ジンクスって結局引き寄せてるんじゃない?

皆様ご機嫌さまんさ?
ホリスティックケア・プアマナ
サマンサです


このところ、立て続けにジンクスを披露(大袈裟だな)していただく機会があって、聞きながら非常に疑問に思ったのです。


ジンクスとは、縁起の悪い言い伝え。生活に密着した教訓・習慣・法則の一つ(Wikipedia)


例えばツバメが低く飛ぶと雨になる、のは曇天では上昇気流が起こらないので餌になる虫が低く飛ぶため、など、近年裏付けが解明されたものもあるようですが、たいていの場合ジンクスを口になさる方は、「善光寺に行くと悪いことが起こる」「毎年5月はロクな事がない」という法則に気付いた時点以降は意識にインプットされています。


潜在意識レベルで、
善光寺 イコール 鬼門
五月 イコール 凶事の月
と、刷り込まれているということですよね。


引き寄せ、じゃない?
と思っちゃいました。


ところで、潜在意識が具現化し易い、拡大し易い場所、と言うのがあるようです。色々な方の話を総合すると、インドや屋久島に行くと、ネガティヴなマインドの方は思いっきりネガティヴな展開に、ポジティブなマインドの方は思いっきりポジティブな展開になっていくという事があるらしいのです。


場にもエネルギーがありますし、一口にパワースポットと言っても、単にアゲアゲな場所だけでなく、癒し、充電、力がみなぎる、など、意識やエネルギー、オーラの様々なレベル対して働きかけが違うように思います。



◯◯に行くと身体に不調が起きたり、事故に会ったりする、と言うのを聞いていて、場が身体に及ぼす影響がある、つまりジンクスは存在するという前提に立てば、ご本人は悪い結果を期待しているからネガティヴな展開が引き起こされる。のかも。


以前は、私も徹底的に悪いことが起こるに違いないわー、って、なんならワクワクして期待してましたから、お気持ちはよくわかります。その当時、インド放浪とかしなくてラッキーだったかも。


一方、話を聞いている現在の私のように、不調が起きたり、事故で一時期日常生活が立ち行かなくなるのは、身体に強制終了がかかった、あるいは、今もこうして生きて話しているということは大難が小難になったのでは?と考える人間にとっては「善光寺さん、守り神なんじゃない?」と思える。


「お、来たか!お前さんまたギリギリまでやっちゃってるね?じゃあ、せっかくだから一時停止ボタン押したるっ。ポチッとな」
みたいな。


これを、物事の捉え方といっても、引き寄せや波動の法則と思っても良いのですが、人間というのは、岩をも動かす見えざるパワーを誰しも持っているわけで、無意識にそれが何によって操作されているかと言うと、機嫌だと思うんです。


ネガティヴ、ポジティブな精神状態も機嫌が悪いか良いかですよね。
いつも悲観的な人にも機嫌の良い瞬間があるし、逆もまた然り。
どっちの比率が大きいかだけでしょう。



機嫌が良い時には、キオスクでも愛想よくできます。すると向こうも笑顔。
  機嫌の良い時に鷹揚に振る舞った事が自分の評価を上げ相手の気持ちもひいては人生も好転させ、数年後に相手から感謝されるなんてことも起こるわけです。


だから、悲しい時も、さあ笑って!
なんてことは申しません。


体調が悪くても、人間関係が悪くても、不調や心配があっても機嫌良くなんてできないですっ。自分に嘘ついても、嘘つかせてもいけません。


機嫌良く過ごせる時間の比率を大きくするためには、こういうことを自分なりに上手くあしらえるようになれば良くって、そのために私は身体方面からも心方面からも色々試行錯誤して30年以上かかっていてまだ道半ばだけれど、ものすごく悲しい時でもなんとなく大丈夫、だと思えるようになったことは大収穫だと思っています。


自分の事を上手くあしらう、って簡単ではないし時間もかかるけれど、きっとこれの積み重ねが人生を創るってことなのでしょう。

何を成し遂げたか?よりも、どう生きたかが生まれてきた目的で使命だろうし、結局仕事も名誉も功績も、どう生きたか?からしか派生していかない。


だから、自分にとっては機嫌良く生きるためにいろんなことし続ける事が自分の人生に対する最大の貢献だと思っているのです。