今日は節分ですね


少彦名さんが鬼は悪いことなどしていない 皆様の開運のために語ります
で、豆まきやめませんか?
と書かれていましたが


私は
恵方巻を作って、豆をまきます天邪鬼



記事を読んで、
自分が豆をまく気持ちが、ある時点から明らかに変わっていたのだなということに改めて気づきました。


一言でいえば
鬼を外部に想定していない



小さい頃にはむやみに怖かった怪獣映画や、幽霊
STAR WARSなんかのSFもそうですけれど
それらがあるとき、どっかの悪者を良い人が倒しているという風に描いているだけで
他人事じゃないんだ
ということに気づいたんです。


1人の人間の中にあるもの
自分の中にあるものを強烈に肥大化して描いているのだな、と


私の心の中の怒りと悲しみがゴジラになって暴れだすこともある
もちろんダースヴェイダーベーダー もいるけど、最後の最後に子供への愛が残っちゃったりしてる
ちょっぴりだけどヨーダヨーダもいて、
 そんなSTAR WARSな宇宙を持った私が、別のSTAR WARSな宇宙を持った人と触れ合いながら生きてるのだなぁって



ちょうど村上隆自身が五百羅漢図を語るという番組で
怪物を描き続けている理由を
「ずっと、怪物化した現代の世の中を表現してきた。
怪獣映画でいち早くそれを表現した日本人の感性はスゴイ」
みたいなことを言っていて、非常に興味深かったです。


巨匠に失礼だとは思うのだけれど、「同じこと考えてるんだな」って。
村上隆の作品をそんな風に見たことがなかったし





それでね、
村上隆は巨大な五百羅漢図を書いて、
「もう死んでもいい、ここからは無に向かうだけ」とも言っていました。

最近、ひも理論みたいな絵とか、ドクロとか、五百羅漢を書いているのが不思議だったのだけれど
「ああ、同じこと考えてるんだな」と思って



たぶん、「自分とは何か」を追求すると
宗教的なものの中に答えを探して死を見つめると「無や空」に行きついて
説明を求めて、量子物理学に行きついてピースが嵌って
どんどん捨てて「無」に向かう
という経過を順番はともかく辿ることになるよねー


誰に同意を求めているのかわからないけれども



どの分野で何をしていても同じようになるのが面白い
一つのパターンとしてね





村上隆は作品がそのまま語っちゃってるし
ジャニーズのアイドルもそうだし
住職曰く「人生は思い通りにいかないように設定されている」


キラキラ矢印 今は私は人生は思い通りにいかないように設定されている
とは、思ってないけど
2010年には思ってたんだねー


そうだなぁ、今は、
「人生はうまくいかないように設定されていると思い込んでいるだけ
それを経て、そうじゃないんだ!と異常に喜んで興奮してからが断然面白い
のが人生」って感じかな




そんなわけで、
私は今年も豆をまきます


どんな意図で撒くかといいますと

 自分の中に鬼も仏もいるという確認
 気弱になって「邪」に波動が合うこともあるから、節分のパワーを借りて心を祓う


普段から「邪」が憑くってことを全然気にしてないからこそ、こういう機会に再確認が必要っていうか



そういう人間が住んでいる家だということを宣言すると出入りが多くても
「邪」に波動が合わなくなるから
家の浄化にもなるね




おおおお
節目の習慣というのは、ついつい惰性でやってしまいがちだけれども
改めて意図を確認するというのも良いものであるね


まだ豆まきもしていないくせに
節分の空気と相まって非常に清々しい気持ちになったです


気づかせてくださった皆様ありがとうっ



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