のシェアの最後に自己紹介と転校生にまつわるエピソードを話す

というお話があり、子供は奥まった席に移って視界から消え、約1時間のシェアが始まりました。



私は全員と初対面なので、何か解決したい問題があるから参加しているのだろうけれど、その割りには成熟した印象を与える方たちだな、などとのんびり構えて仕事モードのスイッチは切って「素」で聞いていました。


他のセミナーの参加者のように、葛藤の方が本人のキャラクターより前面に出ちゃってる感じがないのは、2度目ということで打ち解けた感じがあるせいなのか、はたまた先生が作り出す「とにかく何があっても安全だからね」という雰囲気のせいなのか・・・

などとシェアを聞きながら考えていると、遠くから子供のくしゃみが聞こえてきました。

空気がよどむ奥まった場所にいるせいでアレルギー性のくしゃみが止まらない様子です。

私は話を聞きながら多少気もそぞろになってきました。


しかし、私がここで、席を移りなさい、と指示するのは明らかに過干渉であろう。

先生は、子供に好きなことをして、どこに行っても良いと言っていた。私には離れているのが良いと言っていた。ここは黙っていよう。



シェアは続き、くしゃみは伴奏のように続いています。

とうとう最後に私の番になった時、私は自己紹介もせずに「くしゃみが気になるのですが」と切り出しました。



先生は、子供には好きにして良いと言ってある。見えない壁があると考えて移動ができないのだとしても、壁から出ようと自分で決心しなければならない、とおっしゃいました。


「壁があると知って、それでも出てこられる性格ではないと思うのです」私は少し感情的になっていました。


すると、先生は静かに言いました。

「お母さんが壁があると思えば、見えない壁は現実のものになるのです。壁があるよ、あるよ、とあなたは言外に言っている。それを子供は感じ取るのです」


自己紹介もしないうちから、これかっ!

素の私は、愛のバズーカ砲をまともに食らった気分でした。

そして、これこそが、まさに私が指摘してもらいたいことだったのです。


思いが現実になるっていつも言ってるじゃん
そのことを毎日仕事で骨の髄まで味わってるんじゃん
それなのに、自分の子供に対してはこの体たらくです


私が子供をスポイルしている、という自覚はありました。
何度も口に出して、他人に助けを求めてもきました。
でも、それを明確に言語化してくれた人はいませんでした。言われていたとしても、私が気付けなかっただけなのかもしれません。



親の影響というのは、まさしくこうやって現れるのです。
本人も意識できないまま、それが心や体に出てきます。
特に子どもにとっては親(や大人)の言葉よりも、こうしたノンバーバル(言語によらない)コミュニケーションのほうがずっと重みを持っています。


「人は相手の無意識の動機に反応する」ベラン・ウルフ
って、何度もブログにも書いてるじゃん!!!自分!


私は、子供を守っているつもりで見えない結界を張っていたのでした。そして出るな、出るなと呪文をかけていた。

過保護という子供をスポイルする「呪」を、まだ幼いまだ外せないと言い訳して子供の力を信じずに、子供の力を封じていた。
子供はそれに付き合ってくれていたのです。

私の潜在意識攻撃なんて、自慢じゃないけど相当強烈だったはず・・・

よく耐えた!
さぞや重かったと思う。


自己紹介も未だでしたが、これさえ聞けば会費の元は取って、おつりも来たので、もう帰ってもいいかなと思いました。それくらいの衝撃バズーカでした。


ところが、これで終わりではありませんでした。

2発目のバズーカ砲は思わぬところから飛んできたのです。


続く


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