亡くなった近しい方が現れるのは、嬉しくもあり、「何か言いたいことがあるかしら?」と気がかりでもありますよね。
特に、ご様子がおかしいなという場合は非常に気になります。
お盆に、亡くなったお母様が少し沈んだ様なご様子で現れたのが気がかりである、というご依頼を頂いたので、早速うかがってみました。
《よろず通訳内容抜粋》
『(お母様は)非常に色々な事が気になるご性格のようで、片づけなければならない事もそのままなのに、どうして暗いところにいなくてはならないのかがよくお分かりにならないようでした。
K様(ご依頼者)には「光のある方へ行きなさいよ」とおっしゃっていますが、ご自身は、後ろ髪を引かれる思いがするようで、なかなか踏み出しかねていらっしゃいます。ご自分の役割がまだまだ果たせるはずなのに、なぜ、何もできないのだろうか、と。 まだまだ采配を振るいたいお気持ちなのでしょう。
「先の皆様もお待ちですよ。ごゆっくりおやすみになって大丈夫ですよ。後の方々はきちんとなさいますよ。」と申し上げました。(後略)』
《お返事抜粋》
『ありがとうございました。おっしゃるとおりの母でした。
「先の皆様もお待ちですよ。…」と言っていただいただけでも心が休まります。
(以下略) 』
お母様はご自身が送られる立場となった、初めてのお盆に戸惑われているようでした。
おまいりなさる時に、心配ありませんよとお声がけくださると良いでしょうとも申し上げました。
もちろん、成仏できないでいるということでもありません。
ただ、姿が見えたのは、生前は先頭に立って行事を取り仕切っていたお母様が残した「あれもしなくては、これもしなくては…」という思いのエネルギーにご依頼者であるお嬢様が同調した結果です。
つまり、思いにもエネルギーがあり、同調すればその思いを発した主の個性も認識できる、という事です。
そうと分かれば、生きている人が不用意に発する思いの方がずっと怖いし影響も大きい、ですよね?
テレビや携帯などの電波に混じって、人の思いもビュンビュン飛んでいる…のね、きっと。
場所などでも「なにかは特定できないけれど、何となく気になる。」という感じがするのは、場所に残された思いと大まかにチューニングが合っているという状態でしょう。
幽霊の正体見たり枯れ尾花
本当に枯れ尾花が揺れた残像を見間違うこともあるでしょうが、案外枯れた植物の「思念」をキャッチしていたりして