「お天道様に恥ずかしくない生き方」
「人様に迷惑をかけないこと」
立派な生き方として推奨されます


実際に信条として生きていらっしゃる方も多い



でも、よく考えてみると




お天道様
人様
という漠然とした対象には特定の人格はないわけです

地域や環境によっても
恥ずかしいこと
迷惑なこと
は、変わってくるはず



では、自分にとっての恥ずかしさ、迷惑な事を決めているのは何か?



それは、子供の頃に身近にいた大人が
恥ずかしい、迷惑だと思っていた事なのです



お天道様
人様は
親であり、ご近所や親戚の大人たち


つまり我々は大人になった今も無意識に
彼らが恥ずかしい、迷惑だ
と感じるようなことはしないように生きている
ということ



それは、例え頭では親や親戚に反発を感じていたとしても
物事を図る時の尺度として存在し続けています



「癖(クセ)」ですから容易には変わりません



結局、無意識に親(身近で影響力があった大人)の目に監視し続けられているのと同じことなのです



恐竜好きな男の子が一日中図鑑を眺めては
「ジュラ紀にはね、白亜紀にはね…」
「ティラノサウルスの脳みそは人間の半分くらいでね」
とお母さんに話す


初めの頃は「へー、すごいわね」
と聞いていた母親は、段々心配になって来る


恐竜の生態なんていくら覚えても
ポケモンと同じで
実際の生活には何の役にも立たないんだから
同じ情熱で算数ドリルを解いてくれないかしら

恐竜なんて趣味、道楽以外のなにものでもないのに

哀川翔はお金が十分にあって
道楽でカブト虫を育ててるから良いようなものの
うちの子に同じ事ができるわけじゃなし


そして子供に
「恐竜ばっかり見てないで、勉強しなさい!!
勉強しないと恐竜図鑑捨てるわよ!」
と脅す



さて、この男の子が母親から受け取ったメッセージは


趣味は生活の役には立たない
趣味のものはどれだけ覚えても勉強にはならない
好きなものに夢中になってはいけない
お金にならない知識は得ても仕方がない
好きな事はお金にならない
恐竜はダメ、勉強は良い
好きな事をして良いのはお金がある人だけ
僕が好きなものは母にとっては価値のないもの
算数より恐竜が好きなのは恥ずかしい
母が良いと思う事をしなければ、好きなものは奪われる
楽しいと思う事をするのは悪い事

などなど



実際こういうママがいて
「将来は息子くんは恐竜学者になれるね」
と言ったら
「学者なんて食えない」
と一刀両断されたことがあります。



恥ずかしい事
迷惑な事
も我々の中で同じように形作られています



お天道様、人様と言いながら
基準はこうした
はっきりとした禁止事項があって、それらは細胞の中にまで染み込んでいます



そして、どれだけ親を憎んでも
誰でも心の底で親の事は愛している
悲しませたり裏切ってはいけないと思っているから
いつまでも自分自身を見張る「監視の目」を置き続けるわけです



それが子供の親に対する愛情だから








算数だって、恐竜と同じ
だと思うのですけれどね



算数だけやっていたら、数学者になるしかない
算数をどう使うかでお金になる


恐竜好きだって、どう活かすかでお金になるのに


ママか、身近な大人にこの視点がない限り
息子くんにもこの視点は育たない



ママの盲点は、そのまま息子くんの人生における盲点になってしまうわけです



ママが知覚を広げて盲点を減らせば
子供たちの盲点も減って自由度と選択肢が広がる

ママは、子供としての立場から自分自身の親の盲点に気づいて自由度と選択肢が広がる


その結果を一言で言うと
「楽になる」
って事なんだと思います





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