京都の三十三間堂には千体の千手観音像が並んでいます。
その中には、必ず自分や肉親、知人の面影を持つ観音様を見つけることができると言います。


 

読みながら、ふとそんなことを思ってしまった「すごい本」
「こんな夜更けにバナナかよ」

こんな夜更けにバナナかよ 筋ジス・鹿野靖明とボランティアたち (文春文庫 わ)/文藝春秋
¥821
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「すごい本」と言っているのは私だけではなくて、解説で脚本家の山田太一氏はこう言っています。筋ジストロフィーの男性と、亡くなるまでにかかわった多くのボランティアたちの物語である「と書くと、ああよくあるやつね、と内容の見当がついてしまうような気がする人もいるかもしれない。それは間違いです。これは全く、よくある本ではない。凄い本です。めったにない本。多くの通念を揺さぶり、人が人と生きることの可能性に、思いがけない切り口で深入りしていく見事な本です。」


作者の渡辺一史さんは、取材を進めるうちにたびたび自身の価値観や社会通念が覆されるような思いに揺さぶられて、自ら迷宮に陥っていくような思いをされています。

なぜ、1日4人、週28人、年間1460人もの人々を集め続けられているのか?
大半がボランティアである人々は何を思って介助にあたっているのか?
自分が生きるためにこれだけの人々を集め続ける男性とは何者なのか?
自立とは何か?
人生における幸や不幸とは何で決まるのか
障がい者と健常者の違いとは何なのか?
面倒を見る、見られるということの境界はどこにあるのか

そんな問いを自分自身にも突き付け続けているうちに、作者はフツウとはなにか?ということすらわからなくなっていきます。

読者も読み進めるうちに、登場する実在の人物の逡巡の中のそこかしこに自分自身を見出して同じようにわが身と我が人生を投影し始めてしまうのでしょう。


気が付けば、私は三十三間堂のおびただしい観音様の中から、見慣れたものと、見知らぬものを必死に区別している時のような

次第に全てが見慣れたもののような、奇妙な錯覚にとらわれていました。


作者が最後にたどり着いたのは、非常にシンプルな一つのメッセージでした。
「生きるのをあきらめないこと
そして、人とのかかわりをあきらめないこと」

おそらく、人は他者との関わりの中でしか自分が成し遂げたことも、成し遂げなかったことすらもわからないからなのでしょう。


この本は
障がいとは
ボランティアとは
ノーマライゼーションとは

そんな問題意識の奥にある、

死ぬまで生きるということを、
そして、いかに生きるかということを我々に問うているように思われます。


迷惑などかけたくもかけられたくもない
自分はこの先、一生他人を愛することも、他人から愛されることもない。
自分は、自分らしく生きる事など許されない。
収入も少なく、自立出来ない自分は罪悪感を感謝に変えて行きて行くしかない。


もし、あなたがそんな風に考えているのなら、「あなたが見ているものだけが世界の全貌ではない」し

月並みな言い方だけれども「世の中にはいろんな人がいる」


そのことを、脚色された24時間テレビではなくノンフィクションという事実を、自ら巻き込まれて戸惑う素直な作者のフィルターを通して擬似体験するために


その間、その後自分が何を感じるかを見てみるために

是非一読されることをお勧めします。
大抵の図書館には置いてあると思います。