私は、ファストファッションに行っても欲しいと思うモノがない

生まれた時から100均がある子供たちにとっては「使い捨て」が当たり前

製品がどうやって作られて100均に並ぶかなんて考えることもないから、「これも100円?」という疑問も感覚も抱かない


文房具も服も可愛くオシャレなものは高い、という認識で育った私にとってはオシャレグッズまで100円で買える事が不思議で仕方ない


つい「どこの部分の生産者が泣かされているのだろう」と考えてしまう


そうは言いつつ
私の脳内にも、足りないものがあれば「100均にあるでしょ?」という回路が既に出来上がっている
安く売るためには、材料も労働賃金も安くなければ成り立たない、と知っていても。所詮他人事だったから。



でも
生地メーカーの方の口から「今は下着もワンシーズンで使い捨てですから」と直接聞いた事で、他人事が自分の世界で一気にリアルなものになった。


    ファストファッション(fast fashion)とは、最新の流行を採り入れながら低価格に抑えた衣料品を、短いサイクルで世界的に大量生産・販売するファッションブランドやその業態をさす。


説明にある『短いサイクル』というのは要するにワンシーズンだけ着て使い捨てるということ。大正時代の着物も、20年前のDiorのスーツを普通に着ている私には服が使い捨て、という感覚は全くない。


祖父母は明治生まれがいる世代、自身はどっぷり昭和を生きてきた世代の親たちにもなかったはず。
それがいつの間にか親たち世代まで
「この値段で新しいものが買えるんだから古いモノ着ることないわよ」という認識に変わってしまった。


20年前のDiorも大正時代の着物もまだ普通に着られることを、多くの人が忘れてしまったし、子供たちの世代は知らない。



前職では産業空洞化とか、労働環境、賃金問題は散々見てきた。それでも他人事だった。


それを是正するべきだ!という論点ではあまりに遠い話すぎて、生活者のレベルでは他人事になってしまう。だから解決もかえって遅くなると睨んでもいる。


企業は生き残りと成長をかけてひたすら利益を追求しながら消費者が求めるものを作ってきた。
その結果が使い捨てという常識に行き着いたのは、卵が先か鶏が先か、でも、誰が悪者かでもない。



ただ、私は素朴な疑問を持ってしまった。
子供のいる母親として、このままの世界に子供たちを住まわせておくのは嫌だとも思った。


ファストファッションの下着を着て、下着の形にかぶれが出来た人も見た。
薄くて快適な高機能スポーツウェアは「臭くなる」から着ない、という人も知っている。


鍼灸師としては、自分の身体の感覚がわからなくなっている事が、病気や症状として出てきていると確信を持って言える。


けれども、身体の感覚がわからない事を疑問に思わなければ、そのまま生きていける事も分かってる。



使い捨てられる価格のモノを作るには、安い労働力が不可欠で、安い労働力は知識も収入の道も限られた場所で提供される


例えば今、インドでは綿花の栽培が一大産業になっている。元来水をたくさん使う綿の栽培に熱いインドが適しているはずもなく、収穫率を下げる虫も多い。だから農薬を大量に使う。農薬は、吸い込めば気管支に、触れれば皮膚にダメージを与え、飲めば死ぬ。容器にそう書いてあっても、識字率が低くて読めない人もいるし、読めても生活のために無視する人もいる。

直接農業に関わっていなくても、風や排水に乗って流れ込んだ井戸水を子供も老人も村人がみんな飲む。

この話はネットにも載っているし、検査機関の方からも直接聞いたこと。



我々がファストファッションを使い捨てる
どこかで誰かが健康を、命を捨てている


私はそう思うし
ファストファッションには欲しいモノがないから
ユニ◯ロもH◯Mも要らない
ただ、個人商店がなくなって100均以外で買えないものがあるのが悩ましい

他の人が
そう思わなくっても良いし
何かしても何もしなくても
責任を感じても感じなくても
それもどちらでも良いと思う


私は疑問に思ったから
使い捨てではないものを自分で作ろうと思う

(追記)

第一弾がこちら下矢印