精神医療の二次災害は深刻だと思う。

自ら考えることを放棄している人々のことを内海医師はグーミンと呼んでいます。

グーミンにならないために
自分を守るために
患者としての視点から

小春さまが大切なことをいくつも書いて下さっているのでシェア


(以下抜粋です。太字化はpuamana)






通っている精神デイケアは、
病院でもなくカウンセリングでもない自助的な
集まりの場所であり、生き直しに有用な場所なんだろうと思っています。
医師以外のスタッフが揃っていることも、いわばホリスティックな試みが可能
なわけで、期待感もあります。

たとえば、グループワーク、アロマやヨガ、ストレッチ、陶芸、音楽など、
アプローチ方法は色々あり、それぞれのデイケアで様々な取組みがされている
ようです。「心」には、西洋医学の医師の視点だけではどうしても限界があります。
そもそも「病気」と呼んでいいのか疑問に思うことはないですか?

「症状」ですよね。何かあるから症状が出てる。病気というより「サイン」。
サインを消すためだけに薬を与えていていいのかどうか?それは「治療」と
言えるのかどうか?


「病気」と表現すれば楽な気持ちになる部分は確かにあります。そういう段階が
必要なときもあるでしょう。機能不全家族で育って生きづらさを感じている人が
「アダルトチルドレン」と自分に名づけることで1ステップ進むのと同じで。

社会や生き方や思考、過去(育った家族)、環境が変えられたら、ずいぶん楽に
なるんじゃないかと思えることはないですか? そう考えたら、いつまでも薬物治療
が必須の病気という扱いでいいのかどうか?っていう疑問。

理解のない社会や他人には「病気」という名が分かりやすいけれど、当事者は
「病気」という名に思考停止していてはいけないと思う。




(中略)

責任者の医師の方は、薬だけでは治りませんよと話してくださるのに、薬の
リスクや断薬の方法については話をする気がないみたいです。単純に知らない
のかもしれないし、リスクは知っていても、病んだ人たちが望むのだから薬を与えて
おかなきゃねという風に考えているのかもしれません。わかりません。。

みんな治りたいからがんばって来ている。勇気をだして来ている。だからこそ、
厳しくても本当のことを話して欲しい。厳しくて突破口になるような刺激的なこと
を突きつけるべき時があると思う
。心優しく、感受性も豊かで、嫌な目にもたくさん
遭って、自信を喪失して、弱弱しく依存傾向に陥ってしまうのだから、目が覚める
ようなことを言って、その人自身を取り戻すためのスイッチをONだ。



薬で何かを抑えることで、その人自身の力を奪ってしまう側面があるということを
医師はもっと知っていてほしいと思う
いや・・わたしたち自身がちゃんと知って、
薬も病院も上手に使う!
これだ。

専門家って何でも知っているわけではないよね、当たり前だけど。



ある参加メンバーの人と話していて 「眠剤なしで眠れているならいいですね」
と言われた。眠るべき時間に眠れないのはつらい。眠れなかったら翌日つらい。
とってもつらい。でも、なによりダメージを喰らうのは、眠らない自分への罪悪感
からだったりするんですよね・・・。


だから、眠れないなら寝なくてもいいって言う泉谷閑示先生みたいな意見に
触れることは大事。眠れない苦しみに直面することを経ないといけないという考えも
アリ。「寝てはいけない時間」に寝ちゃうんだぜ♪っていう突破もアリ。

眠剤なしでは眠れない人なのだ、と自分にレッテル貼りをし続けていくことが
一番こわいかな。
もともとの自然な姿になれたら、その人の寝るべき時間帯に
どうやっても寝ちゃうようになるのだから。

自分自身に湧き起ってくる向き合うべき症状なのか、薬の副作用による症状
なのか、区別がつきにくくなってくることを知っておくべきだと思う。

薬物による二次的な症状を、自分のせい・病気のせいだと思い悩んでしまう
としたら・・・いたたまれないです。


(中略)


メンタル疾患だけでなく、ある病気を本気で治す場合は、そのメカニズムを直視
する以外にないように思う。直視する勇気が出ないうちは、医師の言葉や薬に
頼りきってしまうと思う。直視する勇気を出すために、薬以外のアプローチを併用
するのもいいと思う。

何かに頼り切ると、選択肢が他にないと考えてしまう。


たとえばウツ脳の仕組み。よく出回っているものは、ひとつの仮説にすぎない。
脳のことはまだまだ分からないことだらけ。様々な研究がなされているけれど、
元になったデータはどこから出てきたもの?誰がプッシュしている? たとえば
巨大製薬会社がプッシュしているものだったら、何が考えられる?



宇宙みたいな壮大な仕組みのカラダの中に、コレに効きます♪っていう薬剤を
ぽんっと入れて、ピンポイントで効いて万事OK!・・・なワケないと思う。



医師といえども完璧ではないので、言いなりになって「良い患者」になる必要は
ないし、自分の体に起きていることやされていることは医師よりも詳しくなるべき
だし、なれると思う。患者は実のところ、医師よりもずっと自分のことを知っている
はず!

薬について患者が意見を言うと怒り出すような医者からは、逃げよう☆

主治医や治療法に不満や不安がある人は、ただその思いを抱えるだけでなく、
その主治医よりも賢くなってやろう☆




合成された薬を摂取し続けていると、体は冷えていくようです。体を温めておく
ことは本来もっているココロとカラダの機能を高めるためにとても大切。合成薬は
神経や筋肉にも影響してきます。

ある場面では必要なときもあるかもしれませんが、摂取することで思わぬところ
に作用しているということは知っておく必要があると思います。あちこちに不調
が出るたびに原因もわからないまま薬を増やしていくことにならないように・・・。



必ずどんな薬にも副作用がある、○%の人には重篤な副作用が出る、じゃあ
副作用が出るのも仕方がないよね、誰かが重篤な別の病になっても、誰かが
死んじゃっても、ハズレくじってことで仕方がないよね。

・・そういう「常識」のままで鵜呑みにしていいのかどうか。そもそも、主作用と
されていること自体にも問題はないのかどうか。起こりうる副作用は軽く考えて
いいものなのかどうか。

その人自身の中に治す力があるのに、あなたはずっと薬で調整していかないと
ダメな人なんですよ~と医師に言われること。それは本当なのかどうか。


その人の知っている言葉(知識)が、その人の世界の限界、と言われます。
言葉だけじゃなく、ね。 認知できている“世界”なんてそんなもの。狭めるのも
カンタン。広げるのもカンタン☆




なにごとも最後の最後に頼れるのは自分の「勇気」なのかなと思っています・・。

直視する苦痛に耐える勇気・・・知らないことを知る勇気・・・信じていたことが
崩壊する勇気・・・殻を破る勇気・・・足を踏み出す勇気・・・

勇気で済むなら、がんばって勇気だしちゃお!!!
出すまでが本当に大変なんだけど(笑)

勇気が出せたら、そこから始まることがある。ぜったいある。



不安感は薬で消してもまた出てくる。
不安は大切な作用。不安をはじめとする不愉快な症状は、あなたを何かから
守ってる。気づきのチャンス。

それとはちょっと違って、何か新しいことを始めるときに もれなくついてくる
フツウの健康な不安もある。これは問題ではないんだよね。。うん。




なんにしても、刷り込まれている数々の「神話」をまず直視して、その前提を
疑ってみることから。疑ってみたうえで、じぶんで考えてみる。わたしが今
ここで書いていることだって、鵜呑みにする必要なんか全然ない。


弱った心の依存のままで、思考停止したままで、薬剤によってボロボロには
ならないでほしい・・・・・心からそう願うのです。自分に対しても含め。

いろんな人が来るデイケアで、そんなことを強く思う日々なのです。



薬剤の場合は、取り返しのつかない後遺症が残ってしまってから自分のバカさ
加減を嘆いてもすでに遅しです。次は原因不明の難病などと診断されるかも。




わたしは西洋医学をすべて否定しているのではありません。

情報戦のような現代社会のなかで、薬剤の作用をきちんと知ったうえで、
あらゆる方法を取捨選択できるようになれたら、「自由」でいいですよね♪ って。
不安は、「これしか方法がない」と思うことから発生していたりもしますよね。

(後略)

全文は是非小春さまのブログをご覧下さい。