連休中に、昔買ったまま忘れていた本を読んだら、最近欲しいと思っていた答えがすべて書かれていたのでした。

一つは村上龍「最後の家族」
ドラマ化されたようですが、そんなことも全く知らず・・・

最後の家族 (幻冬舎文庫)/幻冬舎

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「この小説は、救う・救われるという人間関係を疑うことから出発している。誰かを救うことで自分も救われる、というような常識がこの社会に蔓延しているが、その弊害は大きい。
そういった考え方は自立を阻害する場合がある」村上龍

資源や産業の乏しい国への国際支援などですと、お金を渡すことだけが発展に寄与することではない、として農業や手芸の技術支援を行いますよね。
自立支援と言われています。

その規模(単位?)で考えると至極納得なのですが、家族という単位で考えてもこの考え方が成り立つ、ということを他人から(しかも村上龍)改めて言ってもらいたかったのだな、きっと。と思いました。
ましてや日本は現在セラピストが花盛りですから、私もその端くれとして「救う・救われる」という概念とは無関係ではいられません。
自分なりに救う、などということはおこがましいと思いつつも「何とかしたい」「自分に何ができるのか」という気持がでしゃばれば、「救おうとしている」ということにもなりかねないわけで。

小説中では引きこもり、DV、リストラ、一家離散など重いエピソードを通して家族の思いが語られていくのですが、他にも、なぜ、選択してもその前に決意がなければダメなのか?など、セラピストやカウンセラーなど、相談業の方々は読んでおいても良いかな、と感じました。

そして、もう一つ
西川美和「昨日の神様」

きのうの神さま (ポプラ文庫 日本文学)/ポプラ社

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「ゆれる」の監督が、へき地医療を題材にした映画を撮るための取材中に集めた題材を元にした短編集。
「ディアドクター」という映画がつくられているそうなのですが、こちらも全く知らず。

「ゆれる」をご覧になった方はご存じのとおり、西川監督は人間のやるせなさを「これでもか!」と描き出す天才ですね。

「きのうの神様」は、映画におさまりきれなかったエピソードを短編にしたそうなのですが、自分に課した架空の枠を外していく人、外すことができない人、外すためには犠牲が必要なのだと気づく人etc.

枠の話だけではないのですが、えぐるえぐる
読み終わった時に、自分がどこにいるのかわからなくなるほど、他人の内面世界の渦巻の中に放り込まれました。

大体「きのうの神様」って、今日は何なの?昨日までは神様だったってこと?
タイトルからしてやるせなさ満載ではあるのですが、もう一つ印象に残ったのは、主人公たちの友人の受け答えが異様に的確なこと。
「いや、普段の生活の中では人々はここまで的確に状況を言語化できないから!」
と、突っ込みたくなるような鮮やかさ。
短編ですから、簡潔にしないとどうしようもないのかもしれないけれど。

エピソードとしては、へき地医療と都市部の病院医療の違い、東京での充実した仕事を辞めて祖母の介護に明け暮れる女性、かつてはバリバリの看護師だったのに繋がれた隣家の犬に自分を見る女性etc.
こっちも重ーい!

しかし、私にとっては非常にどちらも価値のある小説でした。

読後感を80字程度にまとめると
「職業や外見で人をひとくくりにしてはいけないように、医者も終末医療の在り方も、生きがいも幸せも、決してひとくくりにはできないのだと改めて思いました。」以上


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