ワンネスでも宇宙意識でも神でも創造主でもなんでも良いのですが、元々全ては一つであって、そこから分離しているから生老病死や恐れや怒りなんかもあるのだ



でね、それを体現したら悟りとか覚醒なので、みんなそこを目指そうよ。というのがヨガや一部宗教や一部スピリチュアルです。


今の時代、覚者も検索すれば探すことができるので大変に便利です。
検索しなくても、アメブロにもたくさんいるみたいなので、ちょくちょく見かけます。

それでね、
「ワンネスの体験をした覚者の私は、神が愛と光だという事を確信しています。」
というお説にも度々出会います。


確かにキリスト教でも
神は愛である
神は光である
と言っています。


ところがね、私も実はワンネスって体験しちゃったことがあるんですが、覚者でもないし、悟りきってもいません。

そして、私の認識ではワンネスだか神の意識だかって


なんです。

無限の無


無理やり言葉にしてしまえば、満たされているとか許されているという感覚はあります。


言ってしまえば気持ちいいということになるのかもしれませんが、その状態から出てきたくなかったんです。大安心というのかもしれません。

それでね、そこには愛とか光とかいうエッセンスはなかったんです。

無いというのもおかしいのですが、全部あるから個々には認識されない、というか

ただ無
(グレートセントラルサンのエネルギーに非常に似ています)


そこを基準にしているので、満ち足りた状態というのは、
なんでもある、と言われるより
足りないものがない
と考えた方がしっくりきます。


だからね、神様が何ら能動的なアクションをしないって事も不思議でもなんでもないんです。

修学旅行で弥勒菩薩の半跏思惟像は
「どうやって衆生を救おうかと考えていらっしゃる」お姿だと聞いた当時は「みんな困ってるんだから、考えてないで行動してくれませんか!」と思いましたが、今は、さもありなん、と思います。


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もちろん私が垣間見たものがワンネスではなかった可能性もあります。


ところが、その後も色々体験・検証して行くと、光に満ちた世界よりも上があるのです。
上の方が殺風景。


ですから、神様のトップ(か源)がワンネスとか創造主だとすれば、神様にもたくさんいますから、ワンネス以下に愛とか光のエッセンスを持った神様というのがいるのです。


おそらく人間も含めた形ある者たちのために

植物には水と光が必要なように
人間には愛と光が必要だから





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