親になることを選ぶ
広い意味では部下を持ったり
人を育てる
というのは
「ままならない」
を学ぶ機会を選んだ
という事じゃないかと思う
親になるのに
ママならないって
ダジャレじゃないのよ
自分と同じように考え
自分と同じ速さと道筋で物事を処理していかない人間が、自分の保護下にいるとしたら
処理能力の高い人はイライラする
相手が3歳でもイライラするのだ
成人した部下が思い通りに動かなければ
イライラする気持ちは理解できる
見ているのもストレス
結局は自分が尻拭いしなければならないのもストレス
親として、上司として
他人から自分が低い評価を受けるであろうのもストレス
それでいつも機嫌が悪いし
実際に身体も壊す
子どもや部下を見ていると
よく今までそれで生きてきたものだ
このままでは大変な事になるのは目に見えている
結局困るのは自分自身なのだから
自分ががなんとかしてやらないと
と思うのだ
けれども
自分にとって頼りなさ過ぎる相手は
実際のところ
今まで生きて成長してきている
小さい時からずっと
「もうっ!貸しなさい!」
と言って誰かが代わりに処理してきてくれたのかもしれない
ずっと誰かが代わりに考え
誰かが代わりに処理してくれたのに
社会に出るのだから
もう良い歳なのだから
と、突然言われても
急に自分で何もかもできるようにはならない
もしかしたら
いつも代わりに考えてくれた誰かが
その人の「自分で考える」機会を奪ってきたのかもしれない
けれども
それでも、その人は大丈夫なのだ
今までも
あなたがいない時も大丈夫だったように
これからも大丈夫なのだ
ままならないものがある
という学びは
きっと
大丈夫だと信じる
を学ぶ事なのだ
・対面でのセッション