特に興味もないテレビの前でぼうっと過ごしてしまう事があるし、昼寝もするし
コンビニに行くにも、お化粧したり髪を巻いたりするようなキチンとしたタイプではないから、私は自分のことを「適当に手を抜いて結構いい加減に生きている」と思っていたのだけれど、意味の無い時間を過ごす自分を許せないのだから十分真面目だったのです
無意識に「たまには休んでもいいよね」と思いながら休むのも、実は誰にも責められていないのに言い訳している
そういう状態では
いくら休んでも精神的に全く休まっていないから
ちっとも休んだ事になっていないですよね?
私が単に切り替えが下手
とも言えると思います
でも
時々キチンとした大人でいることがとても苦しくなって、無性に成果の出ないこと、子供のためにも、仕事や家事のプラスにもならない事、つまり意味の無いことがしたくなって
カフェに行くとか、大学の友達に会うとか、旅行をするとかもちろんしていたのだけれど
いつの頃からか
それすら意味のあることを選ぼうとしていたし
例えば旅行にも学習要素があるとか
何かしらの意味を持たせて
聞かれてもいないのに
誰かに、多分自分自身に言い訳をしようとしていました
キチンとしなければ
と思い詰めていると
必ず病気になるか、何かの弊害が出ることは
事実として知っていたから
でも、自分は休めていない事に気付いてしまった
意味の無い事がどうしても必要なのに
だから
意味の無い事をする事を許すことにしました
意味の無い事をしたい自分を許すことにしました
そのことに気づいた上で
外交官の家のテラスでお茶を飲んだら
かつてないほど寛いで時間も気にならず
空や木を眺めていることに罪悪感もなく
心はどこまでも穏やかで
やっと
「意味の無い事をする」の効用を
余すことなく堪能することができたのでした